さる2月11日、ドイツの首都ベルリンでは、91歳で逝去した故ワイツゼッカー大統領の国葬がしめやかに執り行われました。ワイツゼッカー大統領と言えば、「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目になる」とする言葉を残したことで知られており、”ドイツの良心”と讃えられた大統領でもありました。
ところで、この名言は、ドイツの戦争責任を積極的に認め、被害を与えた周辺諸国との和解を促すために語られたとされています。このため、日本国にあっても、しばしばこの言葉は、日本国の戦争責任を問うに際して引用されてきました。しかしながら、最近に至り、奇妙なねじれ現象が生じてきております。奇妙なねじれ現象とは、過去に目を開くために、歴史的史実の調査を始めると、この言葉を持ち出して反対する者が現れるというものです。調査すること自体が、過去に目を瞑る行為と言わんばかりに…。ワイツゼッカー大統領の言葉は、批判されている戦争責任が史実である場合にのみ、自らの責任に真摯に向き合い、その責任を引き受ける誠実な態度として評価されます。しかしながら、負うべき責任の根拠となる真実性に疑いが生じた場合には、この言葉は、もう一つのベクトルを持つことになります。”事実を追求せよ”という…。ドイツでは、特にユダヤ人虐殺については、史実の調査さえ許されない状況とも伝わりますが、”南京大虐殺”や”慰安婦問題”を抱える日本国にとりましては、実のところ、この違いは切実な問題です。
常識的に考えれば、”過去に目を閉ざす”とは、”事実から目を背けること”と言い換えることができます。そうであるならば、厳正な調査による事実の確認は、戦争責任を問う側でさえ否定できない、重要な作業なのではないかと思うのです。
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常識的に考えれば、”過去に目を閉ざす”とは、”事実から目を背けること”と言い換えることができます。そうであるならば、厳正な調査による事実の確認は、戦争責任を問う側でさえ否定できない、重要な作業なのではないかと思うのです。
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