松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

教師の夏季休業の考え方

2017-07-28 07:55:48 | Weblog

  
 〈教師には研究の自由が必要なのであり、時間の自由も必要になるのである。単なる勤め人としてすごしているなら、研究の自由も時間の自由も少しも必要はないはずである。〉斎藤喜博著『私の授業観:教師の研究の自由より』

 夏休みは、子どものためのものであって先生方のためのものではないことは理解している。しかし、子どもが登校しない夏休みこそ先生方は、ゆっくり休んでもらいたいし、豊かな体験の時間や自由な研究についやしてほしい。先に引用した斎藤喜博の言うようにである。
今は何かと研修や会議や出張が多く、先生方の自由の時間がとれないようである。昔はもっと自由な時間がとれて、夏休みになると先生方も嬉しくて心がうきうきしたものある。
先生は、自由な時間が取れても、何でも遊べというのではない。いろいろな体験(2学期に子どもに熱っぽく語れるようなもの)をしてほしいということです。
 私が現役の時にしたことでは、
○玩具店でポンポン船(水蒸気の圧力で推進力を得る船舶玩具のこと)を手に入れて、理科の時間に子どもに見せたこと。今の子どもは、ゴム動力か電池モーターなどしか知らないから、すごくビックリした。
○めずらしい昆虫、特にタマムシを採集して、子どもに見せたこと。子どもたちは、あまりの美しさに感動した。ついでに、法隆寺宝物「玉虫厨子」の装飾として使われていることも話した。
○秋に鳴く虫の音をテープレコーダーで録音しておき、子どもに聞かせたこと。夏休みも終わりに近づくと、コオロギやスズムシやカネタタキやウマオイなどが盛んに鳴くようになる。子どもたちにこのように意識的に虫の音を聞かせないと知らないでいる。
○旅行に行った際、教科書教材に関する写真等を撮影してくること。実際にはなかなか子どもたちを現地に連れて行くことができないからだ。
○工作なども子どもだけにやらせるのでなく、先生も大作をつくってみること。絵などを描くのもよい。
○スポーツでは、何か技を練習して、そのできばえを見せること。私は若いときは、バク転を練習して、子どもの前で見せたら、「先生凄い!」と褒められた。
まだまだいろいろあると思う。夏休みに何かに挑戦して、2学期に入ったら子どもたちに見せてあげよう。2学期の始まりも楽しみになる。先生のお株も上がる。


※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。

アクティブ・ラーニングの理論と実践

2017-07-16 09:07:09 | Weblog
1新学習指導要領

○大学入試の改革
記述式解答
○主体的・対話的・深い授業
・グループ・ペア・ディスカッション・ディベート・ダイアローグ(対話) ・発見学習 ・問題解決学習・体験学習・調査学習など
○新しい学習指導要領
・英語の教科化・道徳の教科化・プログラミング教育・全ての教科のアク  ティブ・ラーニング
○大学入試の改革
 記述式解答
○主体的・対話的・深い授業
・グループ・ペア・ディスカッション・ディベート・ダイアローグ(対話) ・発見学習 ・問題解決学習・体験学習・調査学習など
○新しい学習指導要領
・英語の教科化・道徳の教科化・プログラミング教育・全ての教科のアク  ティブ・ラーニング

2実施上の問題点

○経済協力開発機構(OACD)調査
・加盟国で教師の勤務時間最長
○経済優先の教育
・社会に役立つ人間の育成
○教師の負担増
・積載オーバーの仕事量
○全国学力調査の結果公表
○教師の低い自己評価

楽しい労働・やりがいのある教育や授業をなくす


3新指導要領の教育(授業)を実現するにはどうしたらよいか

○全てを完璧に教えるのでなく、子どもと一緒に学ぶ教師の姿勢・・・主体 的、対話的授業、深い授業
○安易な問題から考える問題へ→「思う」から「考える」へ・・・深い授業
○「号令」や「挙手」「はい」「立つ」「椅子を入れる」など形式的な教育の見 直し・・・ 主体的
○教師が先回りをしない、世話をやかないなど、待つ教育へ・・・主体的、 深い授業


第74回「浜松授業研究の会」の御案内

2017-07-09 08:15:37 | Weblog

                        【会員の指導による合唱】
   

             ~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~  

 一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。
 それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。
 この浜松の会では「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」をテーマとして研修しています。ここでの学びは、具体的であり、実際的であり、実質的なものです。それだけに確実に得るものがあり、上記のテーマの実現が可能です。
 この会は、偏向的な教育や思想的な教育はしていませんので、安心して学ぶことができます。どなたでも自由に参加できます。まだ、参加されたことのない方は、是非覗いてみてください。
 多くの皆さんの参加をお待ちしています。

1 開催日時   
2017年 7月15日(土)9:00~12:00
          
2 開催場所   天竜区壬生ホール 第1会議室
  ※時間厳守ではありませんので参加できる時間で結構です。
  ※服装は自由です。
  ※駐車場はあります。

3 研修内容
○ 国語、算数を中心とした各教科
○ 音楽、図工、体育などの実技教科
○ 学級づくり
○ その他
   本研究会の学びの特徴
  ・具体的な教材とか写真とかDVD、テープとかの事実を対象にして考える。
  ・参加者からの実践があればそれをもとにして考える。
  ・音楽、体育、図工、その他の実技をする。

4 準 備 物  
○ 実践したもの(ある人)
○ 教材研究をしてほしい教材がある人(10部印刷持参)
○ 筆記用具
○ 国語辞典
○ 会費 200円

5この会の研修内容や実践の証、考え方は下記のホームページやブログをご覧になれば、おおよそ理解できると思いますぜひ検索してください。
○ 浜松授業研究の会
○ totoroの小道
○ 松明光明



※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。


この考え方に大いに共感します

2017-07-02 21:21:19 | Weblog

教育についてのブログを見ていたら、私の共感する文章がありましたので、そのまま紹介します。これは全く今の教育界の様相を示しています。

      ○授業論と教育論が話されなくなった。代わりに、方法論やスキル面が強調

 私たちは、もっともっと、教育ということについて語り合わなくてはダメだ。私の新採の頃には、「授業入門」「授業」「授業の展開」などを書いた群馬の島小の校長の斎藤喜博とか「授業の成立」「学ぶということ」「教えるということ」などを書かれたり、田中正造やソクラテスの研究で著名な宮城教育大学の元学長の林竹二、ちょっと前には、「村を育てる力」の但馬の東井義雄、無着成恭などの教育者がいた。明星学園の遠藤豊、水道方式の銀林浩、大西忠治先生の集団作り、綴り方教育などがあった。児童文学では、かつて兵庫の教師であった灰谷健次郎とかが「兎の眼」「太陽の子」などがあった。若いときには、これらの書籍をよく読んだものだ。本代に給料の何割かは使いなさい。名古屋の丸善も一緒に連れて行ってもらったこともあった。授業について、教育についての会話がほとんど見られないのがとても気になる。そして、本を買ってきて読まない。職員室の机の上にある本を目にすると、明日の授業に役立つ…と書かれている書籍、それも薄っぺらい、何色かのカラー刷りのもの。○○方式とかいった本も見当たる。特に、インターネットでもよく目に付き、書籍でも多いのが、○○方式。読んでみたら、子どもが不在。道具になってしまっているような感じを覚えた。実際、それで授業をしているのを見たが、先生のショーのような感じがして、長くはみておられなかった。
 方法論やスキルが教育の中心となった。しかも、産業と結びついているから、しかたがない。営利を目的としている企業とのドッキング。思えば、「日本の教育も、もう水俣の海になった。学校が、子どもの生きられない場所となった。」と、三十年も前に語っていた林先生の予言が的中している。大学の文学部などは、就職には縁遠い存在だから、つぶれる。利便性を追求するのもダメだ。人間の子を人間として育てるのが、教育の役割だ。目的があって、そのために方法があるのに、逆さまになってしまい、目的などはどこかにとんでいってしまっている。そして、目新しいことばかりに飛びついている。この国の教育に責任を持っているのがだから、しっかり、考えなくてはだめだ。もう一度、本を読め。そして、感動した本などがあったら、新採の先生にあげたらいい。私は、毎年、何冊か本を買って、読んでみようかなと思ったときに読んでもらったらいいからといって渡した。少々、金はかかるが、管理職手当てをもらっているのではないか。


※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。