松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

第25回 授業研究の会(浜松の会)の御案内

2012-08-31 20:57:02 | Weblog


第25回 授業研究の会(浜松の会)の御案内

~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~

 一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。
 それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。
この浜松の会では「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」をテーマとして研修しています。ここでの学びは、具体的であり、実際的であり、実質的なものです。それだけに確実に得るものがあり、上記のテーマの実現が可能です。
この会は、偏向的な教育や思想はしていませんので、安心して学ぶことができます。どなたでも自由に参加できます。まだ、参加されたことのない方は、是非覗いてみてください。
 多くの皆さんの参加をお待ちしています。

 今回は、私の持っている教育書を先生方にお分けします。斎藤喜博やその関わりの
ある先生や学校の著書、佐藤 学、浜田靖二などの多数の本です。大変参考になるよ
い本ばかりです。多数の先生方の参加をお待ちしています。      河 島


1 開催日時
平成24年9月8日(土)9:00~12:00

2 開催場所
浜松市天竜壬生ホール第2会議室

※時間厳守ではありませんので参加できる時間で結構です。
※服装は自由です。
※駐車場はあります。

3 研修内容
○ 国語、算数を中心とした各教科
○ 音楽、図工、体育などの実技教科
○ 学級づくり
○ その他
 本研究会の学びの特徴
・具体的な教材とか写真とかDVD、テープとかの事実を対象にして考える。
・参加者からの実践があればそれをもとにして考える。
・音楽、体育、図工、その他の実技をする。

4 準 備 物
○ 実践したもの(ある人)
○ 教材研究をしてほしい教材がある人(10部印刷持参)
○ 筆記用具
○ 国語辞典
○ 会費 300円

5 この会の研修内容や実践の証、考え方は下記のブログをご覧になれば、おおよそ理解できると思います。検索してください。
○浜松授業研究の会
○totoroの小道
○藍色と空色と緑のページ(各教科等の実践が掲載されています)
○松明光明


ああ!昆虫採集~3トンボ採り~ぐるぐる指回し捕獲法は有効か~

2012-08-26 18:44:19 | Weblog



 トンボの捕獲法で、なるほどと思われることが書かれていたので、少し長文になるが紹介します。
 日本昆虫協会の奥本大二郎さん著『昆虫を採る愉しみ』によると


・・・・・もちろん網がなくても、トンボは採れる。その場合は、かぶっている帽子を捕虫網の代わりにして、とまっているトンボを狙えばいい。それでは、帽子がないときはどうすべきか。もちろん、素手で翅をつかめばいいわけだが、そのとき、ちょっとしたこつがある。
 手で採るとき、ついつい私たちはおっかなびっくり、そーっとつまもうとしがちだが、これは逆効果。モタモタしていると、意外と逃げられやすいものである。
 正しいやり方は、スピード勝負。横からパッと手でかすめて採るようにするのが極意である。そのとき手でグシャッとつかんではいけない。トンボをすくうような感じで、手のひら全体でフワッと包み込むようにするとうまくいく。
 それからトンボといえば、だれもが知っているのが、指をくるくる回してトンボの目を回すという手法である。しかし、あれは本当に効果があるのだろうか?ただのおまじないなのか、理屈あっての捕獲法なのか。大人になった今でも、疑問に思っている人も多いのではないだろうか。
 そこで、この方法の正しい使い方をご紹介しよう。コツは、ぐるぐる描く円を徐々にすぼめていくいくこと。つまり、指をくるくる回すのはトンボの目を回させるためではなく、怪しまれずに、徐々にトンボに手を近づけていくための手段なのである。円を少しずつ小さくしながらトンボの翅に近づけていって、最後にそのまま指で翅をピタリとつかむ。こうすれば、トンボを驚かせずに採れるというわけだ。一度、実験してはいかがだろう。
 


 今はトンボの季節である。これからは、赤トンボも出てくる頃である。子どもたちにもこれらの捕獲法を教えてやろう。 




ああ!昆虫採集~2~

2012-08-25 12:01:41 | Weblog


 カブトムシのオス、メスのつがいが400円で自動販売機で売られている。全長8センチのオオクワガタが数百万円で売られている。川柳には「カブトムシ 買って木に止め 息子呼ぶ」などとある。これらを見たり、聞いたりすると愕然とする。なんと寂しいことか、なんと情けないことか、残念なことかと思う。
 それにしても、いつからこんなになってしまったのだろう。だれが数百万円も出してクワガタを買うのだろう。・・・・・
私の子どもの頃を思うと、やっぱり昆虫を店で買うのは味気ない。自分の手で山野に入り捕まえるべきであると痛感する。
 クヌギの木の幹に砂糖汁をしみ込ませたガーゼを前の晩に仕掛けておく。翌朝4時ごろ飛び起きて、ぶっ跳んで行くとカブトムシがその砂糖汁をチューチューうまそうに吸っている。そのカブトムシを手でグワッと掴む。カブトムシの手足の動きが手に伝わってくる。また、あの腰のあたりがエナメルを塗ったように青光りする美しいギンヤンマ、それを池の端で箒を持ち構え、たたき落として手にしたときの羽のふるえの感触。昼頃になるとじわじわと木の低いところに降りてくるクマゼミを素手で捕まえる。そのときのクマゼミのがっしりとした胸板。どれも興奮したものである。
 これらのことは、この年齢になっても昨日の出来事のように覚えている。そして、この豊かな体験が、今の自分の生き方にも少なからず影響を与えているようである。

ああ!昆虫採集~1~

2012-08-23 10:11:26 | Weblog


  日本昆虫協会会長である奥村大二郎さん著『昆虫を採る愉しみ』(青春出版)の前書きのなかで、


 かつて、夏休みの宿題といえば、絵日記や工作とならんで、昆虫採集が代表的なものであった。新学期が始まってイヤーな気分で学校に行くと、畳敷きの家庭科室に座り机が並べられ、その上にずらりと手製の標本箱が置かれていた。父親に造ってもらったらしい木製のものもあったけれど、大抵はワイシャツの箱(その頃はワイシャツもまだ貴重品で、枠を切り抜きセロファンを張った白いボール箱に入っていた)その底にコルクを貼りつけ、翅のだらりと下がった蝶や、踊りを踊っているように肢の乱れた甲虫の標本が刺してあった。・・・・・その頃の子どもは外でよく遊んだ。私の家の近所には泳げるような川はなかったけれど、田圃の横の水路で、フナやドジョウや水生昆虫を採ったし、ギンヤンマは光り輝く憧れの虫であった。あの、口から心臓が飛び出すような興奮は今も忘れ難い。

 私も子どもの頃は夏休みに昆虫採集をよくしたものである。従って、この文章を読むと大いに共感し、「ああ、そうだよね」と嬉しくなってしまう。
 この本で奥村大二郎さんも別の項で書かれているのだが、もあまり外で子どもを見かけない。たまに子どもを見ても小綺麗な服装をして、塾に行くためのカバンを持ったりしている。学校、塾、テレビゲーム。本当にこれでいいのだろうか。まったく私も同感である。

授業が御馳走になるとは

2012-08-21 14:27:21 | Weblog
  

 よい授業は、授業のなかに、こんな楽しい子どもの表情がでるものである。それは授業が子どもの御馳走になっているからだ。教師が授業の中で御馳走をつくり出し、それを子どもたちが満足するまで食べさせるのも教師の一つの働きである。そういう場面が授業にはなくてはならないことである。        
「斎藤喜博の仕事」より



私の経験でも多くはないがこういう授業があった。そんなときは、必ず教師がその教材に興味を抱き、教材研究をしっかりやっていたときである。こういう授業ができたときは、本当に子どもは御馳走を食べたような満たされた表情をするものである。また、教師も満たされた気持ちになり、次への授業の励みになるものであった。

わく(枠)をはめる教育

2012-08-16 14:13:25 | Weblog


 斎藤喜博著の「授業研究」のなかに、次のような文章がある。
跳び箱の台上にチョークで線を引いてしまうことは、教師の持っているものを一方的に押しつけ、それを固定させることになる。ですから子どもはそこに手をつくことだけを考え、目はチョークの線だけに集まっています。
 そうではなく、チョークの線など書かないでおいて、跳び箱全体を、さらに跳び箱の向こう側まで見させたほうがよい。そうでないと全体が見えないから、全体のバランスをつくることができず、美しいリズムで、ふわーっと美しくとぶことが、高学年にいってもできない。
 チョークで書いた線を見るということは、そこにわくをはめられていることであり、一つの部分にしばられてしまうから、助走も踏み切りもだめになる。助走から踏み切り、踏み切りからとび込みのリズムの快感をからだに持たせることができない。とび終わったとき、ふりかえってみて、「いまいい気持ちでとべた。手はどこだったんだろう」と考えてみるような子どもにならない。


私も跳び箱の指導で台上に線を書いた。でも、それは初期の段階でどうしても跳び箱がとべない子どもの指導のときである。しかし、とべるようになればやはり助走、踏み切りとび込み、着地という全体の流れやリズムを大切にした。 私の見てきた教師のほとんどはとべれば合格で指導が終わりというものであった。全体の美しさやリズム、またはとび終えたときの快感など考えてもいないようであった。
 斎藤喜博の教育の深さは、単にできるとかできないということではなく、「美しさ」を大切にしていることである。また子どもの「自立性」とか「創造性」を大切にしていることである。現在流行の「安直な教え込み教育」に一番欠けているものであろう。

授業のモデルを持つことの大切さ

2012-08-16 14:13:25 | Weblog


あなたは憧れの授業のモデルを持っていますか。例えば、○○小学校のような授業、○○先生のような授業をしたいという授業のモデルです。
 このような憧れの授業のモデルを持っているのといないとでは大きな違いがあります。我流の授業、その場その場の刹那的な授業はダメです。子どもも教師も絶対に伸びません。
 私の場合は、若い頃から学校づくり、授業づくりの憧れのモデルを持っていました。ですからそのようなモデルに近づこうと勉強することができました。モデルを持たなければ成長したくてもどのようにしたらよいのかわかりません。大切なことは、そのモデルができるだけ具体的なものでなければならないことです。また、モデルを持つには、広い視野、誰からでも学ぶという姿勢が重要です。

幼稚園ってどんなところ~5親との肌の触れ合いが元気な子どもを育てます~

2012-08-12 09:39:19 | Weblog


 前号と同様に「幼稚園とはどんなところなのか」私なりにまとめてみました。保護者の皆様にもそれを紹介していこうと思います。このことにより幼稚園の理解をいっそう深めていただければと思います。読んでいただき、感想や御意見などありましたらお寄せください。

5 親との肌の触れ合いが元気な子どもを育てます
 
 父親参観会がありました。ほんとうに子どもも親も楽しそうでした。体操をしたり、竹馬をしたりして、いい汗を流し、子どもとのつながりをいっそう深めることができたようです。
 子どもとはたくさんの肌の触れ合いをもっておくことがよいと言われています。親との触れ合いが精神を安定させ、明るい元気な子どもを育てるといいます。幼児期の子どもは抱き上げるには重い場合もありますから、座ったり、寝ころんだりしながら体操するといいでしょう。また、座って抱っこしながら絵本を読んであげるようにするとよいでしょう。抱っこしてあげることによって、親子の信頼関係ができ、子どもの心理状態も安定するそうです。
 子どもが心理的に不安でいると、入園のとき登園を嫌がったり、友達と一緒に遊びたがらなかったり、集団生活になじめなかったりするようです。お母さんとお父さんが自分を愛している、と自覚していない子どもは家庭の外に出ることにとても恐怖を感じるといいます。
 また、親が神経質になりすぎて、子どもに小言ばかり言っていたり、少しでも悪いことをしたら叱ってばかりしいていると、子どもは常に叱られるのではないかという恐怖感を持ち、不安な状態になるようです。叱るときは理屈を言わずに叱り、その後は抱っこなどして肌と肌との触れ合いを持つようにしましょう。小学校に入ってからも親が子どもを抱っこしてあげることが必要です。

子どもと教師の表情

2012-08-09 15:32:52 | Weblog


 子どもと教師が熱中し、集中している授業は、子どもの表情も教師の表情も、生き生きと輝いている。のっぺらとした無表情ではない。
 授業が成立しているかどうかは、子どもや教師の表情で見極めることができる。子どもや教師の表情がよいときは、今取り組んでいる授業の内容や指導が効果を上げている証拠といえよう。

かけ声倒れにしない

2012-08-05 10:58:22 | Weblog
 
 
 学校(園)の教育目標や研修目標は、そのまま飾っておいても唱えてみても実現しない。つまり、子どもは変わっていかないのである。なぜか、それは、子どもの身体や脳をリアルに通っていないからである。
どうすればよいか、子どもが変わるための言葉がけに絞って言うと、次の3点に留意したい。

 1 難しいことも単純明快に
 2 なにをすべきか具体的に
 3 繰り返し話しかける
 
 この三つを教師が心がければ子どもは変わるはず。
 目の前の子どもに伝わる明解さと、具体性が必要である。