万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ワイツゼッカー大統領演説のねじれ現象

2015年02月14日 15時13分19秒 | 国際政治
 さる2月11日、ドイツの首都ベルリンでは、91歳で逝去した故ワイツゼッカー大統領の国葬がしめやかに執り行われました。ワイツゼッカー大統領と言えば、「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目になる」とする言葉を残したことで知られており、”ドイツの良心”と讃えられた大統領でもありました。

 ところで、この名言は、ドイツの戦争責任を積極的に認め、被害を与えた周辺諸国との和解を促すために語られたとされています。このため、日本国にあっても、しばしばこの言葉は、日本国の戦争責任を問うに際して引用されてきました。しかしながら、最近に至り、奇妙なねじれ現象が生じてきております。奇妙なねじれ現象とは、過去に目を開くために、歴史的史実の調査を始めると、この言葉を持ち出して反対する者が現れるというものです。調査すること自体が、過去に目を瞑る行為と言わんばかりに…。ワイツゼッカー大統領の言葉は、批判されている戦争責任が史実である場合にのみ、自らの責任に真摯に向き合い、その責任を引き受ける誠実な態度として評価されます。しかしながら、負うべき責任の根拠となる真実性に疑いが生じた場合には、この言葉は、もう一つのベクトルを持つことになります。”事実を追求せよ”という…。ドイツでは、特にユダヤ人虐殺については、史実の調査さえ許されない状況とも伝わりますが、”南京大虐殺”や”慰安婦問題”を抱える日本国にとりましては、実のところ、この違いは切実な問題です。

 常識的に考えれば、”過去に目を閉ざす”とは、”事実から目を背けること”と言い換えることができます。そうであるならば、厳正な調査による事実の確認は、戦争責任を問う側でさえ否定できない、重要な作業なのではないかと思うのです。

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2 コメント

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Unknown (ねむ太)
2015-02-14 19:47:52
こんばんは。「過去に目を閉ざすものは、現在に対しても盲目になる」・・ヒトラーやナチスの研究を法律で禁じているのは何故でしょう。
大きな矛盾が生じます。
此の演説は「ドイツの人々は善良な人達で、ナチスに騙されていたに過ぎない。ドイツの復興の支援は惜しまない」と連合国が出した声明をなぞったものなのです。
悪の枢軸国とされていたドイツは、ナチスに騙されていたとする一方「日本は、得体のしれない怪物であり爪を剥ぎ、牙をすべて抜いても油断できない、厳重な監視下に置いておく必要がある」連合国の声明の残りの部分です。
明確な人種差別と日露戦争・大東亜戦争を通じて、それまで白人に劣ると思われてきた有色人種に希望を与え欧米列強の植民地だった東南アジア諸国の相次ぐ独立
植民地を失った連合国の陰湿な復讐の声明でありました。
我が国の主張してきた事、国際連盟に於いて「人種平等法案」の提出、建国以来の国是「八紘一宇」の精神、それぞれの民族が独立して国を持ち仲良く繁栄しましょう。
キリスト教のいうところの世界、人間が一番上の階層で、動物は下の階層・・人に使われ食料となる階層であり、有色人種も動物と同じ階層でした。
だからこそ、家畜と同じように売買され、奴隷として使役され殺しても罪に問われない・・植民地支配も、それまで築き上げられていた伝統や文化を徹底的に破壊し否定し、黄金や宝石などの貴重品は全て持ち去り、農地は、現地の人々に必要な作物は全て抜き取られ、香辛料など欧米社会で必要とされる物を栽培させ、タダ同然で持ち去るという蛮行を繰り返したのです。
ここには文明の衝突が有ります。
神の御名の元に全てが許されるとする免罪符という思想と、万物を神として崇敬し感謝の念を持ち、全ての生命は平等だとする神道の考え方。
此の二つの衝突こそが大東亜戦争だったのです。
それ以前に、エデンの園を追われたアダムとイブは、労働という苦役を余儀なくされ・・
キリスト教文明圏では労働は苦役であり、罪の償いという考え方が有ります。
我が国では、最高神の天照大御神みずから稲を植え旗を織り・・労働は神事であり神聖なものとする価値観。
労働に対する価値観の違いも洋の東西で大きく違う。
この違いこそが、大東亜戦争を経ての東南アジア諸国の独立にはじまり、それまで植民地だったところが次々に独立を果たすきっかけになったのです。
植民地を失った恨みと、人種的偏見が連合国の声明・・
ドイツと我が国に対する姿勢の違いとなって表されているのです。
このロジックは毛沢東も使っています。
「日本国民は悪くない。軍国主義に走った軍人だけが悪かった」
同じでしょ。
世界抗日戦争史実維護連合会・・この団体の正体は欧米列強の植民地時代に欧米の手先として植民地から多大な利益をあげていた華僑てす。
東南アジア諸国が独立を果たした事で、東南アジアにおける権益を失ったばかりではなく、欧米の手先として植民地支配に加担していた事が明るみに出ますと・・・
アジアの裏切り者として歴史に刻まれる事になります。
キリスト教でいうところのユダのように・・
中国人は完全に信用をなくし、アジアから完全に孤立する事になりかねないのです。
中国とキリスト教文化の共通性・・支那には古より神仙思想というのがあります。
徳を積み仙人となって仙界で優雅に遊んで暮らす。
ここにも労働を世俗にまみれた苦役とする思想があるのです。
きちんと歴史的経緯を知れば、洋の東西の思想の違いは明らかで、ドイツを見習え論は、言葉の表面だけをなぞっているだけの薄っぺらいものなのです。
其の上で、ヒトラーの蛮行は罪深いものですが、第一次大戦の敗戦で完全に破壊されたドイツ経済を立て直した手腕は評価されなくてはなりません。
ホロコーストのような蛮行だけを言い募るのではなく、経済政策は評価されてこそ正当な評価に繋がり、隠された歴史の真実も見えて来るのではないでしょうか。
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ねむ太さま (kuranishi masako)
2015-02-14 21:47:19
 コメントをいただきまして、ありがとうございました。
 マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という書物においても分析されておりますように、キリスト教とは申しましても、プロテスタントの場合には、勤労の精神が尊重されているようです。職業を英語では、”calling”、ドイツ語では"Berufe"とも言いますが、何れも、元の意味は、神からの与えられた使命なそうです。『聖書』のアダムとイヴのお話でも、神は、りんごを食べてしまった後の二人の姿を見て、神に近づいたと述べたのですから、キリスト教でも、神もまた、仕事をしていること解釈できます。
 お話が少しずれましたが、ドイツが、過去の歴史の検証まで許されていないとしますと、日本国の方が、まだ、”まし”であるかもしれません。戦後70年が経過し、植民地主義も否定されたのですから、主権平等に基づいた、全ての諸国に公平な国際秩序こそ望ましいと思うのです。
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