松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

新しい気持ちを大切に

2012-03-28 17:35:41 | Weblog
  

   長かった冬の眠りからめざめた草木や動物たち。自然界がにぎやかに躍動を始めています。
 梅の花も咲き、桜のつぼみも膨らんできました。陽だまりに立ってみると、春の陽の光を
全身に感じ、なんとなく心が浮き浮きしてきます。
 教師はこの時期、転退職があり、新しい世界に入っていきます。子どもたちも新しい学校
や上の学年になり気持ちも新鮮です。この気持ちを大切にしたいですね。


梅の花ひらけ
          斎藤喜博

梅の花ひらけ 空に向いて土に向いて
小枝小枝に ほつほつひらけ
どこかで 虫が呼んでいる
どこかで 人とも呼んでいる
梅の花ひらけ ぱっぱあとひらけ

楽しい歌声指導の手順

2012-03-25 15:18:09 | Weblog



1まず、子どもたちに力いっぱい歌わせることによって、自分を出させ、やり得た喜びを味わわせる。
2全身で息を吸い、全身で歌う子どもをつくる。
※ 普段の歌声で、この1、2ができているでしょうか。これは、音楽専科の教師でなくてもできることです。また、できなくてはいけないことです。しかし、その前に全身で息を吸い、全身で歌う子どもの姿に対して、教師が感動できる心や目を持たなければなりません。
3全身で息を吸って歌っているうちに、子どもの声が1つにそろうようになり、音程がとれない、変声期といった言葉ですら、わすれられてしまいます。
4このことにより、校歌、朝の歌、集会での歌も一変してくるはずです。
5それらができてきて、やわらかい声、美しい声、ハーモニー、二部、三部合唱などに向かっていくようになる。
※ 音楽専科の教師ほど、5を中心に指導するから、子どもがなかなか歌が好きになれない、全身で歌う喜びを経験できないのだと思います。
※ 歌声指導がむずかしい、できないという教師は、やはり5を考えてのことだと思います。まず、簡単な歌から1,2をめざして実践するとよいでしょう。これは私の歌声指導の経験からです。


どのような授業をつくり出すか

2012-03-22 14:35:28 | Weblog


 例えば国語の授業で考えてみると、単に国語の力をつけるだけでなく授業をとおして
1 自主性のある子どもをめざす。自分から進んで、物事に集中して取り組む。
2 主体性のある子どもをめざす。自分の考えをしっかり持ち、素直に表現する。
3 探求心のある子どもをめざす。分からないこと不明確なところを納得できるまで追求し、真理に素直になれる。
4 心のしなやかな子どもをめざす。友だちの発言に耳をかたむけ、対応し、友だちと交流できる。
5 子どもたちの日常の生活や他の教科の学習に大いに影響を与える。
6 理想として描く子ども像を育むことができる。

具体的に国語の授業でいうならば、次のような授業である。
1 文や言葉に着目して、作品を深く読み取る。
2 何でもないような文や言葉から真理を読み取る。
3 はじめは、「いいかげんでよい」からはじまり、最終的には深い読み取りになる。
4 123を全員参加の授業で行う。
5 123により、どの子どもにも、意見を持つ、意見を聴く、意見を表明する力をつける。
6 始めのイメージが変わる。
7 他の教科に転移できる。 

教育メモ~子どもを育てるには、「手入れ」が必要」~

2012-03-19 07:48:23 | Weblog
             


 子どもを大事にするということはどういうことか。それは「手入れ」の問題だと思います。車の修理ならば全部どうすればいいかわかります。子どもの場合はそうはいかないのです。だから何か都合が悪いことがあれば相手の反応を見ながら手入れをしていくしかない。相手の反応を見ながら手入れしていくというのは、非常に手間のかかることです。
 お母さんがうるさいのはなぜか。毎日のように飽きずに、ああしちゃいけません。こうしちゃいけません、こうしなさい、ああしなさいと言い続ける。子どもとはそうやって毎日手をかけていかなくてはいけないものだからです。
車ならば悪いところを交換すればそれで当分何ということはない。しかし、相手が子どもならば、少しずつ相手を見ながら毎日毎日手入れをしていくしかない。それは稲を育てるのと同じです。稲というのは太陽の光と水と肥料で育つものだと言って、放っておいたらどうなるか。雑草だらけになって、稲以外のものの方が一生懸命育ってしまったということになりかねません。結局、毎日、田んぼに行くしかない。雑草は抜かなくてはいけないし、イナゴは追い払わなければいけない。
その手入れを上手にするためには、根気が必要なのです。子どもを育てるのも同じです。 まともな親なら子どもの存在をきちんと認めているはずです。毎日心にとめている。そうしていれば大体普通に育つんです。
                         養老 猛著「超バカの壁」より 

指導の原則~自画像~

2012-03-14 10:25:26 | Weblog

1自分との出会い
○自分らしさはどこにあるか
・家族の誰に似ているか
・性格はどうか
・顔の特徴は(目、鼻、口、耳、眉、髪の毛、肌の色など)
○左右対称にあるのか、そうでないのか

2描く
○正面からでなく、少し斜めから描く
○目尻、目頭をよく見て描く、特に上まぶたと下まぶた
○空気の通る鼻の穴
○顎の線や頬のふくらみ
○首の太さ、細くならない、実際に手で触ってみる
○髪の毛の流れ、どこから生えているか、一本一本の線、やわらかいかどうか
○顔の形は、長い、丸い、三角、ひょうたん
○口は上唇と下唇の大きさ、膨らみ
○どこから描き始めるか

3着色
○水加減
○線をふまない
○色の調和
○筆のタッチは一方向に、往復はやめる
○筋肉に沿って筆を運ぶ、ペンキ塗りはしない
○パレットには10円玉くらいの色を広げたり、混ぜたりする
○塗り重ねは、下色が乾いてから
○白や黒色は安易に使わない
○水はいつもきれいなものを

歌うことは、「うったえる」ことである

2012-03-07 22:07:54 | Weblog
 

 
 歌うことは「うったえる」ことである。特に教育としての歌声は、「遠足やキャンプファイヤーでの歌声」「家での楽しみの歌声」「青春歌として楽しむ歌声」とは、区別して指導したい。
 教育での歌声は、子どもの心身を歌声によって育てるという目的があるからである。従って、きれいな声であるが、のっぺらと漫然に歌っている子どもたちの歌声などには、教師は嫌悪感を抱かなければならない。そうでなければ教師は指導できないからである。単に整とんされたきれいな歌声では、子どもの主体性や創造性を育てることができないことを教師は知らなければならない。
 どんな歌声がよいか、以下述べてみる。

○息をいっぱい吸う
○その吸った息を100%声に変える
○身体を解放して、全身をつかって歌う
○歌詞を解釈し、歌詞のなかみを歌うようにする
○言葉を相手に手渡すようにはっきり歌う
○全員の声がひびき合っている
○結果的に美しく力強く、またやわらかな声になる
○教師は子どもの声を引き出すような指揮をする

 教師の教材解釈の手順としては、
1まず、はじめに歌詞を何度も読む
2歌詞を自分で書いてみる
3次にそれを解釈する
4子どもと一緒に話し合う
 例 ○ここに出てくる山はどんな山ですか、高い山ですか、低い山ですか
   ○山の色はどんなですか
   ○山は遠いですか、近いですか
   ○山に対してどのような気持ちで呼び掛けていますか
   ○山の「や」をぼんやり歌わないで、はっきりと発音しましょう
   ※とにかくどんな歌でも解釈から生まれたイメージを子どもと共有することが大切である。

卑怯で許されない「いじめ」

2012-03-04 17:18:09 | Weblog



 私が「いじめ」について、気になっていることは、言葉等の暴力の問題もありますが、その前の段階として、態度や行動の問題が大きいと考えています。
その中に何でもないようなことですが、グループの問題があります。それも複数のグループ同士ならいいのですが、1人が孤立した場合は、それ自体が「いじめ」の現象になるのです。

    ●●●●●●        ●       ●●●●
   (グループ)        1人(孤立)    (グループ)

こういった場合、グループに所属している子どもは、孤立している子どもの気持ちがほとんどわかりません。グループに所属している子どもたちは、相手を排除することにより、自分たちの仲間意識を強化していくとう働きが自然に生じます。ですから、孤立された子どもは一層孤立させられます。たまったものではありません。
学校でも気をつけたいですが、家庭においても孤立している子どもを出さないためにも、子どもと話し合っていただくことが大切です。孤立する子どもは、いつでも同じ子どもとは限らないからです。                        子どもは、孤立している子どものことを「○○だからしかたがないよ!」などと言うでしょう。しかし、そこのところの指導が肝心です。何であろうが、多数で1人を排除したり、意地悪をすることは、卑怯であり、許されることでないことをしっかり教えなくてはいけないと思います。

ありがたい「節目」の日、大切にしたいですね。

2012-03-01 11:09:57 | Weblog
 


 さあ、いよいよ3月である。元旦とか月始めは、よいことも悪いことも一つの節目になるものである。
だれが考えてくれたのかこの「節目」ってありがたいと思う。
 連続している毎日だけど、あえて「節目」をつくることで、現在から過去を振り返り、そしてまた未来
を見つめることができる。すると今、自分が立っている現実がわかってくる。
 大きな悩みを抱えたり、トラブルをおこしたり、つまづいたりすることや、逆にうれしいことや喜びが
あったりすることで、それが「節目」になったりすることもあるが、用意された「節目」の日に、自分を
見つめてみたいものだ。
 3月は卒業式、教職員の人事異動、離任式、4月には入学式、始業式を迎えるが、ひとつの「節目」の
日になる。その日を転機として、にさらに希望を大きく持って前進したいものである。