松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

授業におけるコミュニケーション

2008-05-29 11:52:47 | Weblog
新採研だより
授業におけるコミュニケーションって何だろう
 コミュニケーションを辞典で調べると、人間の生活に必要な知覚、感情、思考の伝達とある。(広辞苑)しかし、授業におけるコミュニケーションは、それにとどまってはならない。
 授業におけるコミュニケーションは、集団思考である。一人ひとりが自分の考えをしっかり持ち、それをみんなの前に出し、今課題になっていることを深めたり、発展させたりすることである。
 授業におけるコミュニケーション(個人の思考も同様)で言うならば、はじめに持っていた考えが、みんなで話し合うことによって、変わることである。それも高い次元に変わることである。
 そのことにより授業が高まり、子どもが高まることである。
授業におけるコミュニケーションが成立するためには、次の条件が必要である。
○一人ひとりが自分の考えを持つ。これは全員参加の授業にもつながる。教師は一人ひとりに考えという武器を持たせる必要がある。それは、鉄砲でも、刀でも槍でも、短刀でも何でもよい。丸腰はいけない。意見という武器を持たせることである。
○自分の考えを発表する。発表してもらわなければどうにもならない。ここでは間違いが許されることが大切であり、学級づくりがしっかりできていなければならない。
○友だちの考えを聴く。一人の発言が学級全体のものにならなければ、授業は新しい次元に入っていかない。従って、友だちの話を「聴く」ということは、とても重要なことである。そのためには、友だちや教師の考えを聴くときには、相手を見る、反応して聴く、自分の考えと比較して聴くなどがどうしても大切になる
○自分の考えを発表するときには、全体に聞こえる声でする。
○教師は、授業におけるコミュニケーションを成立させるためには、一人の発言(特に重要な発言)が、学級全体の問題になるようにいつも気を配っていなければければならない。
※教室で友だちと学習するということは、上記のようなことである。でなかったら、他者と勉強する意味はない。
子どもに考えを持たせる方法
○漠然とした発問や課題はダメ「今の○○の気持ちはどうですか?」「このことから何がわかりましたか?」などは、子どもはどう返事をしたらいいのか、どう答えたらよいのか戸惑ってしまう。また、適当に答えてもだいたい当たってしまう。こういう発問をしていると、教室の空気は必ず重くなり、子どもの顔も曇ってくる。
 「今の○○の気持ちが出ている文は、①にあるのか②にあるのか③にあるのかどれですか?」「始めの○○と今の○○はどういう違いがありますか?」などのように具体的で、子どもの思考が誘発されるような発問にしなければいけない。教師はいつでもそういうことを考えて、子どもの状態が生き生きするように働きかけなければならない。
○選択させることは有効である。すべてがそうでないが、子どもに考えを選択させるようにすると、子どもの思考は動く。「これは、①か②か③かどれだと考えますか?」こうすると子どもは問題を自分から読む、選ぶようになる。また、選んでいる中で根拠を考えるようになる。
○問題を限定して出すと有効である。「この中に答えが4つあるよ。見つけてみよう」「この文を分けて考えてみよう。どこの文にあるかな?」等である。
○答えの証拠は、あせらずに、広く意見の中から導き出す。しかし、最終的にはシビアな証拠を見つけ出すようにする。

写真集「輝く子どもたち」完成する

2008-05-25 16:31:26 | Weblog
 子どもたちの可能性を引き出す懸命な教師の仕事により、素晴らしい子どもたちが育まれました。
 この写真集「輝く子どもたち」は、子どもたちの授業、合唱、総合表現(オペレッタ)体育、遊び、教師等が132枚の写真によってできあがっています。
 完成した写真集を見て、改めて子どもというものはなんと可愛らしく清潔で美しいものかと思わざるをえません。また、教育の力を感じざるをえません。
 今、写真集を購入していただいたり、寄贈させていただいたりした多くの皆様から、賞賛の声が届いています。ほんとうにありがたいことです。
 この写真集を作成するにあたり、子どもたち、保護者の皆様のご協力ご理解をいただきました。感謝申し上げます。

授業での教師の言葉

2008-05-20 10:11:01 | Weblog
新規採用教員の4人は、ほんとうに毎日毎日懸命に学級づくりに、授業づくりに汗を流している。毎日がいろんなストレスや悩みを抱えながら、それでも溌剌と子どもの前に立っている。心底「ご苦労様です」と言いたい。
4月から1ヶ月半経った今日、新規採用教員の感想を述べてみる。まずは、授業を見ていて、私が一番気になってしまうのは、教師の言葉の多さである。言葉が多いわりには、いや、多いからこそといってもよだろうか、子どもに話の内容が伝わっていないことが多い。じっくりと子どもを見て、話しかけたり、子どもの動きを見て、指示を出したりという姿勢が不足している。だからすごく授業に無駄が多い。授業が進まないのだ。子どもたちは、いつもそわそわしている。ふざけたりする子どももいる。机の上に伏せている子どももいる。これらは、新規採用教員の授業の特徴であろうが、ベテラン教員の中にも見られる。
新規採用教員には、一度に授業が上手にできるようになるには無理であるだろう。しかし、自分の授業の善し悪しが理解できているかが大切である。それがなければ授業改善は期待できないからである。
○まず、話す前に子どもをしっかりと見ること
○静かに語りかけるように話すこと
○子どもの反応を見ながら話すこと
○適切に間合いをとって話すこと
○言葉を選んで話すこと
○ときどき自分の授業のテープをとって、聞いてみることなどが改善の視点になる。努力してもらいたい。

「子どもは簡単には変わらない」つくづく感じます。

2008-05-07 16:27:26 | Weblog
 「子どもは簡単には変わらない」なぜか、私見を述べますと、学級や学校に文化が育っていないと変わらないということだと思います。
 文化とは何か、それは、その学級や学校の拘りだと思います。毎年例年のように教育課程を編成し、毎年同じような年間計画で同じように授業をしていたら、当然子どもは変わらないでしょう。わかりきっていることです。でも意外にこういう学校が多いのですよね。
 子どもを変えるには、①学級や学校に文化をつくる。しかも、できるだけ質の良いもの。②その文化を継続すること。しかも年度に従って価値あるもの高度なものにしていくこと、それが大切だと思います。これは、難しいことかもしれませんが、企業における製品は、新製品ほど一般的にはいいものですよね。製品は日進月歩よくなっている。学校の子どもはどうなのかね?・・・・・。