松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

蝉頃(詩:室生犀星)の授業

2012-06-30 11:31:35 | Weblog

 ゆきのさんのブログを見て、蝉頃(詩:室生犀星)の授業を思い出しました。この授業は、昭和54年11月1日宝塚市立逆瀬台小学校の教育研究会で行われたものです。
授業者は細田椙子先生でした。今でもはっきりと覚えています。

蝉頃
室生犀星

いづことしなく
しいいとせみの啼きけり
はや蝉頃となりしか
せみの子をとらへむとして
熱き夏の砂地をふみし子は
けふ いづこにありや
なつのあはれに
いのちみぢかく
みやこの街の遠くより
空と屋根とのあなたより
しいいとせみのなきけり

 授業の展開は次のようでした。
○しいい・・・・どのように読んだらよいか
○はや蝉頃となりしか
1年月のめぐりが早い
2その一年は良い年でなかった
3仕事がうまくいかなかった
○ふみし子はいづこにありや
1死んだ自分の子どもがいない
2自分の幼き日の姿がない
○「あはれに」はどこに係っているか
1前の三行
2夏の
3いのちみぢかく
○みやこの街の遠くより
空と屋根とのあなたより
しいいとせみのなきけり
1ほんとうは、すぐ近くの木立でないているのだが、作者には遠くに聞こえてわびしく、かなしい
2作者の心の中で聞こえている

 子どもから出た考えや教師から提示された考えをもとに、話し合っていました。6年生の子どもたちが言葉一つ一つに着目し、大人でも及ばないような質の高い授業でした。


※ニイニイゼミは愛知のゆきのさんの所では鳴き出しているようですが、天竜ではまだです。私も蝉は大好きです。子どもの頃は、「蝉捕りの秀ちゃん」と呼ばれました。

幼稚園ってどんなところ ~子どもの挨拶について~

2012-06-25 16:25:57 | Weblog



 私は小学校の校長を10年間してきましたが、幼稚園長は兼務の経験しかありません。従って幼稚園のことはあまり詳しくは理解していません。ただ幼稚園の先生というのはものすごく大変な仕事をしているということだけはよく覚えています。
 今回、専任園長として、○○幼稚園に勤務させていただきました。そして、徐々にではありますが幼稚園というものがわかりだしてきました。そこで少しずつ「幼稚園とはどんなところなのか」私なりにまとめてみました。

挨拶の習慣を付けるのは家庭からです

  大きな声で「先生おはようございま す」といえる子どもは、幼稚園に通う 第一段階としては大丈夫です。しかし、 はずかしくて挨拶ができない子どもも 当然います。教師はそれを察知して挨 拶をするのと一緒に、「手を振って合 図する」「ハイタッチをする」「元気 そうだね!」「どこでその花を採って きたの」「今日は鬼ごっこをしようね」「素敵な髪型だね」「かっこいい靴だよ・・・・」などいろいろとジェスチャーしたり、声を掛けたりします。そうすることでだんだんとコミュニケーションが深まり、心が開かれ挨拶もできるようになります。
挨拶ができない子どもはいくつかその原因が考えられます。
○ その子どもが持っている性格。
○ 家の中で家族が挨拶を交わさない。
○ お母さんやお父さんが子どもに挨拶をしない。
○ 家の人が家族以外の人に挨拶をするところを見たことがない。
 実際に挨拶をしない子どものお母さんは、先生や他の保護者との挨拶をあまりしていなかったり、笑顔で人に接しない人が多いようです。子どもはお母さんの姿をいつも見ています。気をつけたいものです。「ありがとう」「ごめんなさい」などの言葉も同様だと思います。

幼稚園というところ

2012-06-16 09:55:15 | Weblog



  この四月から幼稚園の専任園長として勤めています。小学校と違い、教科書がなく、子どもの保育は、自由遊びや挑戦遊びが主になります。加えて、子どもの着替え、トイレ、昼食の指導や世話などが目白押しに続きます。
 教師は、髪を振り乱し、飛び回っています。トイレに行く暇もありません。食事もゆっくり取れません。職員室はいつも空っぽです。園長だからといって椅子に座ってなんかいられません。子どもと遊び、子どもの身辺の面倒を見ることになります。小学校の校長とは大違いです。
 子どもが帰った後も、保育室や園庭の片付け、保育の反省、明日の保育の準備、園内研修など仕事は山ほどあります。このような幼稚園の職場や教師の仕事が、多くの人に理解されていないのが残念です。
教師が、このような職場にもかかわらず、元気いっぱい、笑顔いっぱいで子どもの前に立てるのは、子どもが大好きだからです。先生方は輝いています。

こんな解釈もあるのか

2012-06-10 18:41:27 | Weblog



 浜松の会(6月9日)では、4年 国語 物語文 「走れ」(東京書籍)を主に教材解釈した。いろんな考えが出て、今回も楽しかった。勉強になった。

課題「のぶよは、なぜラストという言葉が、ほこらしく感じたのか」

教材文
30 身体がどんどん重くなる。いっしょうけんめい走ろうとすればするほど、体が後ろへ下っていく。
(あ、もう走れない。)
31 そのとき、ふいにせなかに、二つの声がかぶさった。
  「姉っちゃん、行け!」
 「のぶよ、行け!」
32 思わず、ぎゅんと足が出た。
  「走れ!そのまんま、走れ!」
33 おしりが、すわっと軽くなる。次のしゅんかん、体にからみついていたいろんな思いが、するするとほどけていった。
34 走った。どこまでも走れる気がした。とうめいな空気の中に、体ごととびこんだ。
  「はい、きみがラストね。」
35 とつぜん、係の声がした。
36 体の中は、まだ、どくどく波うって走り続けている感じだ。
37 ラストという言葉が、こんなにほこらしく聞こえたことは、はじめてだった。


○ ラストという言葉が、ほこらしく感じた理由
 1 「姉っちゃん、行け!」
   「のぶよ、行け!」
  ※ けんじとお母ちゃんが応援してくれたから

 2 体ごととびこんだ
  どくどく波うって走り続けている感じだ。
 ※今までになく最後まで力いっぱい走ったから
 
 3 「はい、きみがラストね。」

 1,2,3の解釈が出た。結論としては、3になった。「はい、きみがラストね。」の言葉である。
「が」は主語を示す。初出の情報を示す。「が」の上が新情報
「ね」同意を求めたり、念をおしたりする気持ちをあらわす。
前を走った人と相当離れたラストであれば、「はい、きみがラストね。」とは、言わない。
 「ラストという言葉が、こんなにほこらしく聞こえたことは、はじめてだった」・・・・「ラスト」と、いつも言われていたと思われる。しかし、「ほこらしく」聞こえたのは、「はじめてだった」のだから、普通のラスト、今までのラストとは意味が違う。
などの理由で3と解釈したい。とうぜん、1,2も3を引き出す原因でもあろう。

第23回 授業研究の会(浜松の会)の御案内

2012-06-04 15:46:06 | Weblog


    第23回 授業研究の会(浜松の会)の御案内

~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~

 一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。
 それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。
この浜松の会では「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」をテーマとして研修しています。ここでの学びは、具体的であり、実際的であり、実質的なものです。それだけに確実に得るものがあり、上記のテーマの実現が可能です。
この会は、偏向的な教育や思想はしていませんので、安心して学ぶことができます。どなたでも自由に参加できます。まだ、参加されたことのない方は、是非覗いてみてください。
 多くの皆さんの参加をお待ちしています。


1 開催日時
平成24年 6月 9日(土)9:00~12:00

2 開催場所
浜松市天竜壬生ホール第2会議室

※時間厳守ではありませんので参加できる時間で結構です。
※服装は自由です。
※駐車場はあります。

3 研修内容
○ 国語、算数を中心とした各教科
○ 音楽、図工、体育などの実技教科
○ 学級づくり
○ その他
 本研究会の学びの特徴
・具体的な教材とか写真とかDVD、テープとかの事実を対象にして考える。
・参加者からの実践があればそれをもとにして考える。
・音楽、体育、図工、その他の実技をする。

4 準 備 物
○ 実践したもの(ある人)
○ 教材研究をしてほしい教材がある人(10部印刷持参)
○ 筆記用具
○ 国語辞典
○ 会費 300円

5 この会の研修内容や実践の証、考え方は下記のブログをご覧になれば、おおよそ理解できると思います。検索してください。
○浜松授業研究の会
○totoroの小道
○藍色と空色と緑のページ(各教科等の実践が掲載されています)
○松明光明