松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

教師の資質として、子どもの砂金を拾う力

2010-11-30 19:42:54 | Weblog


 子どもは授業の中でも、生活一般の中でも、断片的ではあるがよいものを出してくる場合が多い。
 授業中の発言の中に、書写や絵の作品の中に、一見だめだと思われる中に、よく聴き取ると、よく見ると必ずよいところがある。教師はそれを目ざとく見つけ出し、本人や学級全体の子どもたちに教えたり紹介したりすることが大切である。そうすることにより、本人は自信を持ち、学習に意欲的に立ち向かうようになる。また、学級全体の学びの参考にもなる。私は常々子どもを教育するとき、これを基本としている。
 ところで加藤秀俊(放送大学学園)教授は、「わたしの知的生産の技術」という本の中で「情報の中から砂金を拾う」というタイトルで次のような文を書いている。
 ・・・砂金堀りが川底をさらっていると、ほとんどが砂ですが、たまに金を見つけるわけです。つまり、その気にさえなってみれば、きわめて雑然とした情報の中からでも、砂金を見つけ出すことができるということなのです。・・・(後略)
このことは、子どもの教育にもあてはまるものと思われる。教師の資質として、子どもの言動の中から砂金を拾い、つかみ出す力は、絶対必要であると思う。

第8回 授業研究の会(浜松の会)案内

2010-11-27 22:10:48 | Weblog
                                     【オペレッタ:あほろくの太鼓より】


~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~

 一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。
 それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修ではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。
この浜松の会では「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」をテーマとして研修しています。ここでの学びは、具体的であり、実際的であり、実質的なものです。それだけに確実に得るものがあり、上記のテーマの実現が可能です。
この会は、偏向的な教育や思想はしていませんので、安心して学ぶことができます。どなたでも自由に参加できます。まだ、参加されたことのない方は、是非覗いてみてください。
 学校行事も一段落です。今が一番勉強のできるチャンスです。いや、いつでもできるのですが忙しいを理由になかなかやらないのです。
 どうぞお誘い会わせて、お出掛けください。多くの皆さんの参加をお待ちしています。

1 開催日時  平成22年12月 4日(土)9:00~12:00
2 会  場 天竜壬生ホール・第2会議室
※駐車場はあります。
3 研修内容 ① 国語を中心とした各教科
② 音楽、図工、体育などの実技教科
③ 学級づくり
④ その他
4 準 備 物 ○ 実践したもの(ある人)
○ 教材研究をしてほしい教材がある人(10部印刷持参)
○ 筆記用具
○ 国語辞典
○ 会費 300円
○ 服装は自由


※ブログリンク
①totoroの小道
②藍色と空色と緑のページ(各教科等の実践が掲載されています)


5年国語(光村)「大造じいさんとガン」の授業から

2010-11-24 20:46:09 | Weblog



 5年国語(光村)「大造じいさんとガン」の授業を参観する機会があった。中堅の力のある教師で、落ち着いて授業ができていた。子どもたちも学習方法がよく身に付いており、グループ学習も発言も積極的であった。だから、一般的な授業よりも水準が高いと感じた。
 しかし、毎度のことであるが、授業を見て、ああ、やっぱりなーと感じた。子どもたちはよく発言しているのだが、発言の内容が登場人物の気持ちや心情が多く、解釈の違いによる話し合いがなされることが少なかった。これは教師の教材解釈の弱さもしくは教材解釈そのものを怠っていることに原因があると思われた。
 この授業の本時のめあて「残雪の戦う姿を目にした大造じいさんの気持ちの変化を読み取ろう」はいいとしても、ただこの時は大造じいさんは○○の気持ち、ここでは○○の気持ちだけでは、みな同じような意見が並ぶだけである。これでは話し合いによる新しい考えが生まれることはない。また、話し合う必要性もない。○○の気持ちになったのは、どの言葉で、それはいつからなのか、その原因は何かなどといったように言葉や文に着目していかなければならないと思った。

 本時の授業の流れ
本時のめあて
残雪の戦う姿を目にした大造じいさんの気持ちの変化を読み取ろう
大造じいさんの気持ちの変化をまとめましょう(教師の解釈)

大造じいさんは、残雪に何年もやられているので、今日こそ倒して
やると敵対心を高めていたが、勇かんに仲間を助ける姿を見て驚き、
じゅうを持つ手に力が入らなくなった。最後の時を感じても、頭領と
してのいげんを保とうとする残雪に、ただの鳥とは思えない尊敬のよ
うな気持ちが生まれてきた。

授業のあらまし
C 背筋は伸びていますか、始めます。(起立して礼をする)
T 前の時間の復習をしましょう
T 今日のめあては、「残雪の戦う姿を目にした大造じいさんの気持ちの変化を読み取ろう」です。大造じいさんの気持ちの変化しているところに線を引いてください。
T 読む(教師)
T どこに線を引きましたか
C 55の再びじゅうをおろした
T 同じ人
C 多くが挙手する
T ほかにありますか
C おおきなかげが空をよこぎりました
T 今は、残雪でなくて、大造じいさんの気持ちを発表してください
C 38の大造じいさんがかけつけました
C ぐっと残雪をねらいました
C 今日こそ、ひとあわふかせてやるぞ
C ただの鳥に対しているような気がしませんでした
C 冷え冷えするじゅう身をぎゅっとにぎりしめました
C 東の空が真っ赤に燃えて
T 今日は
42の今日こそひとあわふかせてやるぞ
55の再びじゅうをおろした
65の強く心を打たれて、ただの鳥に対しているような気がしませんでしたの3つを考えましょう
T 42,55,65のつながりを考えてグループで話し合ってください
C すぐグループ学習に入る
42の今日こそひとあわふかせてやるぞ
C ここでは大造じいさんの気合いがわかる(Aグループ)
〃 決意がわかる(Bグループ)
〃 気合い十分(Cグループ)
〃 やる気がある(Dグループ)
C 今度こそつかまえられるぞ
55の再びじゅうをおろした
ここでは大造じいさんのまよいがわかる(Eグループ)
C まよいとは、仲間を助けるところをみてしまったから
C 下ろしてしまいました・・・はひどいことをしてしまいそうになった
T リレー発言どうぞ
C ひとあわふかせてやるぞのところでは、今日はぜったいに勝ってやるぞ
C 東の空が真っ赤に燃えてでは、燃えているので気合いが入っている
C くちびるを二、三回静かにぬらしましたでは今からはじめるぞ
C 一回落ち着く
C また失敗しないように
C 再びじゅうをおろしたでは、仲間を助ける姿におどろいたので
C まよっていた
C 仲間の残雪を助ける行動
T 戦いの様子を見ていたのね、戦いに見とれている
T 強く心を打たれて、ただの鳥に対しているような気がしません
C ふつうの鳥でない
C ただの鳥に対しているような気がしませんでした
T 心情曲線(子どもと話し合いながら、大造じいさん残雪の心情曲線を板書の上に描いていく)
時間がきて終わる

☆ この授業でよかったところ
○ 教師の指導の声がよい(大きさ速さ)
○ 文番号が教科書に書いてある。文番号で発表できる
○ 教材の拡大コピーを教室側面に貼ってある
○ 黙って素早くグループ学習ができる
○ 司会や話し合いができる(学習方法が身に付いている)
○ 子どもの反応がよい
◎ この授業の問題点
○ 教材解釈が違う
大造じいさんは、ぐっとじゅうをかたにあて残雪をねらいました。が、なんと思ったか再びじゅうをおろしてしまいました。
ここでの課題は、「大造じいさんは再びじゅうをおろしたのはどうしてか」であった。子どもたちは大造じいさんが再びじゅうをおろしたのは「大造じいさんは、残雪が仲間を助けるところを見てしまったから」とか「ひどい(卑怯)ことをしてしまいそうになった」とか、そして教師も「勇かんに仲間を助ける姿を見て驚き、じゅうを持つ手に力が入らなくなった。」というように解釈している。
 しかし、これらは、大造じいさんがじゅうをおろしてからの出来事でる。時系列で考えてみてもおかしいのである。
 子どもも教師もよく文章を読んでいない。感覚とか思い込みで読んでしまっているからこのようになってしまったと思われる。しかし、私が見てきた多くの授業はほとんどこのようであった。
 私の考えでは、1の場面で「残雪は、この沼地に集まるガンの頭領らしい。なかなかりこうなやつで、なかまが餌をあさっているあいだも、ゆだんなく気をくばっていて、じゅうのとどくところまで、けっして人間をよせつけませんでした」の文をしっかり読み取ること大切であると思う。
 あさる=餌を探し求める。餌をあさっているあいだもの「も」=もっとも実現しやすく、条件としては最低のものであることを示す。・・・  さえ。・・・でも。これで考えると、餌をあさっているあいだは、もっともゆだんしているときである。つまり、りょうじゅうにねらわれ打たれる可能性が大きい。ゆだんのなかでも最高のものである。ゆだん=気をゆるして、注意を怠ること。気をくばる=注意する。配慮する。けっして=絶対に。断じて。絶対=他に並ぶもののないこと、どんなことがあっても。よせつける=近寄せられる。寄り付かせる。
 これらをこの文に当てはめて考えると「残雪は、頭のよい、かしこい鳥で、なかまが餌を探し求めている一番ゆだんしているあいださえも気をゆるすことなく、りょうじゅうのたまのとどくところまで、絶対に人を寄り付かせることはなかった」と解釈してよいだろう。
 そうすると、こんなにも注意深い、気を許すことのない残雪が大造じいさんの近く(りょうじゅうのたまのとどくところ)に来たことに大造じいさんは、何事が起こったのか驚き、不可解に思いじゅうをおろしたと解釈される。


公立学校の仕事とスポーツの勝負の世界

2010-11-22 20:22:43 | Weblog



 公立の学校は、つぶれることはない。教師は、とんでもないことをしない限り懲戒免職はない。給料も下がることはあまりない。つまり、適当にやっていても(そんな教師はほとんどいないが)安泰なのである。
少し以前のことであるが、静岡新聞の「大自在」にジュビロ磐田がナビスコ杯12年ぶりの優勝をしたことについて、次のような文があった。
 ■中山雅史を筆頭に、多くの日本代表がそろったかつてのジュビロは、見ていて気持ちがいいほど強かった。相手ゴール前で小気味よく通るパスは全国のサッカーファンをうならせたものだ。しかし、黄金期は長続きしなかった。■どんなスポーツでも勝ち続けることは至難の業だ。常に強豪といわれるチームが主力選手を放出してまでも若手を起用したり、戦い方を大胆に変えたりするのは、チームの新陳代謝を図らなければ頂点から転げ落ちることを知っているからだろう■J2降格の危機から2年。今は若手も育ってきた。どん底を味わったチームが再び手にしたタイトルは常勝軍団入りの切符だと思いたい。(後略)
私はこの文章の中で、「常に強豪といわれるチームが主力選手を放出してまでも若手を起用したり、戦い方を大胆に変えたりするのは、チームの新陳代謝を図らなければ頂点から転げ落ちる」というところに目がいった。何という厳しさであろうか、
子どもを育てるという学校と勝ち負けを競うプロスポーツと比べるわけにはいかないが、学校がその仕事の成果を上げるために、どれだけの努力をしているかというとプロスポーツの世界には到底及ばない。
 スポーツチームの「常に強豪→主力選手の放出→戦い方を変える→新陳代謝」を見たとき、学校ができることはないだろうかとつくづく思ったりする。

※下記のブログも検索しご覧ください。
①totoroの小道
②藍色と空色と緑のページ(各教科等の実践事例が掲載されています)

授業研究の会(新城の会)の報告

2010-11-20 23:27:08 | Weblog



○11月20日(土)9:30~15:30 愛知県新城文化会館

1 国 語
   5年 詩「鰹釣り」の解釈
2 図 工(実践報告)
  1年   描画「大きな木」
  2年   描画「スルメ」
5年 描画「校舎」
  5、6年 描画「顔」
  3年 描画「顔」「顕微鏡を見る友達」
3 体 育(実践報告ビデオにて)
  全学年「マット、跳び箱運動」
4 音 楽(実践報告ビデオにて)
   5,6年 三部合唱「五木の子守歌」
5 国 語
   5年 実践した授業のビデオ視聴「大造じいさんとガン」
   2年 物語文「おとうとねずみ チロ」の教材解釈
   2年 実践した授業のビデオ視聴「手ぶくろを買いに」

※ 今回も有意義な会であった。参加してはじめて感じることである。    
若い教師が、この最高と考えられる授業法を学び、確実に力をつけている。毎回その実践を持ってくるが、その度に進歩している。これが真の研修である。
  進むべき道があり、それに努力している教師や子どもたちは幸せである。一人でも多くの教師に参加してもらいたい。
私は既に退職し、初任者指導の仕事をしているが、自分で学級を持つのでもなく、授業をするのでもない。この会に毎回参加し勉強をしているのは、少しでも若い教師に伝えたいからである。また、何よりもこの会の学びに惹かれているからである。

4年国語(光村)「一つの花」の授業から

2010-11-13 11:38:57 | Weblog


 4年国語(光村)「一つの花」の授業を参観する機会があった。中堅の力のある教師であり、子どもの扱いも上手く、やさしい。ですから一般的にはよい教師であり、授業も水準を超えていた。
 しかし、授業を見て、ああ、やっぱりなーと感じたところがあった。「やっぱりなー」とは、この教師だけに言えることではない。大半の教師はこのような授業になるであろう。授業の流れのおおよそを記して、問題点を考えてみる。

 授業の流れ
本時のめあて
 ◎お父さんはどんな気持ちでゆみ子に「一つだけのお花」をわたした
 か読み取ろう。

T ゆみ子に対するお父さんの気持ちが分かるところに線を引き、発表しましょう。
C 「みんなおやりよ、母さん。おにぎりをー」
C わすれられたようにさいていていたコスモスの花を見つけたのです。
C 一輪のコスモス
C 「一つだけのお花、大事にするんだようー。」
C 喜びました。
C それを見てにっこり笑うと、何も言わずに
C 一つの花を見つめながらー。
※ 教師は子どもの発表したものを上記のように板書した。
T なぜ、ゆみ子は喜んだのですか。
C 花をもらったから
T みんなにとって一つしかないものはなんですか
C 命
C 体
C 家族
C おじいちゃん、おばあちゃん
T コスモスはどこにさいていた。
C ごみすて場
T 戦争中にさいている。生き残っている。
C ゆみ子に強くなってほしい。
C 元気でいてほしい。
C 成長してほしい。
T このようなゆみ子へのお父さんの思いがあった。
T 一つの花を見つめながら、笑った。ここで安心したんだね。
T 一つの花は最後の思い出だね。


※ せっかく子どもが考えを出しているのに、それを使わない。教師の考えている都合のよい意見だけを取り上げている。
Tの発問や説明は、教師の考えに導く誘導発問である。
※ ここでの教材解釈もおかしい。まるでお父さんは、このコスモスの花に対して、「命を大切に」とか「元気でいてほしい」とか「最後の思い出」とかを託しているように読み取っているが、そうであろうか。ここでの場面を考えてみればわかる。
お母さんは必死になってゆみ子をあやしている。大事なおにぎりをみんなやってしまったこと、心にもない「ゆみちゃん、いいわねえ。お父ちゃん、兵隊ちゃんになるんだって。ばんざいってー。」などと言ってゆみ子をあやしている。それを見ているお父さんの思いはどうだろうか。困り果てているお母さんの気持ちが痛いほどお父さんにはわかる。この場を何とかしなくてはと思うはずである。
しかも、いよいよ自分が乗る汽車が入ってくるときである。汽車は見えている。こんな状況の時に、コスモスに「命を大切に」や「元気にしていてほしい 」や「思い出にしてほしい」などと託すために、コスモスを取りに行くであろうか。
 何とかゆみ子を泣きやませ、お母さんを救いたい。笑顔でなくても、いい顔で、ゆみ子とお母さんと別れたい。そんな気持ちが働き、とっさにとった行動であろう。べつにコスモスでなくてもよかったであろう。ごみすて場にさいていなくてもよかったであろう。
この急場を救ってくれたのは「一輪のコスモス」である。もっというならば「一つの花」である。この花にこそお父さんは感謝したいのではないだろうか。「ゆみ子のにぎっている、一つの花を見つめながらー。」はそういうことのようにも読み取れる。
※ どうも教師は、文を情緒的に読んでしまっている。自分で物語を作ってしまっている。思い込みで読んでいる。文や言葉を忠実に読むことができていない。これでは、文や言葉に注目して読ませるといってもダメである。
 ※ 子ども一人一人の机上に辞典が置かれていたのはよかったが、それは一度も使うことはなかった。何のためなのか理解できていないようである。
※ 「『一つの花』に込められたお父さんの気持ちを読み取る」という学習課題を出す授業をよく見かけるが、これは適切なのであろうか。どうも無理があるようでしかたがないがどうであろうか。

※下記のブログも検索しご覧ください。
①totoroの小道
②藍色と空色と緑のページ(各教科等の実践事例が掲載されています)


第7回 授業研究会(浜松の会)の報告

2010-11-08 11:47:26 | Weblog
                                         【国語の模擬授業の様子】


 今回も有意義な会になった。特に参加者で模擬授業をしたのがよかった。
 このようにできるだけ実際の授業にちかい方法で研修するのが現場に生きるものである。

○体育 跳び箱運動:開脚跳び、台上前回り等をビデオ試聴して問題点を話し合った
・スタート(立ち位置、イメージ、呼吸)
・助走(ペンギン、追い込み)
・踏み切り(バネ、方向)
・着手(指を開く、マットを掴む、6本目の指)
・フォーム(視線、頭、胴、脚)
・着地(膝、柔らかさ)など

○図工 壷、西瓜、ヒマワリの描画 
・下絵、彩色、筆使いなどを学び合った

○国語 4年「一つの花」5年「大造じいさんとガン」等
教材解釈及び模擬授業
・学習課題 変だおかしい
・課題に対しての教師の解釈
・根拠を持つ 文を切る、選択問題、二項対立、辞書を使うなど

独創は情報の交錯から生まれる

2010-11-04 09:22:20 | Weblog



 知的生産をしようとする場合、特別な情報を持とうと努力しなければ独創的な考えは出てきません。他人さまに聞いた話をくり返したりしているだけでは知的生産にはなりません。また数多くの情報を積み重ねるだけで知的生産ができるかというと、そんなこともない。独創的なアイデアがひらめくということには、少なくとも情報の交錯が必要です。別の言葉で言えば、この道一筋的に同じ種類の情報ばかりを積み重ねただけでは独創は絶対に生まれてこない。(中略)
 知的生産ということは何かのもつれあい、あるいは矛盾からでなければ出てこないと思います。さらにいえば、おそらく独特な発想は独特な生活からしか生まれない。みんな同じ会社で、同じように新聞を読み、同じ店でいっしょに昼飯を食い。マージャンをする、これでは独創は出にくいのです。みんな仲良くしているけれどもマージャンはつきあわない。しかし、人づきあいの悪いヤツだと思わせない。マージャンはしないが映画論ならいつでも徹底的につきあう。これくらいのことは必要でしょうね。ベストセラーと新聞だけを読んでいるところには、まず独創的な思想はできにくい。他人の読まない本を読む、徳川時代の本でもよいし、明治の本でもよい。アメリカの本でもよいでしょう。

京都大学名誉教授 桑原武夫