言葉は考えて発したい。〈中日新聞(中日春秋)によれば、脚本家の山田太一さんがスマートフォンを使う若者の指の速さについて書いている。「言葉というものは、あんなに速く打たなければいけないものでしょうか」・・・・。若者の指遣いは魔術師のようであるが、これが心配だと言葉のプロフェッショナルの山田さんはやんわりと警告する。あのスピードで書けば、ありきたりの言葉しか出てこないはずだし、「キライ」「死ね」「マジ」とドンドン短くなっていく。「決まり文句だけになって、お互いの内面の本当は、枠の外に取り残されるのではないか」という指摘である。〉
多少言葉について関心を持っている私も同じようなことを感じる。みなさんはどうでしょうか。パソコンの苦手な私の僻みでしょうかね。
ああ!私としては、なんとマジでかしこーな文章を書いてしまったのか、チョッパズです。自分はオラオラ系ですのでみなさんイラオコしないでね。ゆるしてニャン。この文章わけわかめでしょう。・・・この文章わかりますか。よほどの若者で、とんでるものでしかわからないですよね。
人間は、言葉を元に思考していくのだから、言葉が育てば心が育つ、人が育つ
菊池省三
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