松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

小さな声で授業ができたらいいね

2011-06-28 21:16:36 | Weblog



 廊下を歩いていて、ほとんど聞こえないほどの声で授業をしているということは、それだけ教室が充実しているということを意味しています。低い声で話をしても、子どもに浸透しているということは、すでに子どもの耕しが終わったということを表します。
耕しの段階では、大きな声で叫ぶように授業をしなければならない時もあります。私などは子どもと格闘するような場面もありました。子どもに学習の躾をするときや学習の手順を指導するときなどです。そんなときは、教室は修羅場のようになります。
きれいごとを並べて「声の低い」授業などできるようになるものではありません。
しかし、一般的には、授業のうまい人は大きな声を出していません。授業がうまくないから、また、授業が具体的でなく、子どもにしみ込んでいかないから先生が大きな声を出してしまうのです。
大きな声を出すから、いっそう子どもが聞かないので、先生はさらに大きな声を出してしまう。悪循環になっているのです。気をつけたいことですね。
 教師は自分の声を自分で聞き、考えながら子どもに話しかけ、いっしょに考えていくようにしなければいけないですね。


 授業研究の会(浜松の会)のお知らせ
 
1 日時 平成23年7月9日(土)9:00~12:00
2 会場 浜松市天竜区「天竜壬生ホール第1会議室」

 ※ 会の様子内容を知りたい方は次のブログを検索し、ご覧ください。
  ○「totoroの小道」
  ○「松明光明」
  
  どなたでも結構です。多数の皆さんの参加を願っています。

頭の中に「神社」があるか

2011-06-25 10:51:42 | Weblog



  近頃、日本に何のために“神様”があるんだと思って考えていました。乃木神社、東郷神社、明治神宮とありますね。やはりあれは偉い人の遺徳をしのぶためにあるわけですね。それは明瞭ですね。
 僕たちの頭の中には“神様”あるというのです。僕の頭の中には「クライスラー神社」「カルザス神社」があって、わからなくなったら、そこへ行って鈴を鳴らしてお賽銭をあげて「どうなさいますか」と聞く。するとポンと教えてくれる。“神様”をもたないとさびしくなって、自分の力ではどうにもならないものがあって・・・・

 上記の文は、「斎藤秀雄(音楽家:門下に小沢征爾、岩城宏之がいる)の対談集」での斎藤の発言である。
 これを読んで私も同じようなことを感じました。教育のこと、授業のことがわからなくなったとき、私の場合は、「斎藤喜博神社」に聞く。みなさんも「○○神社」を持つことをすすめます。このときの「○○神社」の○○はできるだけ、教育の本質がわかっている人、事実で教育の効果を証明している人がいいですね。
 師を持つには、教師は勉強をしなければなりません。本を読む、先人の話を聞く、講義を受けるなどしなければ、よい師を見つけることはできません。ましてやよい師を持つことなどできるものではありません。
 俺は、師を持たなくてもよい仕事ができるなどという不遜な教師がいるとすれば、その教師は、絶対によい仕事などはできません。これだけは断言できるでしょう。これは教育の世界だけではありません。芸術の世界、スポーツの世界すべてにあてはまることです。


授業研究の会(浜松の会)のお知らせ
1 日時 平成23年7月 9日(土)9:00~12:00
2 会場 浜松市天竜区 「天竜壬生ホール」第1会議室
※ 会の様子や内容はブログ「totoroの小道」や「松明光明」を見てください。

「校長までの人」と「校長からの人」

2011-06-21 09:17:06 | Weblog
  


 政治評論家の浅川博忠氏は、総理大臣を評して、「総理までの人」と「総理からの人」に大別している。
 「総理までの人」をさらに2つに分けて、①何も大したことをやってこないで総理になった人、総理になってからも何もやらない人 ②総理になるまでに意欲を注ぎすぎて総理になった人、総理になってからは何もやらない人。いずれもこの①②の総理は「総理までの人」であると言っている。
 一方「総理からの人」は総理になってから、何をやるかビジョンを持った人であり、リーダー性と方向性をしっかり持っている人である。と言っている。
 そして、今の総理大臣は、どうも「総理までの人」が多いのではないかと言っている。
  この言葉を学校教育の校長に当てはめて考えると、同じようなことが言えそうだ。校長の中には「校長までの人」と「校長からの人」に分けることができる。それも今の総理と同じように「校長まで人」が多いのではないかと感じてならない。
 校長になることは目的ではない。校長になって初めて学校経営ができるのである。故に校長になるまでにどんな学校をつくりたいか見聞を広め、よく考え、勉強し、そうして校長になってからそのビジョンや夢を強いリーダーシップで実現させてもらいたいものである。そんな校長が増えてくれることを強く望む。

仕事の優先順位て大切ですよ

2011-06-17 21:18:15 | Weblog



教師の仕事は、ほんとうに多いと思います。それも雑多なものであり、現実にはとても専門職などと言えるようなものではありません。だから仕事の何を切り捨てるか、何から優先して始めるかはとても大切なことです。
第一は、緊急を要する提出物や分掌の仕事などをします。他に迷惑をかけてはいけませんからです。
第二は、授業の準備(教材研究等)です。授業が充実すれば他のものは、ある程度手を抜いても子どもはよくなります。保護者も安心します。
学級のめあてなどの掲示物を何時間もかけてつくる。「学級便り」を何枚も書く。保護者への連絡帳や子どもの日記を毎日書くことも大切ですが、こういうことがあまり必要にならないために、それらに先んじて、授業つくりや子どもつくりを綿密にすることです。「教室が楽しい、授業がわかる、先生が好き」などは、子どもにめあてを書かせたり、日記を書かせたり、教室の掲示物に時間をかけたりしてもできるものではありません。もっと直接的に一人一人の子どもに働きかける授業や学級づくりが必要になるのです。そのためにも仕事の優先順位が大切になります。また、いくつかの仕事を切っていく、そして本質的な仕事に時間をかけるようにしたいものです。
もう少し踏み込んでいうならば、教室はすっきり整頓され、掃き清めてあればよい。その中で充実した授業がされる。これが一番です。子どもの実態や教科の進度に従って、少しずつ教室をつくっていけばよいのです。

授業における子どもの表情とは

2011-06-14 09:07:15 | Weblog

                   素敵な表情で歌う子どもたち(写真)

  「表情」を広辞苑で調べると、心中の感情・情緒を、顔つきや身振りに出しあらわあすこと。とある。
また、「顔色」を調べると、感情を出している顔つきとある。「顔色をうかがう」「顔色を見る」「顔色を変える」などの例が示されている。
 これらから言えることは、人間の「表情」とか「顔色」は、心の中の感情が、うそ偽りのない形で表に出てくるものであるといってよいだろう。
 言葉や文章では、好きなように表現できるが、表情や顔色は、心中の思いがストレートに表情として、また顔色として出てくるものである。
そうしてみると、私たちは授業を展開しているなかで、常に子どもの表情や顔つきに心を配る必要がある。
 物言わぬ子どもたちの中には、「ああ、先生は何を言おうとしているのか」「この問題はどのように考えればよいのか」「先生の発問の意図がわからない」「板書の字が小さくて見えない」「時間がきているのに終わってくれない」など、表情として信号を出しているのである。教師はそれを読み取らなければならない。
 そのことにより、課題や発問を変えたり、展開そのものを大幅に変更したりするのである。
 子どもが見えるということは、教師の大切な資質と言えよう。

第13回 授業研究の会(浜松の会)の研修報告

2011-06-11 18:48:56 | Weblog



研究テーマ:~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」~

1 開催場所 天竜壬生ホール第1会議室

2 開催日時
  平成23年 6月11日(土)9:00~12:00

3 参加人数 7人

4 研修内容
○国 語
 教材解釈 3年国語(上)「海をかっとばせ」(光村)
 新教材であり、しかもファンタジー作品ということで、教材解釈や実際の授業構想に
難しさを感じたが、みんなで話し合う ことにより、授業の方向性が明確になった。や
はり、多人数で話し合うよさを改めて感じた。

○図 工
1年生 「自画像」の指導
 1年生担任の2人の教師からの実践発表であった。2人ともこれが1年生の作品?と
思われるような凄い作品であった。しかも全児童の作品である。
 この研究会で学んだ指導の原則をしっかり使っての指導であり、研究会への参加の意
義を強く感じた。

○音 楽 
4年生の合唱「とんび」の指導
 子どもたちの高音をいかに引き出すかという追求的な実践であった。その都度ビデオに
撮り、段階を追って子どもの変容を示された。指導の時間が積み上げられるに従って、子
どもの声や表情がよくなっていくのがよくわかった。

 今回も実践に裏付けられた研修ができた。この会で勉強したことが生かされ、どの実践
も質の高いものであった。
 参加すれば必ず得ることがある。研修意欲を刺激される。そんなところがこの会のよい
ところだと思う。
 今回は天候が嵐のような風雨であり、参加者の人数が心配されたが、若い教師を中心に
多くが参加された。

※次回の予定
 7月 9日(土)

※この会の研修内容や実践の証、考え方は下記のブログをご覧になれば、おおよそ理解で
きると思います。検索してください。
○ totoroの小道
○ 藍色と空色と緑のページ(各教科等の実践が掲載されています)
○ 松明光明


第13回 授業研究の会(浜松の会)の御案内

2011-06-07 09:18:03 | Weblog


~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~

 一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。
 それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修ではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。
 この浜松の会では「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」をテーマとして研修しています。ここでの学びは、具体的であり、実際的であり、実質的なものです。それだけに確実に得るものがあり、上記のテーマの実現が可能です。
この会は、偏向的な教育や思想はしていませんので、安心して学ぶことができます。どなたでも自由に参加できます。まだ、参加されたことのない方は、是非覗いてみてください。
 多くの皆さんの参加をお待ちしています。

1 開催日時
平成23年6月11日(土)9:00~12:00

2 開催場所
浜松市天竜区                                                      天竜壬生ホール第1会議室

 ※時間厳守ではありませんので参加できる時間で結構です。
 ※駐車場はあります。

3 研修内容
○ 国語を中心とした各教科
○ 音楽、図工、体育などの実技教科
○ 学級づくり
○ その他

4 準 備 物
○ 実践したもの(ある人)
○ 教材研究をしてほしい教材がある人(10部印刷持参)
○ 筆記用具
○ 国語辞典
○ 会費 300円
○ 服装は自由

5 この会の研修内容や実践の証、考え方は下記のブログをご覧になれば、おおよそ理解できると思います。検索してください。
○ totoroの小道
○ 藍色と空色と緑のページ(各教科等の実践が掲載されています)
○ 松明光明

教師の授業づくりの構え

2011-06-04 13:46:28 | Weblog



○ 子どもの主体性を大切にする。
○ 全員に考えを持たせる。
○ 分かりませんではいけない。1つでも2つでもよい。答えを持たせる。
○ ノートに書かせる。選択問題で決めさせる。グループで協議させる。
○ どの子どもの意見も認め、褒める。
○ やさしいが、要求はきびしく。雰囲気が暗くならないように、しつこく。
○ 教材の研究がよくできている。特に教材の解釈を。
○ 課題提示を分かりやすく。
○ 授業に手を抜かない。
○ 教室の空気をさわやかに保つ。


私が大切としている授業とは  

2011-06-02 13:28:18 | Weblog



授業の様子として

○ まず、落ち着いていて安定している。
○ 全員が授業に参加している。
○ 問題を抱えている子どもも集中している。
○ 静かな中に思考の動きがある。
○ 人の話を聞く姿勢がよい。表情が明るい。
○ 教師の表情がやわらかい。
○ 教師は、よく教材を研究している。
○ 課題が具体的であり、追求的である。
○ 子どもと子ども、子どもと教師、子どもと教材の関わりの中で、
  授業が展開している。