「いじめは学校や教師の責任」であるこを教師は自覚しなければならない。その上に立ってであるが、次の文を読んでみよう。これは中日新聞12月15日のハーフタイムの欄であり、題目は「皆が少しずつ」である。そのまま下記に紹介する。
「いじめの問題は、学校だけが矢面に立たされているようで違和感がある。」と言うのは、浜松市北区の元PTA会長だ。
隠れて行われるいじめ。学校側だけで実態をつかみきれない、という意見にはうなずける。元PTA会長は「いじめている側の保護者も、学校と同等程度の責務を負っていいのではないか」と続ける。
いじめは完全犯罪じゃあないわけだから、目撃者も証拠もあるだろう。そして目撃者の多くは同級生ら。「だとしたら、わが子からいじめ問題を聞き出せなかった保護者は、学校を追及するだけでなく、自分たちの責任をもっと考える必要があると思う」と訴える。
いじめは表面になかなか現れにくい。「でも周りのみんなが少しずつ、勇気と意識を持ってできることをすれば、減らせるのでは」と期待する。
この文を読んで、みなさんはどう思うだろうか。元教師の私が勇気を出して言わせてもらうと「ああ!いいことが書いてあるなー」である。
子どもは生まれてずっと家庭で育ち、学校での時間以外はほとんどが家庭や地域である。自分の子どもやその友だちの様子は、学校と同じようにつかめるはずである。そういう意味では、文にあるように 「周りのみんな(学校、家庭、地域)が少しずつ、勇気と意識を持ってできることをすれば、(いじめを)減らせるのでは」の考え方は素晴らしいことであると思う。
みんなでいじめをなくしていこう。
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