松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

仕事によって自分を専門家にする

2015-03-29 11:37:52 | Weblog


〈教師の世界では、自分へ矢を向け、自分の仕事で追求し、自分を専門家にし、教育の分野での可能性に向かって、ぎりぎりまで追求し実現することへの志向と努力の不足があった。教師が自分の専門での追求をせず、いたずらに政治経済のみを論じたり、へんな一般論のみやったり、皮相的なムード的な危機感や絶望感のみを持ったりして、専門の自分の仕事への貪欲なほどの執着とか執念とか追求とかがなかった。それによって突破口を見出すというようなことがなかった。したがって教師は、何を専門にしているのかわからないような人種になり、ぬえ的な存在になり、専門家としての重さも、迫力も、自身も、発言力も持たないものになっていた。〉斎藤喜博著『私の教師論』より

これは斎藤喜博が生きた時代だからといってはならない。いつの時代でも教師は要求されることである。教師が教師としての専門家を軽んじたり、それを捨てるとき保護者からのクレームを招き、そのクレームが理不尽であろうと、学校や教師は何も言えなくなってしまうのである。また、政治家や経済界から何を言われても反論することもできなくなってしまうのである。



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教師の専門家としての仕事とは

2015-03-19 09:47:05 | Weblog
                  写真集「いのち、この美しきもの」斎藤喜解説

 斎藤喜博は、その著『私の教師論』によれば、
〈教師の仕事は、だれにもはできない授業という専門の仕事によって、子どもの持っている無限の可能性を引き出す仕事である。たんに一般的教養を子どもに与えたり、家庭で母親がやるべき、またやれるところの、しつけ的なものだけをやるのでなく、授業の中で子どもの持っている可能性を引き出したり、それを拡大したり、新しい生命や感動をつくり出したりする仕事である。
 そういう仕事は、ほんとうに力を持ち熟練した専門の教師が、高い豊かな教材の解釈を持ち、子ども一人一人の思考や感情をよく見きわめ解釈し、その両者が衝突し、そのどちらかがくずされる瞬間瞬間に創り出されていくものである。〉とある。


昨今の教育(授業)を見ていると、教科書にある教材を教師が一方的に教え込むというようである。これはあまりにも教材が多くて、そのようにするしかないともいえる。
 さらに、学力テストの結果の公表などにより、教師の教え込みに拍車がかっているようでもある。これでは子どもの可能性を引き出すことはできないと思う。



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瑞穂小学校ライブリーズ、素晴らしい演奏ありがとう。M先生よかったよ。

2015-03-14 22:04:52 | Weblog
 


 初任者研修でお世話させていただいたM先生から卒業演奏会のお招きをいただいたので行ってきました。
 M先生は教師になられて6年になります。瑞穂小学校では、金管バンド部の顧問ををしています。
 M先生と子どもたちの努力で、本年度は全日本小学校バンドフェスティバルで金賞の栄誉に輝きました。
  今回もゲスト出演で開成中学、浜松商業高等学校のバンドのみなさんも参加され素晴らしい演奏や合唱を聴くことができました。感動で心が洗われました。
 M先生の指導されたライブリーズのバンドですが、これまた素晴らしく小学生とは思われないものでした。金管楽器の音の優しさ、強さ、響き、子どもたちの表情、動きどれも見事でした。
  M先生の指揮もよかったです。自信たっぷりで子どもたちの奏でる音を十全に引き出していました。M先生の教師の成長を垣間見ることができ、本当に嬉しく感じました。
 久しぶりに子どもたちや生徒の演奏や姿に触れ、「若いっていいな~」としみじみ思いました。
 この子どもたちや生徒が未来に向けてのいっそうの活躍を願わずにはいれませんでした。
 M先生、これからもさらに立派な教師になられるように心から祈っています。今日は楽しい1日になりました。ありがとうございました。校長先生にもよろしくね。♪♪♪・・



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他から学ぶことが苦手な教師

2015-03-10 11:36:17 | Weblog
                  写真集「いのち、この美しきもの」斎藤喜解説


教師は教えることは得意だが他から学ぶことは苦手のようである。いや苦手と言うよりも拒否しているようにも思われる。これは私の教職経験から言えることである。
 教育学者、斎藤喜博によれば
〈自らの中に偉大なものすぐれたるものを認める力さえないくせに、ことごとに不遜な言動をなし、価値を否定し恥じない生輩は、一生かかってもこういう気持ちは味わうことができないであろう。そしてそんな奴は一生かかっても小さな真実さえつかみとることができないであろう。〉「表現と人生」より
と、記している。教師に言えることである。


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ああ!春ですね。

2015-03-05 11:23:55 | Weblog


 『春の数えかた』日高敏隆著には
 〈新年のことを新春というが、このことばは、子どものころのぼくにはどうしてもしっくりこなかった。
 その理由はじつに単純であった。こんなに寒いのに何が春なんだ?ということである。〉
 さすが、動物行動学者の子どものころの弁である。今日は3月5日、ひな祭りも過ぎ、日射しに力強さがでてきた。庭のチューリップの芽も出てきた。ジンチョウゲも春の香りを放っている。空中には小さな虫がキラキラと光りながら飛んでいる。地面にはアリがあちこちに動き回っている。ああ!やっと春だなぁーと実感する。明日は啓蟄である。


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