松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

明けましておめでとうございます

2009-12-31 23:21:04 | Weblog


明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします
正月になるといつも下記の詩歌を思い出します。

初暦知らぬ月日の美しく(吉屋信子)
これから始まる一年間、どんな日々が訪れるだろうか、どうか美しい日々でありたい。私にも貴方にも世界にも

新年来たり
門松は白く光り
道路は霜に凍りて
冬の凛烈たる寒気の中
地球はその週歴を新たにするか(萩原朔太郎)
ああ!何て新鮮な言葉でしょうか。正月の朝を言い当てていますね。

保護者の学習ボランティア

2009-12-29 17:39:59 | Weblog
【かけ算の点検をしてくれる学習ボランティア】


 日本の学校でも授業の中に保護者の学習ボランティアが入るようになった。生活科や総合的な学習の時間では子どもたちの安全保持のために、また、高学年の家庭科の調理や裁縫実習なのである。最近では、他の教科でも学習ボランティアとしてお手伝いしてもらっていることが多い。例えば国語や算数のドリル学習の点検、体育では持久走のタイムや縄跳びの回数をとることなどである。
 十数年前、私は欧米の学校の幾つかを訪問する機会があった。そのとき、教室に何人かの保護者がいて、教師の学習指導の補助をしていた。それを見聞きして(ああ、日本でもこのように保護者の方が学校に入ってくれるといいな)と思ったことがある。今は、日本の学校もそれに近いものになった。よいことである。
 保護者が学校に入ってもらえることは、学校にとっても保護者にとってもいくつかのメリットがある。あげてみよう。
○ 子どもたちの学習の効果を上げることができる
○ 子どもたちの安全の確保ができる
○ 保護者の方の学校理解や子ども理解につながる
○ 保護者の方が、学校の味方になってくれるようになる
○ 保護者の方の生き甲斐につながることもある
○ 子どもたちが大人との対応ができるようになる
○ 保護者が教室に入るだけでも、教室が新鮮になり楽しくなる
○ その他
 教師も保護者も忙しいが、互いに子どもを育てるということで力を寄せ合うことが大切であると思う。

通信票を渡す

2009-12-26 10:52:57 | Weblog

 2学期の終業式の日も子どもたちは通信票をもらいます。子どもたちは顔には出しませんが、通信票の成績はどうなのか、胸の内はドキドキハラハラなのです。 私の入っている初任の先生も教室で通信票を渡しました。教室の前の方で、一人ひとりを呼んで通信票を指さし、学習や生活のことを褒めながら、また、頑張りをうながしながら、でるだけ明るい顔で、温かい言葉を掛けながら手渡していました。
 1学期の時と同じように、通信票をいただいた子どもたちは、にこっと笑ったり、ちょっと戸惑った顔をしたりして自席に戻り、そうして再びゆっくりと通信票を見るのでした。通信票の目的は、学習や生活等の様子を受け取る子どもや親の気持ちを考えながら、その状況をきちんと伝えなければなりません。それだけに先生は、通信票をつけるときにも、子どもたちに手渡すときにも神経をつかうのです。

初任者の授業 国語「お手紙」(2年生)より

2009-12-21 14:45:29 | Weblog

1 授業者の反省
 今回の授業の課題は、「ふたりともかなしい気分になったのはなぜか」でした。ここでは子どもたちに「だれも」という言葉に着目させ、かえるくんとがまくんのかなしみの違いに気づかせるというものでした。子ども達が教師のヒント無しに、この言葉に気づき、ふたりのかなしみの違いに気づくことは正直、高度なことだと予想していました。正直この課題解決の意見はこの時間で子ども達の口から出るのかとても心配していました。本時の1つめの発問で早速私は、この本題を子ども達に問いました。挙手が少なかったために、周囲の人と相談させることによって、挙手の範囲が広がりました。ここで子ども達が答えたのは、こちらの想定通りの、「かえるくんもがま君のかなしみにつられた」というものでした。その他これと同等の答えも出ましたが、やはり二人のかなしみは同じ質のものでした。ここで、二人のかなしみの質を質問したところ、二人のかなしみの質は違うことを子ども達は答えました。しかし質は異なるものの、やはりつられた、という考えのものでした。ここで私は子ども達に「困ったときは文を切る」という方法を持ち出しました。「困ったときは?」と子ども達に尋ねたところ、子ども達の中から「切る」という声が出たことには安心しました。そして、一つの文を、文節で6つに切りました。「だれも、ぼくに、お手紙なんか、くれた、ことが、ないんだ。」予想を反してここでも、持って行きたかった「だれも」に挙手をする子はおらず、お手紙なんか、と、くれた、に意見は固まりました。しかし、ここで、この文の中での気持ちは誰のものか、また、子どもたちは今は誰の気持ちを考えているのかを確認し、整理することによって、授業終了の5分前に、ようやく課題の到達点の意見まで出ました。子どものたちは「だれも」に気づき、その中から「自分に責任を感じた」とまでの意見が出ました。課題解決のためにこだわった文としてはたった2行。45分間、子ども達はとてもよく考えました。子ども達が45分間を真剣に文や言葉と闘う授業を、これからもしていきたいです。

2 参観者より(御指導いただいたこと。)
○ 難しい課題だったが、子ども達が非常によく考えた授業だった。
○ はじめに挙手が少なかったところで、周囲と相談させたことによって、挙手の範囲が広がっていったのがよかった。
○ 子ども達の意見を聞きながら、今やっていることを整理していくといい。
○ 板書が見づらかった。(色チョークの使い方を学ぶと良い)
○ 指示棒の差し方など、国語指導の基本的なことも勉強する必要がある。
○ 最後にまとめを書かずに終わってしまったので、まとめも書かせたらよかった。
○ 話し合いの仕方、次時につながる意見の取り上げ方も今後、より勉強していくとよい。
○ 「かなしみの質の違い」を問う難しい課題を、導き出す(ゆさぶりとも考えられる)発問「がまくんとかえるくんのかなしみは同じですか」と文を切る「だれもに気付かせる」という方法で、子どもたちが追究していった。M君が、授業のあと、今日の国語は楽しかったと言っていたそうです。ちょっと難しいことをよく考えて、わかったという実感が子どもたちに存在したのだと思います。学びは、いろいろあります。考える学び、まねる学び、繰り返す学び、調べる学び、観察する学び、協力する学び、・・・、国語は、言葉で考える学びということを大切にした授業でした。 教師が国語を教えることが楽しくなれば、子どもも教師も毎日が充実します。宮地さんは、自分の授業の振り返りを文章でしっかりとしています。宮地さんの授業実践の積み重ねによる秋の実りがいっぱいの授業でした。
○「2人のかなしみは同じか」というような課題、「だれも」の言葉に解決の糸口がある。これらは、先輩の先生方の授業でもおそらく課題として上げることが少ないであろう。よほどしっかりと教材の解釈をしないと出てこないと思われる。初任者でも、子どもにとってやや課題が難関であっても証拠が文中にあり、投げ掛けられた課題が魅力的であるならば、子どもたちは充実した学びをする。

おめでとう40周年、大瀬小学校

2009-12-17 09:20:07 | Weblog
 

 私が初任者指導で入っている浜松市立大瀬小学校は今年創立40周年を迎えた。その記念として、15日から電飾600球を使い、創立された「1970」や「40年」の文字、星や鐘などをかたどった赤や青のイルミネーションで祝われている。
 15日の点灯式では、制作を手伝った同校の卒業生と児童によって「大瀬小の光で地域がいっそう明るくなれば」「みんなが一生懸命つくった作品を飾れて、誇りに思います」などの挨拶がされた。
 これからもこのイルミネーションの文字や絵のように、大瀬小の子どもたちが美しく光り輝くことを念願したい。
 点灯時間は午後4時30分~午後8時。27日まで。

詩の朗読の実践11「山への思慕」

2009-12-14 16:08:01 | Weblog
 
 部屋の整理をしていたら、詩集が2冊出てきた。私が30代半ばの頃(昭和55~58年)子どもたちに詩の朗読を指導しようとしてつくった詩集である。
 4月から3月までの年間計画を立て、毎日「朝の会」などに朗読を指導した。その時の子どもたちは6年生であった。
 子どもたちは、喜んで詩の朗読をした。1人で、2、3人で、群読で、立ち位置を考えたり、身体で表現したりして朗読した。今でも子どもたちの素晴らしい読みと、その動きが鮮やかに蘇ってくる。
 11月には4つの詩の朗読を指導している。
冬の夜道(津村信夫)・山への思慕(田中冬二)・鹿(三好達治)・初冬(村野四郎)



山への思慕(田中冬二)

しずかな冬の日
私はひとり日なたの縁がわで
遠い山に向かっている
山は父のようにきびしく正しく
また母のようにやさしい
山をじっと見つめていると
何か なみだぐましいものを感じる
そしていつか心はなごみ澄んでくる
秋の夜を あの山のふもとできいた神楽は
やしの笛の音のように
しずかな冬の日
私はひとり縁がわであたたかい日をあびて
遠い山にむかっている

歌声指導について

2009-12-09 12:53:42 | Weblog


 
 今回は歌詞の指導を重点においたものです。歌声指導をする場合、歌詞のことをあまり話し合いません。それでは表情のある歌声にはなりません。
「ビリーブ」の指導を例に記す
○「たとえば君が 傷ついて」・・・君とはだれでしょう?友だち、家族というように具体化することにより、歌を自分のものにする。
○「くじけそうに なった時は かならず僕が そばにいて」・・・「かならず」は、ぜったいという意味ですね。「そばにいて」は、その友だちに近づくように、気持ち体も前に出してみよう。
○「ささえてあげるよ その肩を」・・・「ささえる」ってどういうこと?意味の理解をさせる。だれをささえるの?
○「世界中の 希望のせて」・・・世界は広いよ。今の歌声は、この運動場ぐらいしかないよ。世界は日本より広いよ。もっと大きく広げてください。きれいにね。体を使ってね。
○「いま未来の 扉を開けるとき」・・・みんなの歌は扉が開いていないよ。今度は半分ぐらい開いた。もっと風が気持ちよくとおるように広く開いて
○「悲しみや 苦しみが」と「いつの日か 喜びに変わるだろう」・・・歌詞の内容を対比させることにより、平板な歌い方にならないようにする。
○「Ibelieve in future」歌の題名であるみんなに投げかけるように歌いましょう。訴えましょう。

※教育としての歌声は、楽譜どおりに間違うことなく、はみ出すことなく、こわごわ歌うことではない。一人一人が歌に命を吹き込むように、自分をしっかり持って歌わせることが大切である。そうすることによって、はじめて歌う喜びを感じたり、歌う意義を感じたりするのである。また聞いている人に感動を与えたりするのである。そのためには、歌詞の理解、呼吸や発声の指導が重要になる。

詩の朗読の指導について

2009-12-04 09:14:01 | Weblog


 いくつかの学校で朝夕の会に「詩の朗読」をしている。そのことは素晴らしいことである。しかし、朝夕の会のプログラムにあるので、ただ読んで終わるというようなことになってはいないだろうか。私の担当している初任者の先生のクラスでは、次のようにお願いしてる。
 朝の会は短い時間ですが、いつも全員で一斉に朗読するだけでなく、詩の連をグループや班で受け持って読む、一人で読む、4,5人読む、群読風に読む、歩きながら読むなどである。このようにするだけでも、ずぶん朗読が立体的になったり、楽しくなったりする。時間も一斉で読むのとかわらない。
 詩の朗読の指導をもう少し丁寧にやるとすれば、次のような方法もある。草野心平の詩「風景」を例にして記してみる。


風 景(草野心平)

南天の実の向こうに 白い土蔵があります
その屋根の ずっとむこうに あおい空
あったかい雲が光っています

指導例
○声を出して読んでみよう。読めない字はとばしてね
○意味が分からない言葉がありますか
○歩きながら読んでみよう
○自分の声を校長室まで届けるように出してください。
○季節はいつの詩ですか
○何が見えてきましたか
○作者は、最初何を見ていますか。次に何を見ていますか
○この詩からどんな色が見えてきましたか
○どんな気持ちで詩をつくっていますか
○作者の気持ちの高ぶりは、最初のほうと最後のほうと同じですか。そうするとどのように読んだらよいですか 
○清々しい作者の心が分かるように声を出して読んでみましょう
○朗読を見ている人は、雰囲気をつくってやりましょう
○詩のイメージを抱きながら登場しましょう。退場するときも同じです
○すぐ朗読に入らないで自分の気持ちが盛り上がったら朗読しましょう
○中空を見つめて、体をやわらかく使って、向きを変えたり、ここだというところを歩いたりして朗読しましょう
○「春の歌」とこの「風景」の詩は、同じ作者です。気持ちの上でどんな違いがあるでしょう。(4年生のとき学習した「春の歌」の詩を読んで聞かせる)
○その他
※授業として指導する場合は、もっと詳しく内容の読み取りをしなければならない。




持久走大会を意義あるものにするために

2009-12-02 08:47:39 | Weblog
 
 
 今、多くの学校では「校内持久走大会」に向けて練習をしている。しかし、その行事が片付け仕事になっていないだろうか。そのようなことにならないためにも少なくとも以下のことに留意しなければならない。
○運動場にラインを引いておく。白く新しいライン、それだけでもちがう
○いつでも走れるような環境設定をしておく、駆け足の音楽、カラーコーンの設置など
○長期間かけて練習する、ここが大切である
○教師はいつも運動場を見て、誰が走っているか確認する
○朝夕の会に必ず走っていた子どもをみんなの前で褒める
○体育の時間では、タイムをとり、記録させる
○前時の自分のタイムと比較させる
○新記録が出たら褒める
○自分の新記録のタイムを記憶させる。いつでも言えるようにさせる
○新記録が出るような練習や走り方ができるようにさせる
○他人と比較するのでなく、自分の以前の記録と比べさせる
○クラスの平均タイムをとる。そして前時と比較させる
○その他
 わかっていても意外にこのようなことをしないことがある。これでは、子どもの心や体は育たない。また、持久走大会そのものも意味はなくなってくる。
 教師が忙しいのなら、できるだけ子どもが主体的に練習できるように工夫することである。そこがミソである。