以下、ここに引用するのは、加藤博史氏が、教育誌「事実と創造」に寄稿した『保育の仕事から私が学んだこと』の中からである。
加藤氏が保育園で仕事をするようになって1年がたち、いくつかのことを学んだことを記したものである。私も昨年1年間幼稚園に勤務し、同じようなことを経験をしたことがあるので紹介する。加藤氏の文のなかでは次のようにある。オペレッタの指導のなかでのことだ。
私が「Bちゃん、うまいねえ。」と誉めると、B君の動きは、手首だけでなく全身を使った大きな表現になりました。
私は何か、大事なことを教えられたような気がしました。私はB君に何も教えていません。もしかしたら「もっとからだを大きく使って動いてごらん」と教えても同じ結果になったかもしれません。でも、B君は、私に誉められたことが心の栄養になって、自分で自分の動きを大きくしたのです。形としては同じでも、B君にとって意味は違ってくるような気がします。何日かたって、お迎えのとき、B君のおかあさんは「家の子は、オペレッタが大好きだって言っています。」と言ってくれました。
「言祝う」といくのは、「言葉で祝う」ということですよね。大人の願っている方向かどうかでなく、「その子の今生きている姿を祝う」ということなんだと思います。
私もそう思います。こういうことは保育園や幼稚園での経験の中で多いように思います。「誉めること」「教えること」「教えて誉めること」どれも結果は同じようになりますが、子どもが受ける気持ちは違うようです。