斎藤喜博はその著『教師の自由と責任』において、次のように述べている。
〈私が教師として生きてきた39年の期間は、戦前・戦後を通じて、教育の理想とか本質とかと、政治とか社会とかの方向とあまりにもちがいすぎていた。悪しき政治が、あまりにも強く教育を支配し、教育の可能性を押しつぶし、ゆがめた方向へ持っていってしまったのである。政治が本質的であることによって、教育は、その仕事の持っている可能性をより豊かに実現することができるのであるが、逆に押しつぶされてしまうことが多かったのである。〉
私が現役の時にも同じような思いであったが、現在は特に政治が教育へ介入してきているようである。斎藤喜博の時代とまではいかないが、何かじわじわと政治の支配が強まってきているようである。教育委員会や教育学者、現場の教師はよほどしっかりしなければならないと思う。
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