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寺田寅彦随筆集六には、「無題」という題名で次のような文がある。私たちが生活していく上に大変大切なことを示唆してくれているようである。
無 題
日常生活の世界と詩歌の世界は、唯一枚の硝子板で仕切られている。
この硝子は、初めから曇っていることもある。
生活のちりに汚れていて曇っていることもある。
2つの世界の通路としては、通例、ただ小さな穴が一つ明いているだけである。
しかし、始終二つの世界に出入りしていると、この穴は段々大きくなる。
しかし、また、この穴は、しばらく出入りしないでいると、自然に段々狭くなって
くる。
ある人は、初めからこの穴の存在を知らないが、また、知っていても別に捜そうと
もしない。
それは、硝子が曇っていて、反対の側が見えないためか、あるいは・・ 忙しいた
めに穴を見つけても通れない人もある。
それは、あまりにも体が太りすぎているために・・・・。
しかし、そんな人でも、病気をしたり、貧乏をしたりして痩せたために、通り抜け
られるようになることはある。
まれに、きわめてまれに、天のほのおを取って来てこの境界の硝子を溶かしてしま
う人がある。
現代の子どもたち(大人もそうかもしれない)は漫画やテレビ文化、ファミコン、インターネットの中にどっぷりと浸かっている。しかし、ほんとうは、それらの低俗文化(多くがそうである)に十分満足しているわけではない。子どもといえどもよい文化や作品や価値あるものは直感的に知っている。ただ、残念なことに時代や社会がいい文化や作品を子どもたちに供給していない。だからこそ、私たちは、「硝子板の狭い穴」を通って高い世界へ自由に行き来できる力を持たなければならない。そうしなければ、私たちはほんとうの人間的な生き方はできないのである。
自分の生き方をよいものにするために、子どもの生き方を高めるために、少しでも文学や芸術や科学の素晴らしい世界に触れるようにしたい。寺田寅彦のこの文はそんなことを教えてくれているようである。