万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

テロ事件-憎しみは暴力を正当化しない

2015年02月16日 15時55分01秒 | 国際政治
【デンマーク連続テロ】容疑者は22歳のデンマーク生まれ(産経新聞) - goo ニュース
 デンマークで発生したテロ事件の犯人は、デンマーク生まれのイスラム教徒とも報じられており、フランスでのテロ事件が伝播したかのようです。何れも、預言者ムハンマドの風刺画、そして、ユダヤ人への憎しみを犯行の動機としています。

 果たして、憎しみは、暴力を肯定するのでしょうか。相次ぐテロ事件は、信仰を理由とした暴力による表現の自由への攻撃の問題であると同時に、さらに突き詰めてゆきますと、憎しみと暴力との因果関係に行き着きます。そしてこの問題は、古今東西を問わず、人類の普遍的な問題として様々な場面で登場してくるのです。最近、日本国内で起きた小学5年生の少年が殺害された事件も、容疑者は、からかわれたことを殺人の動機として挙げておりました。フランスやデンマークで起きたテロ事件の犯人も、預言者ムハンマドを風刺画で嘲笑された恨みからの犯行であり、その背景には、移民の子孫としての恵まれない境遇と疎外感、すなわち、社会に対する憎しみが潜んでいるかもしれません。しばしば、犯人に同情を寄せたり、理解を示す声が聞かれるのも、暴力を、憎しみの表現手段としての認識しているからなのでしょう。そして、共産主義のように、憎しみをばねに暴力革命に訴えることを勧める思想もあるのです。憎しみとは、状況によっては、人間の誰もが抱く感情なのですが、この主観的な負の感情に暴力を正当化する根拠を与えますと、人類は、際限のない憎悪の連鎖、即ち、暴力の連鎖によって滅亡しかねません。

 ヘイトスピーチなども憎しみの現れであり、法規制が議論されておりますが、憎しみとは、因果関係から起こる感情ですので、双方の言い分を聞く必要はあるのでしょう。時には、逆恨み、身勝手な甘え、攻撃的不寛容もあれば、憎しみの感情にも、理不尽な被害を受けていたといった何らかの根拠がある場合もあります。ヨーロッパ諸国でも、テロ対策の強化と同時に、個人型のテロリストへの対応として、社会に恨みを持つイスラム教徒に広く呼びかけて、専門家による身の上相談や進路相談(出身国への帰国の選択肢も含めて…)、あるいは、メンタル・ケアに応じるのも一つの方法かもしれません(イスラム教聖職者の参加も…)。ただし、貫くべきは、憎しみは暴力を正当化しないとする原則であり、如何なる理由があれ、物理的な暴力だけは、決して許してはならないと思うのです。

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コメント (2)
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