松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

第17回授業研究の会(浜松の会)の御案内

2011-10-29 16:50:00 | Weblog



第17回 授業研究の会(浜松の会)の御案内


~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~

 一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。
 それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修ではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。
この浜松の会では「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」をテーマとして研修しています。ここでの学びは、具体的であり、実際的であり、実質的なものです。それだけに確実に得るものがあり、上記のテーマの実現が可能です。
この会は、偏向的な教育や思想はしていませんので、安心して学ぶことができます。どなたでも自由に参加できます。まだ、参加されたことのない方は、是非覗いてみてください。
 多くの皆さんの参加をお待ちしています。

1 開催日時
平成23年11月 5日(土)9:00~12:00

2 開催場所
  浜松市天竜壬生ホール第1会議室

 ※時間厳守ではありませんので参加できる時間で結構です。
 ※駐車場はあります。

3 研修内容
○ 国語を中心とした各教科
○ 音楽、図工、体育などの実技教科
○ 学級づくり
○ その他

4 準 備 物
○ 実践したもの(ある人)
○ 教材研究をしてほしい教材がある人(10部印刷持参)
○ 筆記用具
○ 国語辞典
○ 会費 300円
○ 服装は自由

5 この会の研修内容や実践の証、考え方は下記のブログをご覧になれば、おおよそ理解できると思います。検索してください。
○浜松授業研究の会
○totoroの小道
○藍色と空色と緑のページ(各教科等の実践が掲載されています)
○松明光明

詩の朗読~山からきた子~

2011-10-24 19:34:55 | Weblog


 私が現役で学級を受け持っていたとき、4月から3月までの詩の朗読の年間計画を立て、毎日「朝の会」などに子どもたちに詩の朗読を指導した。
 子どもたちは、喜んで詩の朗読をした。1人で、2、3人で、群読で、立ち位置を考えたり、身体で表現したりして朗読した。今でも子どもたちの素晴らしい読みと、その動きが鮮やかに蘇ってくる。
どの詩も内容があり、子どもたちの表現力を十分に育成できるものであった。その時の詩を再び掲載してみる。


山からきた子

ぼくらのクラスに入った 山から越してきた 男の子
葉桜の下に 腰をおろして腕をくんでいるぞ
ちらりと ぼくらのすもうを 見ているぞ

日焼けしたほお ふとい まゆ
たきぎを背おったような がっしりした肩
手ごわそうだぞ また こっちを 見ているぞ

ゆうべ まちかどで あの子を見た
病みがちな おかあさんと
二人暮らしだという あの子 
しょう油びんを さげていた

「きみも やらないか 勝ちぬき戦だよ」
呼んでこようか 入れてやろうか
ほら 見ているぞ じっとこっちを 見ているぞ

ようちゃん、よい歌声だったよ

2011-10-22 10:25:28 | Weblog


合唱の評価にはいろいろあると思うが、私はまず教育としての合唱は、技術は言うまでもないが、そこにどれだけリアルな人間性が出ているかを評価したい。
 従って、「全国○○合唱コンクール」などで歌う子どもたちの合唱はあまり興味を持たない。
選抜された子どもたちが、みんな同じ顔で、同じ動きで機械仕掛けのような歌い方でで少しも感動が伝わってこないからである。

さて、天竜・龍山地区の音楽発表会を見る機会があった。年々合唱も器楽もよくなっているようでいいなーと感じた。なかでも○○小学校の合唱は素晴らしかった。
合唱曲は「あんたがたどこさ」と「ひろい世界へ」であった。その感想を書いてみます。
1 よかったところ
○ 入場がきれいだった。静かに整然とできていた。
○ 選曲がよかった「あんたがたどこさ」は、アカペラで歌っていたが2部、3部合唱であり、小学生としては高度な合唱である。子どもや教師に力があればこのような合唱に挑戦させた方が子どもも教師も伸びるからいいのではないかと思った。
○ 高音部の発声に昨年から取り組んできた成果が出ていたようである。美しく、ひびきのある声で細心の注意をはらって発声していたようである。
○ 歌全体のメリハリもあり、聴く者の心を充足してくれた。思わず素晴らしいと感じた。
○ 前半部と後半部に隊形の入れ替えがあり、歌や隊形が立体的で厚みが出た。だから見る者もアクセントを感じ楽しく聴けた。
○ 全校1年~6年生が1つになり、小規模校のよさや特色がよく出ていた。また、子どもたちが大きく見えた。これは質の高い合唱ができたからであると思う。
2 今後の課題と思われるところ
○ ステージの都合があるかもしれないがもっと子どもたちを前面に出して歌わせたい。
○ よく息を吸えるようになったがさらに努力したい。
○ いっそう歌にメリハリがほしい。このメリハリが人間的な感動、他に訴える力を生み出すからである。さらに、聴衆に対して、聴かせる意識があるとよいだろう。
○ 「ひろい世界へ」は、この子どもたちや先生の力ならばもっと他の曲にしたほがよかったと思った。この曲は、歌詞が美しいく曲がきれいなのはよいが、逆に全体に軽いので、気持ちよくムードで歌ってしまいがちである。だから聴いていて少し退屈になってしまった。

以上、音楽素人の私ですので、当たっているとは思いませんが、一人の人間としての感想です。また来年度のようちゃんの仕事が楽しみになってきました。
 がんばってね。素晴らしい合唱ありがとう。

詩の朗読~つけものの おもし~

2011-10-18 21:14:12 | Weblog


 私が現役で学級を受け持っていたとき、4月から3月までの詩の朗読の年間計画を立て、毎日「朝の会」などに子どもたちに詩の朗読を指導した。
 子どもたちは、喜んで詩の朗読をした。1人で、2、3人で、群読で、立ち位置を考えたり、身体で表現したりして朗読した。 今でも子どもたちの素晴らしい読みと、その動きが鮮やかに蘇ってくる。
 その時に扱った詩を再び掲載してみる。どの詩も内容があり、子どもの表現力を十分に育成できるものであった。


   つけものの おもし


つけものの おもしは あれはなにしているんだ

あそんでるようで はたらいているようで

おこってるようで わらってるようで

すわってるようで りきんでいるようで
 
こっちむきのようで あっちむきのようで

おじいのようで おばあのようで

つけものの おもしは あれは なんだ

第16回 授業研究の会(浜松の会)の研修報告

2011-10-15 13:29:35 | Weblog



第15回 授業研究の会(浜松の会)の研修報告

研究会テーマ:~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」~

1 開催場所 天竜壬生ホール第1会議室

2 開催日時
  平成23年 10月15日(土)9:00~12:00

3 研修内容
○ 近況報告
それぞれの先生方が実践を積むにつれて、子どもや学級や授業が確実に変わってきているという報告があった。この会で学んだことが生かされていることをみんなで確認することができた。今後の実践の意欲につながった。
○ 大府の会報告
正洋先生から、教授学研究の会(大府の会)の報告をA4プリント5枚で示された。このようにまとめてくれると参加しなかった先生もどんな内容の研修であったか知ることができ、大変ありがたいものである。
○ 国 語
教材解釈と授業展開を考える
3年 物語文「ちいちゃんのかげおくり」
問題になったところ
・「おうちのとこ」
・「ここがお兄ちゃんと私の部屋」
・深くうなずきました~また深くうなずきました
・「ほしいを少し食べました」「また少しかじりました」の違い
・「明るい光」「太陽は、高く上がっていました」太陽の位置、時間的な経過
・「暑いような寒いような」とはどういうことか
・幻想の世界はどこから始まっているか
・「ふらふらする足をふみしめて立ち上がると」とは、どいういうことか、ほんとうに立ち上がったのか
・「いつの間にか」改行されていないことは?
・「空にすいこまれていくのが分かりました」
などの疑問や問題が出され、解釈と授業展開を話し合った。1時間余があっという間に過ぎ、大変勉強になった。
○ 音 楽
・ 呼吸、発生、身体のつくり方
・ビデオを見て学ぶ「3年生」「4年生」の合唱
○その他
4 次回の予定
○日 時 平成23年 11月5日(土) 9:00~12:00
○場 所 浜松天竜壬生ホール第1会議室

5 その他
  この会の研修内容や実践の証、考え方は下記のブログをご覧になれば、おおよそ理解できると思います。検索してください。
  ○ totoroの小道
  ○ 藍色と空色と緑のページ(各教科等の実践が掲載されています)
  ○ 松明光明
○ 浜松授業研究の会


第16回 授業研究の会(浜松の会)の御案内

2011-10-11 16:23:25 | Weblog



第16回 授業研究の会(浜松の会)の御案内


~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~

 一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。
 それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修ではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。
この浜松の会では「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」をテーマとして研修しています。ここでの学びは、具体的であり、実際的であり、実質的なものです。それだけに確実に得るものがあり、上記のテーマの実現が可能です。
この会は、偏向的な教育や思想はしていませんので、安心して学ぶことができます。どなたでも自由に参加できます。まだ、参加されたことのない方は、是非覗いてみてください。
 多くの皆さんの参加をお待ちしています。

1 開催日時
平成23年10月15日(土)9:00~12:00

2 開催場所
  浜松市天竜壬生ホール第1会議室

 ※時間厳守ではありませんので参加できる時間で結構です。
 ※駐車場はあります。

3 研修内容
○ 国語を中心とした各教科
○ 音楽、図工、体育などの実技教科
○ 学級づくり
○ その他

4 準 備 物
○ 実践したもの(ある人)
○ 教材研究をしてほしい教材がある人(10部印刷持参)
○ 筆記用具
○ 国語辞典
○ 会費 300円
○ 服装は自由

5 この会の研修内容や実践の証、考え方は下記のブログをご覧になれば、おおよそ理解できると思います。検索してください。
○ 浜松授業研究の会
○  totoroの小道
○ 藍色と空色と緑のページ(各教科等の実践が掲載されています)
○ 松明光明


教育メモ~一斉授業と子どもの発言について~

2011-10-08 14:22:14 | Weblog




発言する子どもが少ないとか全員が活躍していない、といったたぐいの議論がある。これもやはり集団のなかの相互作用を全く無視した議論である。発言しない子どもは、全くなんの学習もしていないのではない。それどころか、この間にこそ本当の学習をしているのである。
 教師と他の子どもたちのやりとり(コミュニケーション過程)はもちろん、それに直接参加する子どもの学習を含んではいるが、実はそれ以上にほかの子どもたちの学習活動にとって重要な刺激として働いているのであり、それ自体がひとつの教材とさえいえるほどである。
 だから発言が多かったからとか、多くの子どもの学習活動がとりあげられたからといって、その授業がよい授業だったというこにはならない。逆もまた真である。
 一時間中ほとんど発言しなかった子どもが最も深く考え、よい学習をしていたことはしばしばある。跳び箱のうまく跳べない子どもを、他の子どもの前で何回も繰り返し指導して跳べるようにしてやる過程は、ほかの子どもにとって時間のむだどころか、単純な運動をめいめいが平板に繰り返すより、はるかに密度の高い学習となる。合唱練習の場合など、ひとつのパートを丹念に指導していると、それを黙って聞いていた他のパートが、何もしないはずなのに、ずっとうまくなってしまったというような例もよく知られていることである。
 ただし、このような授業の成立は、一定の質をもったものでなければならないことは言うまでもない。

「一文解釈の方法」から学ぶべきもの

2011-10-04 09:22:37 | Weblog



 ゆきのさんのブログ「こころみの授業」の中に、次のような「一文解釈練習」が紹介されている。
これは、国語の物語文や説明文の教材解釈の視点となるものである。【私は/橋/だった。】という短い一文であるが、多くの解釈の視点が示されている。手元に置いて、教材解釈のヒントとしていきいたい。
 

一文解釈練習

私は 橋 だった。

一文解釈練習

【私は/橋/だった。】
・なぜ、「橋だった」の?今は何?今は「橋」ではないの?
・なぜ、「橋だった」と言わなくてはいけないの?橋だったことに誇りを持っているの?

・「私」ってだれ?「橋」
・「橋」ってなに?

○ 橋辞典で調べる・・・・・川、海峡、道路などの上に渡して、通路とするもの。

・「橋」ってどんな橋?何でつくられていたの?つり橋なの?鉄橋なの?古いの、新しいの?
・どこに架けられていた「橋」なの?町なの、山の中なの?海?
・どこと、どこを繋いでいたの?よく利用されていたの、寂しい所にあり利用はないの?・「だった」「だ」とどう違うの?
・過去を懐かしんでいるの?自信を失っているの、いないの?

(橋だったと過去形で書いているので、今は橋ではなくなっている。その私は、今、どこにいるのだろうか?橋が架けられていた所が見えるような所にでもいるのだろうか。あそこに架かっていたんだ。というと、今は、破片となって近くに落ちているのだろうか。
形がしっかりしていて、利用されていた時の思い出には、誇りを持っているようにさえ思える。ただ橋とだけしか書いてないから、その構造はよく分からないが、鉄橋では無いようだ。周囲に何があるのかも分からない。)