松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

ここに学校教育の本質が見える:斎藤喜博著「君の可能性」より

2019-06-19 10:18:47 | Weblog
                 斎藤喜博写真集【いのち、この美しきもの】より

こに学校教育の本質が見える・・・こんな学校をつくりたい、こんな教育をしたい
斎藤喜博著「君の可能性」:卒業式での小学校6年生の答辞から
 ・・・・・私たちは今日まで、勉強の中で、また、体操会、水泳大会、運動会、音楽会等、たくさんの行事の中で、いろいろ学びました。
 跳び箱を美しく跳ぶために、助走や踏み切りが大切であることも、集中したよい助走ができると、踏み切りもやわらかくなり、跳び箱も美しくとべることもわかりました。十の力を十五にもしてがんばった水泳も、最初、力だけで泳いでいたときは、少しも進歩しませんでしたが、ていねいに、浮くことから練習し、呼吸やリズムを覚えると、自分でもおどろくほど楽に泳げるようになりました。
 水泳で覚えた呼吸法は音楽にも役立ち、二学期になると自分でもおどろくほど声が出るようになってきました。
 算数や国語は頭のよい子がよくでき、跳び箱や水泳は運動の得意な子がよくでき、声のよい子が歌がうまいと、きめつけてきた私たちの考えは、これらの勉強の中で一つ一つくずされていきました。先生に教えていただいたとおりに、ていねいに基礎から勉強していけば、だれでも泳げるようになり、とべるようになり、歌えるようになるのだということがわかったとき、私たちは、勉強に自信がわいてきたのです。そして学校が楽しくなってきたのです。
 この六年間、私たちは、いつも高い目あてがありました。上級生が示してくれた、美しい跳び箱や、美しい泳ぎや、美しい合唱などへのあこがれが、そのまま、私たちの目あてでもあったのです。
 六年生になったとき、私たちは、今度こそハレルヤが歌えるという期待とよろこびでいっぱいでした。今までのどの歌より慎重にパート練習をしました。いよいよ合唱することになって、先生が前奏をひきはじめたときの胸の高鳴りと、歌い終えたときのほこらしい気分とは、今でもはっきりと覚えています。・・・・

 私はこの文章を読んで以下のことを感じた。これらはどれも学校教育の本質を示しているものと思われる。
○「跳び箱を美しくとぶために、助走や踏み切りが大切である」・・・すべてのものごとをするには、その前後に十分に気を配ることが大切である。
○「力だけで泳いでいたときは、少しも進歩しませんでしたが、ていねいに、浮くことから練習し」・・・「ていねい」これは心をつくることである。すべての学びの基礎である。
○「私たちは、いつも高い目あてがありました。」・・・自分の持っている力より、少しでも上を目指し努力するとき、集中力が養われる。また、それが達成できたときの自信や勇気は格別である。
○ 「上級生が示してくれた○○のあこがれが、そのまま、私たちの目あてでもあったのです。」・・・上学年にいくほど子どもが育っていることは学校教育として責任が果たせているといえる。こういう学校にしなければならない。下級生が上級生にあこがれ自分たちもそれを目指すのだという学校にしなければならない。
○「『○○がよくできる子』と、決めつけてきた私たちの考えは、これらの勉強の中で一つ一つくずされていきました。」・・・質の高い学びは学力の差が埋まるものだと考える。あんちょこな知識や常識だけを必要とする学びでは、できる子もできない子も進歩はない。
○子どもは、友だちや教師からの影響を大きく受けて育つものである。
◎政府や経済界からの学校教育への要求が多くなる一方では、このような教育ができにくくなるばかりである。ほんとうに残念なことである。


※第94回「浜松授業研究の会」は2019年7月13日(土)9:00~12:00
 場所は浜松市天竜区「天竜壬生ホール」の2階会議室です。多くの参加者を願っています。

※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。













初任の先生方へー①学級づくり

2019-06-06 17:44:18 | Weblog


 ドッジボール大会等のイベントをやって、仲間づくりをすることが学級づくりと考えている先生がいないだろうか。しかし、そんなことで学級づくりなどできるものではない。学級づくりは授業の中でするものだからである。
 学級づくりの原則には次の3つの柱があると考える。1つは「学級の雰囲気づくり」2つは「子どもの価値観を変える」3つは「子どもの学習能力の形成」をするである。以下、述べてみる。

1学級の雰囲気づくりをする
重要なことは、安心してものが言える学級の雰囲気をつくることである。分からないことがあたりまえ、まちがっても大丈夫をしっかりと子どもにわからせたい。

2子どもの価値観を変える
子どもの価値観は、授業とはこういうものだとうことを変えることである。つまり、授業とは先生が教えてくれるものだ。ということから、授業とは僕たちが進めていくものであると。学級とはみんなで何か一つのものをつくっていくところだと。友達とは自分たちの価値観を高めるものだと。自分観とは自分としては、こんなことしかできない限界があるのだというようなものから、やればできるものだと変えていくことである。

3子どもの学習能力の形成をする 
1つは自分の考えを持つ、そして自分の考えを言う、そして、人の考えを聞く、これが基本である。そうして、コミュニケーション能力を育てる。あとは、問題をつくる能力だとか、証拠を見つける能力だとか、イメージを持つ能力だとかである。
とりあえず自分の考えを持つ、①か②か全員手を挙げる、これが全員参加になる。あと、意見を持つ、友達の考えを聞く、この3つを4月(1学期ができなかったら9月の始め)最初に徹底してやり続けることが大切である。大事なことは教師が妥協しないことと徹底してやる姿勢である。徹底とは2つあって、子どもにやり切らせること(つまり,教師がやりきること)と一人の子どもも残さないことである。

 私たちはよく体育などをやっていて、跳び箱など5,6人ができなければ、このままできなくてもいいや、となる。もし、そこでできない子どもをつくってしまうことになると他のことでもできない子どもをつくってしまうことになる。必ず全員ができるようにすること、それが原則である。本当に体の肉体的なことでできない場合はしかたがないけれどもできることはやらせることである。だから意見を持たせるというのは、必ずできるのでやらせなければならない。

 もう一つは価値観の徹底である。「教室は間違うところだよ」と言っておきながら、子どもがガラスを割ると「だれがやった!」「どうして割った!」と叱る。「友達の間違いから学ぶ」と言っておきながら、指導が一貫していない。いつも「自分で課題を求めて行動してね」と言っておきながら、「はい、一列に並びましょう」などと指示命令をやっている。これでは子どもは先生の価値観で生きていくことになる。先生の言うことでしか動かない人間になってしまう。だから、指導の徹底とか一貫とかは大切である。

 ただ、学級づくりというのは、生徒指導と同じように授業の中でやることが大切である。よく学級経営は授業とは別のところでと考える先生がいる。ドッチボールをして楽しくやろうとか、仲間づくりをしようとか、イベントを打つ、それは本物にならない。授業の中で追求していく子どもをつくることによって学級づくりをすることである。


※第94回「浜松授業研究の会」は2019年7月13日(土)9:00~12:00
 場所は浜松市天竜区「天竜壬生ホール」の2階会議室です。多くの参加者を願っています。

※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。