松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

国語科(物語文)の授業をどのようにしていますか?~2~

2015-02-27 10:55:29 | Weblog


前回の続き、次の3行で問題になる所をいくつか挙げてみた。授業づくりに役立ててみてほしい。

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ごんは、ひとりぼっちの小ぎつねで、しだのいっぱいしげった森の
中に穴(あな)をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あ
たりの村へ出ていって、いたずらばかりしました。
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 この3行の中で何か問題ができますか。(教師が問題を出し、子どもが答えるのではなく、子どもが問題をつくり、子どもが解決するそういう授業にしたいです。)

課題(問題)になりそうな文
「ひとりぼっち」って何?
ひとり ①自分だけ、仲間や相手がいない。
ということは、両親は?、兄弟は?、友だちは、親戚は?
・・・ごんのさびしさがリアルに伝わる。
  ぼっち ①数量を表す名詞に付けて「わずか・・・だけ」
「それっぽっち」「百円ぽっちの金」

「小ぎつね」の小
小 ①物の形、数量の小さい意味 ②年が若い
子 ①親から生まれたもの ②生まれてまだ間もないもの、幼少のもの

「きつね」 夜行性で非常に用心深い反面、賢い動物、好奇心が強い。
 夜行性・・・夜間に活動し、昼間は休む(寝る)

「住む」  ①巣にいる。巣を作って生活する。
「暮らす」 ①世をすごす。生活する。
夜でも昼でも 「でも」物事を限定しないときに用いる。
あたり ①基準または着目するものに近い範囲。およその目安
・・・・限定されていない。

「いたずらばかり」
いたずら・・・用事がないこと、ひま 
悪さとの違いは何?
ばかり・・①事柄の範囲がそれ以上に出ないこと 「しるしばかり」
②それに限定する意を表す。・・・だけ
③それ以外にない状態であることを表す。
 


これらを解決するためには辞書が必要になる。
※ 文章を深く、豊かに味わうには、このような読み取りが必要。
※ 文章を読み取る力、語彙を豊かにする授業法である。
※ 辞書が引ける子どもになる。
※ 授業によって思考力やコミュニケーション力がつく。
※ 何と言っても子どもたちが国語が好きになる。
※ 教師が変わる→授業が変わる→子どもが変わる授業である。


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国語科(物語文)の授業をどのようにしていますか?~1~

2015-02-22 09:35:06 | Weblog


一般的に国語の授業(物語文)をどのように展開しているのだろうか。
大ざっぱに言えば、

1全文を読む 
2新出漢字 
3難しい語句 
4感想を書く
5段落
6小見出し(ラベリング)
7気づいたことや思ったことをノートに書く
8グループや一斉学習で話し合う
9感想を書く
10主人公に手紙を書く

これは、私が現場で先生方の授業を見てきた多くのものである。 
この中で、特に大切なのが、7と8であろう。教師の力が試されるところでもある。
 ところが教師も子どもも文章が日本語で書かれているために、何もかも分かったつもりで、何の疑問も持たずに読んでしまうのである。従って、そこで話し合われる内容は「○○がおもしろかった」「○○が悲しかった」「○○がよかった」など当たり障りのない感想が中心になる。何も深く考えたり、話し合ったりする必要がない。
しかし、どんな物語文でも文章をよく読むと「変だ」「おかしい」というような課題(問題)がある。

 例えば、4年生の物語文「ごんぎつね」を例に挙げると

ごんは、ひとりぼっちの小ぎつねで・・・・・夜でも昼でも、あたりの村へ出ていって、いたずらばかりしました。

 さて、みなさんはこの2行の文から「変だ」「おかしい」が発見できますか。日本語であるし、難しい語句も見当たりませんので何もおかしなところは見つからないのではないだろうか。しかし、1つ1つの文や言葉をよく読んで、吟味したり、辞書を引いて調べたりするとる「変だ」「おかしい」が見つかる。

では、ここで1つだけ考えてみる。「きつね」を辞書やネットで調べてみると次のように書かれている。
「きつね」とは、夜行性で非常に用心深い反面、賢い動物、好奇心が強いとあります。「夜行性」を調べると、夜間に活動し、昼間は休む(寝る)とある。
 そうすると、文章の「夜でも昼でも、あたりの村へ出ていって、いたずらばかりしました。」とあるが、ここで「変だ」「おかしい」が発見できます。そうです、きつねは夜行性の動物であるにもかかわらず、なぜ夜でも昼でもなのかとの疑問を持つ。

 このことによって、それが課題(問題)になり、調べていくことになる。子どもたちは、必要に迫られた課題(問題)に興味を持って主体的に学び始めるのです。
 子どもたちは、文を注意深く読むようになる。辞書も引くようになる。ノートにメモをとるようにもなる。友だちと意見を交換するようにもなる。
 このように課題(問題)がよければ、教師が黙っていても子どもは主体的に学ぶようになる。

一般の多くの国語の授業は、こういうことをしない。いや、しないというよりは教師が考えつかないのである。国語の授業方法を知らないといってもよい。だから国語の授業が単なる読書教材のようになってしまうのである。 ~次回に続く


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第50回「浜松授業研究の会」研修報告

2015-02-16 11:37:57 | Weblog


 記念すべき第50回の研究会が多数の先生方の参加により、盛大に行うことができた。名古屋から石井俊樹先生他4名の先生も参加され、大変勉強になった。この貴重な勉強の中身を忘れないために少しまとめておく。これは、私たちの授業のステップアップに必ず役立つと言える。

1 授業づくりについて改めて確認しておくこと
「教え込みの授業」では、子どもが指示待ちになる、集中力や思考力の欠如になる、消極的な学びになる、間違えることを恐れるようになる、学級の仲間づくりができない、目的や課題意識がなくなる。など
一方私たちの目指す「追求方式の授業」では、主体的な学びができる、集中力や思考力が向上する、安心して学ぶことができる、学級の仲間づくりができる、目的、課題意識をもつことができる。など
改めて追求方式の授業のよさを自覚することが大切である。ぶれることのない実践をしていきたい。

2 図工、合唱、オペレッタなど表現活動における指導について
  日本のこれらの指導は、世界から見ると「技術は一流だが芸術は二流」と言われることがある。芸術は自分の思いを外に向かって表出することである。日本の教師も子どももこれが苦手だといえよう。
  図工なら「描かせたかったら、描かせるな」つまり、描こうとする対象物に対して、深く豊かに五感を使って十分に触れさせること  が大切である。それをやらずに描かせても感動のない形式的でつまらない絵になってしまう。

  例えば、ウサギを描くなら、ウサギとしっかり遊ばせ十分に触れ合わせることが大切である。 
  物語の絵「六地蔵」であるならば、おじいさんと六地蔵の描きたい部分の解釈をさせること。そして、おじいさんと六地蔵の位置関係だけでなく、画面の中で物語がどのように展開しているのかがわかるように描かせることである。例えば、おじいさんが笑ったら、六地蔵も笑う、おじいさんが声をかけたら、六地蔵もおじいさんを見る。などである。
ランドセルの絵なら、一番思い出に残っている部分を中心に描く、いつもどのような状態でランドセルを置いてあるのかなども考えさせる。 机の上に投げ出してあったり、畳の上に置いてあったり、カバーが開いていたりさまざまであってもよい。
自画像は、とりすました顔でなく、自分のどのような表情を描くのか喜びなのか、悲しさなのか、何かに夢中になっているのか、何をしているのかなどをはっきり自覚させて描かせることが大切である。何を表現したいのかが伝わってくることが大切である。

合唱であるならば、まず歌詞をしっかり理解すること
解釈が大切になる。歌詞として曲として表現されているものを教師だけでなく、歌う子どもたちみんなが自分の解釈を持ち、話し合ってそれを共有させることが大切になる。

 授業や作品の中に子どもの息づかいが溢れていることが大切である。
それが作品の中に子どもがいるということである。


※ 関連して、斎藤喜博の著書から
 一本の木をかいても、その絵にはその子どもでなければつかめない感情があり感動があるはずである。そう言う感動を子どもがみずからつかんで、その絵が生き生きとした感動につらぬかれていることが根本であると思う。

 今の図画教育は、全般に子どもに感動をつかませ、生き生きと表現させることをしないで、遠近法がどうだとか、写生がどうだとか、色や点や線のつり合いがどうだとか、空の色はどのように塗れとか、形式的な芸術様式にのみこだわっているように思われる。
『授業以前』より

 造花のような歌をつくり、人造人間のような歌をつくる人間に限って、技術のことを問題にするのであるが、技術は、自己の感じた真実を表現するためにあるのであって、技術そのものに目的があるのではない。

技術とか技巧とかいうものは、自分のはっきりとしたものをつかまえた上で考えることであって、それ自体に意味があるのではない。

                       『表現と人生』より

 私が指揮し指導をするのをみていたひとりの学級担任の先生は、「彫刻作品がつくり出されていくような感じだった」といった。またあるひとりの学級担任は、「少しの時間だったが、自分の担任している子どもではないように変わってしまった」と他の人にあとで話したということだった。
   『私の授業観』より

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第50回「浜松授業研究の会」の御案内

2015-02-13 09:48:54 | Weblog


今回で記念すべき50回の研究会を開催することができる。ここまでこれたのは参加する教師が学校現場だけでは、そして個人だけでは得ることができない研修の意義を感じてきたからであろう。
私が青年教師の頃には、民間の教育研究団体や教育サークルがたくさんあり、そこでは、個性的で特色があり、質の高い研修がいくらでもできた。しかし、今はほとんどそういう場はなくなってしまったといえる。
一方、学校現場での研修はどうであろうか、今の学校現場では、多くの教師が日常の職務に追われ、日々の実践をじっくりと振り返る時間的余裕が持てないのが実情であろう。従って、経験の積み重ねによる指導にだけになりがちになる。それが質の高い授業実践に結びつければよいのだが、なかなかそうにはいかない。かえって経験による思いこみや凝り固まった指導になっているのではないかと思われる。
 本研究会の役割は、真に教師の学び、教師個々の授業力の向上につながるようにと開催している。また学校現場への応援にもなればと考えている。決して偏向的な教育や思想的な教育はしていない。
ぜひ、多くの先生方に安心して参加していただきたいと願っている。

「浜松授業研究の会」とは

~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~

 子どもは、だれもが本当は楽しく授業に参加したい、分かるようになりたいと思っている。でも、ふと気づくと、クラスの中に参加する子どもと、参加しない子どもが混在するようになる。
 考えている子どもはいいのだが、自分の考えを持たずに、友だちに任せっきりの場合はどんどん受け身になり、分からなくもなる。成長の喜びがなく、授業が楽しくなくなる。
 私たちの会は全員参加の授業をめざしている。

本研究の会の趣旨

 子どもは、だれもが本当は楽しく授業に参加したい、分かるようになりたいと思っている。私たちは、その思いを大切にし、その思いに答えたいと考えている。
そのためには、まず教師が変わらなければならない。そのための授業研究をする。そして、教師が変われば、授業が変わる。当然、授業が変われば、子どもが変わる。
多くの方は、このことは分かっているのだが、どうしたらいいのかが難しい。そういう大事なことなのに、それを学び合う研修会が少ないといえる。
 そこで、この会は
・全員参加の授業の実現をめざす。
・優秀な教師が教えるのではなく、互いにまず実践をし、それを持ち寄る。
・互いの実践から、どうしたら自分の授業が全員参加の授業になるのか学び合う。   
 授業に参加するとは、教室にいるだけでは参加にならない。どんな授業の中でも「考えること」と「意志表示すること」の繰り返しをすることがなければ、参加しているとはいえない。その中から「新しい発見」や「変化」がその子の中に起こるのである。そして真の学力がつく。
私たちの研究会は、子どもの全員参加の授業の方法を具体的に学ぶことができる。それも教材の真の学びを通してである。ですから本物と言える。

参 加 資 格

 ・今の授業じゃだめだ。もっと授業がうまくなりたいと思う方。
 ・すべての子どもたちに、授業の中で満足感を与えてあげたいと思う方。 
 ・日々の目の前の忙しさに、ともすると惰性に流されることに焦りを感じる方。
 ・刺激を受け「質の高い授業を目指そう」というモチベーションを持ち続けたい方。

参 加 方 法

1 開催日時
 第50回 平成27年2月14日(土)9:00~15:00 浜北文化センター 第1会議室
 第51回 平成27年4月11日(土)9:00~12:00 天竜壬生ホール 第1会議室
 第52回 平成27年5月 9日(土)9:00~12:00 天竜壬生ホール 第1会議室
 ※時間厳守ではありませんので参加できる時間で結構です。
 ※服装は自由です。
 ※駐車場はあります。
  ※毎月研究会を開催しています。年間の日程・研究成果・問い合わせ等は
   ホームページ「浜松授業研究の会」を御覧ください。

2 研修内容
 ○ 国語、算数を中心とした各教科
 ○ 音楽、図工、体育などの実技教科
 ○ 学級づくり
 ○ その他
  
3 本研究会の学びの特徴
  ・具体的な教材とか写真とかDVD、テープとかの事実を対象にして考える。
  ・参加者からの実践があればそれをもとにして考える。
  ・音楽、体育、図工、その他の実技をする。

4 持ち物
 ○ 実践したもの(ある人)
 ○ 教材研究をしてほしい教材がある人(15部印刷持参)
 ○ 筆記用具
 ○ 国語辞典
 ○ 会費 200円(会場費他)




若い教師が〈教師になるため〉の勉強法~先代の教育者に学ぼう~

2015-02-05 09:15:04 | Weblog


 若い教師にあなたの尊敬する教師はだれですかと聞いてみると「いません」とか「○○学校の○○先生です」と返事する場合が多い。これは今のベテランの教師にも言えることである。
私の若い頃は、村上芳夫・上田薫・林 竹二・芦田恵之助・遠井義雄・斎藤喜博・無着成恭・大村はまなどの教育実践者が世に輩出していた。私はこれらの方が著作した本を読んだり、実際に実践を見たりして勉強した。しかし、今の若い教師はこれらの教育実践者の名前さえも知らないであろう。これはある面しかたのないことであろうが、だからといってこれでよいとは思わない。誰かが教えてやることが必要であろう。
 今、学力テストの問題で学校現場が揺れている。本当の学力とは何だろう。教育とは何だろうと考えるとき、上記の教育者の書物からヒントを得ることが多いと思われる。ぜひ読んでほしいものである           


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