「追求方式の授業」を理解してもらうには、多くの困難がある。今までの一般的な授業法や指導書等に掲載されている授業法とは異にするところが多々あるからである。(実際には国語で言うならば文章に着目して学習することでは、なんら変わりはないことであるが・・・)
それでは、なぜ理解してもらえないかというと
○人間は今までやってきた経験からなかなか抜け出せない。
○違うものは、拒絶反応を示すことが多い。
○口で言ってもわかってもらえない。本を読めと言っても切実感がないので読まないことが多い。
○事実を見ようとしない。実際に見てよいと思っても、「しかし、だけれども、でも」をつけて言い訳をしてしまう。
などからだろう。
こうした場合は、何と言っても子どもを育てて事実で示すしかない。追求方式の授業をすれば、子どもが変わること、授業が変わること、学級が変わること、生活態度が変わることなどを実践によって明らかにしてやることであろう。目の前でこれらが変わっていけば授業者も変わらざる得ないと思うからである。また、あきらめないで訴え続けることも大切である。その場合は、できるだけ論理的で説得力のある具体的な事例を示してやったり、授業の相談にのってやることである。「追求方式の授業」を経験され、少しでも実績がある先生は、是非よろしくお願いしたい。各校で広めてほしい。
※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。
追求方式の名称も美味しさが感じられません。売るためには名称も、簡明さも必要です。
管理人様は頭が良すぎて、実践力もあります。他人が学ぶには高すぎる目標のように思えます。
人は馬鹿。先生も馬鹿。家の子供は二人とも先生。馬鹿だからそれなりにやっています。裸で生徒と接しているだけでしょう。
確かに残念です。私も同じように感じます。管理人様がこのような記事を書くとは。
理由は、この論を広める馬鹿がいない。矛盾した馬鹿への要求を満たすことを考えてみたら良いのかも。