4年国語(光村)「一つの花」の授業を参観する機会があった。中堅の力のある教師であり、子どもの扱いも上手く、やさしい。ですから一般的にはよい教師であり、授業も水準を超えていた。
しかし、授業を見て、ああ、やっぱりなーと感じたところがあった。「やっぱりなー」とは、この教師だけに言えることではない。大半の教師はこのような授業になるであろう。授業の流れのおおよそを記して、問題点を考えてみる。
授業の流れ
本時のめあて
◎お父さんはどんな気持ちでゆみ子に「一つだけのお花」をわたした
か読み取ろう。
T ゆみ子に対するお父さんの気持ちが分かるところに線を引き、発表しましょう。
C 「みんなおやりよ、母さん。おにぎりをー」
C わすれられたようにさいていていたコスモスの花を見つけたのです。
C 一輪のコスモス
C 「一つだけのお花、大事にするんだようー。」
C 喜びました。
C それを見てにっこり笑うと、何も言わずに
C 一つの花を見つめながらー。
※ 教師は子どもの発表したものを上記のように板書した。
T なぜ、ゆみ子は喜んだのですか。
C 花をもらったから
T みんなにとって一つしかないものはなんですか
C 命
C 体
C 家族
C おじいちゃん、おばあちゃん
T コスモスはどこにさいていた。
C ごみすて場
T 戦争中にさいている。生き残っている。
C ゆみ子に強くなってほしい。
C 元気でいてほしい。
C 成長してほしい。
T このようなゆみ子へのお父さんの思いがあった。
T 一つの花を見つめながら、笑った。ここで安心したんだね。
T 一つの花は最後の思い出だね。
※ せっかく子どもが考えを出しているのに、それを使わない。教師の考えている都合のよい意見だけを取り上げている。
Tの発問や説明は、教師の考えに導く誘導発問である。
※ ここでの教材解釈もおかしい。まるでお父さんは、このコスモスの花に対して、「命を大切に」とか「元気でいてほしい」とか「最後の思い出」とかを託しているように読み取っているが、そうであろうか。ここでの場面を考えてみればわかる。
お母さんは必死になってゆみ子をあやしている。大事なおにぎりをみんなやってしまったこと、心にもない「ゆみちゃん、いいわねえ。お父ちゃん、兵隊ちゃんになるんだって。ばんざいってー。」などと言ってゆみ子をあやしている。それを見ているお父さんの思いはどうだろうか。困り果てているお母さんの気持ちが痛いほどお父さんにはわかる。この場を何とかしなくてはと思うはずである。
しかも、いよいよ自分が乗る汽車が入ってくるときである。汽車は見えている。こんな状況の時に、コスモスに「命を大切に」や「元気にしていてほしい 」や「思い出にしてほしい」などと託すために、コスモスを取りに行くであろうか。
何とかゆみ子を泣きやませ、お母さんを救いたい。笑顔でなくても、いい顔で、ゆみ子とお母さんと別れたい。そんな気持ちが働き、とっさにとった行動であろう。べつにコスモスでなくてもよかったであろう。ごみすて場にさいていなくてもよかったであろう。
この急場を救ってくれたのは「一輪のコスモス」である。もっというならば「一つの花」である。この花にこそお父さんは感謝したいのではないだろうか。「ゆみ子のにぎっている、一つの花を見つめながらー。」はそういうことのようにも読み取れる。
※ どうも教師は、文を情緒的に読んでしまっている。自分で物語を作ってしまっている。思い込みで読んでいる。文や言葉を忠実に読むことができていない。これでは、文や言葉に注目して読ませるといってもダメである。
※ 子ども一人一人の机上に辞典が置かれていたのはよかったが、それは一度も使うことはなかった。何のためなのか理解できていないようである。
※ 「『一つの花』に込められたお父さんの気持ちを読み取る」という学習課題を出す授業をよく見かけるが、これは適切なのであろうか。どうも無理があるようでしかたがないがどうであろうか。
※下記のブログも検索しご覧ください。
①totoroの小道
②藍色と空色と緑のページ(各教科等の実践事例が掲載されています)
1つめの見方は、実際の登場人物の気持ちからの見方です。
この場合、お母さんは親子の最後の別れで、お父さんを不安にさせないように心にもないことをいいながらゆみ子のご機嫌をとり続けますが、とうとうゆみ子が泣き出し、取り乱した心境です。お父さんは、そんなお母さんの気持ちが痛いほど分かるので、なんとかお母さんのためにもゆみ子を泣きやませようと必死で考え、コスモスをいかにも大事そうに渡すことでゆみ子を泣きやませようとする賭に出ます。
2つめの見方は、作者サイドからの見方です。
作者は、一つの花やゴミ捨て場の..に、人間の尊厳や、人間の強さ、豊かさと幸せなどを次の場面への布石として織り込めて意図的に使っています。
この授業では、それらがごちゃ混ぜに使われているように感じます。
2つの見方を区別し、今日は「お父さんの気持ちについて」、今日は「作者の一つの花に込めた願いについて」と学とすっきりすると思います。
主題は読み手が考えることですから、人によって違います。ある意味では適当に自分の思いでいってもよいのです。しかし、そこには、伝え合うことやコミュニケーションはあまり要求はされません。ですから、作者の願いは、ある程度文章を感覚的に捉えてもわかるものだと思います。