松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

各教科の現代化のために

2010-07-31 09:25:27 | Weblog


 ずいぶん昔(昭和50年代)の本を読んでの紹介であるので、現代とはマッチしないところがあるが、それにしても私は同感するところが多々あるので記載した。

  国語科では基礎工事として言語教育の確立が必要である。それは「言語科」を特設しろと言うことではない。「とりたてておこなう国語指導」の時間をはっきりと意識的に教育計画に入れるということである。
 現在の国語科が、特に低学年の「こくご」が、国語教育であるとは思れわない。
 低学年の理科や社会科の賛成者は。いや反対者も、低学年の国語科では、もっぱら国語の形式的な面だけをやると見ているようだが、私の考えは違う。
 形式的な面だけと言うのはどんな意味かよく分からないが、4年生になって、「ソレ、アノ」などの指示語さえきちんと教えようとしていないものが、形式的にでも国語教育といえるだろうか。国分氏によると国語教育の目的を
①日本の文字、日本語の発音・単語・文法・文・文章の部分・文章などについての意識的自覚をたかめ、それらの知識を確実に子どもたちのものにすること。
② コトバと、コトバのはたらきにむすびつけて、感覚・知覚・想記・表象・思考・想像などの認識諸能力をのばしてやること。能力を主体とすること。
③ 自然や社会や人間や文化の事物=実在に対する見方・考え方・感じ方を正しくゆたかにすること。
の3つにおき、しかもこの①②③は相互に関連し、統一するように指導するのだそうである。この考えに異議はない。けれども一般の「こくご」は、国語教育の素地を養い、特に道徳教育のためのものであって、「りか」や「しゃかいか」とたいした違いはない。「たいようが東からでます」と言えば「りか」で、「お日さまが西に」というと「こくご」で、これにフシがつくと「おんがく」になる。
 理科の教科書と国語の教科書の違いは、前者のほうが文章がまずくて、工作活動(体験学習)が多い点だけであろう。
 国分氏の主張は正しいには違いないが、現実の国語科がこの状態では、良心的な教師でも、②の目的のための教材を足場に、もっぱら③の目的だけを志向して、①の目的がほとんど無視される授業になっているのではないか。少なくとも地方にいる耳目に入る国語の授業の大半はそうである。
 こういうと「それはおまえが知らないだけだ。おれたちは③もやるが①もやっている。決して無視していない」という教師が多い。「①もやっている」ではこまるのだ。まず「①をしっかりやってから、②、③を考えて」ほしいのである。教科書の「解説通りに」教えてもらってはこまるのである。
 だから国語教育の現代化のためには、国語科の時間の一部(全部ではない)をさいて、教師と子どもが意識的に「日本語の知識を確実に身につける時間」を設定し、道徳教育や社会認識に鉄のカーテンをおろす必要があるのである。    

               「学校の仕事 教師のしごと」高橋金三郎著より



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これは本当の話である

2010-07-28 12:15:08 | Weblog

「写真は『アブラゼミ』です。セミの中で一番アホなセミです」


終業式の当日、明日から夏休みに入るということで、私(初任者指導教員)にも子どもたちに話をさせてもらった。夏休みの有意義な過ごし方の後、私はこのように子どもたちに聞いた。
T みんな今外で鳴いているセミがいるよね。「シャーシャー」と鳴いているね。このセミの名前を知っている人?
C 3人が手を上げる(このクラスは30人学級である)
T ええー、他の人は知らないの?
C 知りません
C わかりません
C えー、鳴いているの?(セミの鳴き声が意識されていない子どももいる)
T では、○○君
C ミンミンゼミです
C 私もミンミンゼミだと思います
T あれ、何て鳴いているの?「シャーシャー」だよ。「ミーンミーン」でないよ。(子どもたちは、セミといえば、「ミンミンゼミ」セミの鳴き声といえば「ミーンミーン」と機械的に覚えているのである)
T 他の人ありますか
C アブラゼミです
T 残念みんな違います。今、運動場の木で鳴いているセミは「クマゼミ」です。よく覚えておいてね。


※ この後、季節の早い順に出てくるセミ「ハルゼミ」「ミンミンゼミ」「ニイニイゼミ」「アブラゼミ」「クマゼミ」「ヒグラシ」「ツクツクボウシ」などについて、その姿、鳴き声、習性について、面白おかしく語ってあげた。子どもたちは、目を丸くして聞き入っていた。それにしても、あまりにもセミを知らない、いや自然を知らない子どもたちである。今の子どもたちの行動様式がわかるような気がした。せめて夏休みには、大いに自然にふれてほしいと思った。
 因みに初任の女の先生も「クマゼミ」とは知らなかった。そうかもしれないよね。ああ!さびいしいよー。

問題解決学習・自力解決学習の考え方とその方法(その2)

2010-07-26 09:29:48 | Weblog



1 団子の形で授業をつくろう 
  団子とは串に刺された団子である(写真の図)。串は1時間の授業の流れであり、1時間の授業を貫くものである。
  団子はそれぞれ串に刺されているが、一つ一つは独立しているものである。その団子を学習形態と捉えてほしい。(適切な例えとは言えないかもしれないが)
  学習形態を団子に例えたのは、学習形態にメリハリをつけてほしいからである。同時にこれらの学びを1時間の中に位置づけてほしいからである。なぜ、こんなことを書いたかというと、特に初任者や経験の浅い教師の授業を見ていると、教師中心の授業やダラダラした間延びのある指導、一本調子の授業が目立つからである。ですから団子のように、一つ一つの学びを明確にし、それぞれの学びを確保し、立体的な授業にしてほしいからである。
  ※ 上の団子図の学習形態は、オーソドックスな形である。教科や教材、学習時間や子どもの実態により、変えていきたい。
2 一つ一つの学びの留意点を記してみる
 ① 導 入 
 ○ 短い時間でする。
 ○ 子どもの学習意欲の喚起をする。
 ② 課 題
 ○「~したい」魅力的な課題を提示する。
 ○ できるだけ子どものつくった課題でやる。
 ③ 一人学び
 ○ 十分な時間をとる。
 ○ 教師の机間指導で子どもの反応を掴む、後れている子どもの指導をする。
 ④ 発 表
 ○ しっかり聴く、話すことができること。
 ○ 子どもの意見で授業をつくる
 ○ 教師は必要なときのみ話す。
  ○  子どもの意見を繰り返さない。くどくどと確かめたり、解説しない。
 ○ 同じ子どもに活躍させない。全員参加をめざす。
  ○  意図的指名、選択肢のある問題で意思表示をさせる。
 ○ 意見の根拠を大切にする。
 ⑤ グループ
 ○ 話し合うポイントを明確にしておく。
 ○ グループ内で声が伝わるようにする。
 ○ 特定の子どもだけに活躍させない。全員参加をさせる。
 ○ 教師はいつでも指導しているグループ以外のグループの学びをキャッチしている。
 ○ 他のグループの声や動きがじゃまにならないようにする。
 ⑥ まとめ
 ○ 教師が全員の子どもに分かりやすく理解させる。
 ○ 練習問題や応用問題をする。
3 団子指導の事例(写真の団子図を見ながら読んでください)  
(1) 国 語
4 年 教材「白いぼうし」
課 題「なぜ、松井さんは夏みかんを車に乗せたのか」
① 導 入
T 普通はタクシーの中に夏みかんなんて置かないですよね。お客さんだってこの「におい」を好きな人ばかりではないからね。でも松井さんは夏みかんを車に乗せた。何か理由があるのだね、いったいどうしてでしょう。
② 課 題
 「なぜ、松井さんは夏みかんを車に乗せたのか」
③ 一人学び
T 課題について自分の考えを書きましょう。
C いなかのおふくろが送ってくれたから。
C おふくろが速達でおくってくれてうれしかったから。
C においがよかったから。
C あまりうれしかったので。
・・・などが、ノートに書かれるだろう。教師は補助簿と赤ペンを持って机間指導する。一斉指導に生かせる子どもの考えも掴んでおく。
④ 発 表
T みんなの考えを発表してください。
C いなかのおふくろが送ってくれたから。
C おふくろが速達でおくってくれてうれしかったから。
C においがよかったから。
C 「あまりうれしかったので」って、③段落に書いてあるから
T 大きく3つの考えが出たね
ア おふくろが送ってきた 
イ においがよかった
エ うれしかった
この3つのうちどれだろうか。
C エの「うれしかった」だと思います。
「あまりうれしかったので、いちばん大きいのを、この車にのせてきたのですよ。」と教科書に書いてあるから
C ぼくもそう思います。うれしかったからのせたのです。
C うれしかったのは、松井さんです。だからのせたのです。
T 「うれしかったので」の「ので」って何んですか。
C 何か、理由を言うときに使うみたい。
C そうそう、私もそう思う。
C 「ので」を辞書で調べてみよう。
C 辞書を見ると、「から」と同じ意味だとあるよ。
C そこの文を「から」にすると、「あまりうれしかったから」となる。
T そうすると、「あまりうれしかったから」松井さんはどうしたの。
C 車にのせた
C 車になつみかんをのせたわけが書いてあるんだ。
C 「ので」や「から」は原因と結果をあらわす言葉だ。
T ほう、すごいことを見つけたね。そうなんだ。そうすると松井さんがなつみかんを車にのせたわけがそこに書いてあるんだね。
T 「ので」や「から」を使って短文を作ってみよう。
C 雨がふってきたので、かさをさした。
C お腹がへってきたから、パンを食べた。                        ・ 
  ・
  ・
※ できるだけ、子どもに発言を多くさせる。その中で、子どもに考えさせたい。見つけさせたい。特に、文や言葉に着目さて発言させたい。また、辞書を引いて考えさせたり、短文を作ったりして考えさせたい。
⑤ グループ
    話し合い等の中で、難解なことなどが出てきたら、グループ学習で話し合わせて解決させていくのもよい。
⑥ まとめ
   T 今日読み取ったことがよく分かるように朗読しよう。

※ 以上、あくまでも事例ですから、教材や子どもの力の実態により、指導は当然変わってきます。


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生きる知恵に出会う  こころのうた

2010-07-24 09:17:32 | Weblog


幼き頃に、母から聞いたあの童謡、友達と共に歌ったあの唱歌。日本には、心に響く歌がたくさんあります。耳に残る美しいメロディー。口ずさむ度に新たな発見が生まれる歌詞。日本人の心に染み込むあの歌を、今一度噛み締めてみませんか。

灯台守
勝 承夫作詞 イギリス民謡  

(一)
凍れる月影 空に冴えて
真冬の荒波 寄する小島
想えよ灯台 守る人の
尊き優しき 愛の心

(二)
激しき雨風 北の海に
山なす荒波 猛り狂う
その夜も灯台 守る人の
尊き誠よ 海を照らす

 小学校高学年で、この歌に出会ったが、子供心に、寒々と冴え渡る真冬の海を照らす一筋の灯台の光と、凍える指に息を吹きかけながら、海の安全を祈って働く灯台守の姿を思い浮べながら歌った記憶があります。この頃は、戦争の悲しい体験を経て、貧しいけれど、生き残った者同士が互いを信じ助け合って生きた時代でした。

経済大国となった今日、経済的に豊かな時代を築き上げたけれど、仕事をする姿を真正面から「尊き優しき 愛の心」と言う表現で“感謝と尊敬の気持ち”を歌った曲に出会ったことはありません。むしろ今は、全てを疑うことを教えているような気さえします。自助努力の名の下、「仕事は、他人よりも少しでも贅沢な生活をするための、お金を得る手段」と考えている人が大半と思われます。
 食品の偽装表示や、弱者を平気で騙す数々の詐欺行為の横行。更に殺人までも……。

  仕事は誰のために、何のためにするのか、そして、その対価とは何なのか、考え直す時代に来ているのではないでしょうか?

 (長性院住職 亮一)
 
 この歌は、明治22年、大和田建樹がイギリス民謡に「旅泊」と言う題名で作詞したが、戦後、勝 承夫が「灯台守」の題名で再度作詞し、小学5年生の唱歌に取り上げられた。美しいメロディーに素晴らしい歌詞がつけられたもので、戦後の、貧しくとも清く正しく互いを信じて生きる喜びを彷彿とさせてくれる名曲です。

昨年だったでしょうか、森繁久弥さんが亡くなられたのは、NHKでその特集があり、森繁さんが上記の歌を味わい深く歌っており、たいへん感銘を受けましたのでこの歌について調べました。(河島)



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先生方、夏季休業中に読書を!

2010-07-21 11:19:53 | Weblog


夏季休業中も忙しいだろうが、教師は読書をしてもらいたい。普段はなかなか読めないからである。
 ここでは、日本の教育者の実践にふれてほしい。文科省や教育委員会からくる、ややもすると末梢的で対症療法的な教育ではなく、子どもや教師が真に育つ実践を示唆してくれるからである。
 下記の実践者は時代を超えて、教育の大切なものを教えてくれている。是非お薦めする。
 特に小学校教師は、斎藤喜博の著書を読んでほしい。それは、ある教科だけに偏るのでなく授業と行事を中心にして、子どもを育て、教師を育てたからである。それも今までになかったような、また、今後もあらわれることのないよな質の高い実践をつくりだした教育者だからである。

 斎藤喜博の本

  「授業入門」「授業」「授業の展開」「教育学のすすめ」「教師の仕事と技術」「一つの教師論」他多数あります。
   これらのどの本も素晴らしく、感銘を受けた。私の教育実践に大きく影響を与えてくれた。

 ※ 斎藤喜博の経歴等を知りたい方はインターネット『ウィキペディア
(Wikipedia)』で調べてみてください。

(参 考)
  先日、本屋さんで、総合教育技術8月号を見ていたら「日本史上最高の教育者は誰だ!ベスト10」という特集が掲載されていた。それによると

1 位 大村はま(国語教育)
2 位 福沢諭吉(思想家)
3 位 吉田松陰(松下村塾)
4 位 斎藤喜博(授業、行事)
5 位 緒方洪庵(医学)
6 位 向山洋一(教育の法則化)
7 位 宮沢賢治(童話作家)
8 位 森 信三(しつけ教育)
9 位 津田梅子(自由教育)
10 位 東井義雄(綴り方教育)

 であった。斎藤喜博は4位であった。昭和の教育者では2位である。1位は大村はまであった。大村はまは昨年亡くなられたとき、大きくマスコミで取り上げられたので、1位になるのはわかる。しかし、中高の国語教育専門の大村はまよりも、小中で特に小学校で学校づくり、授業づくり、教師づくりと幅広く、深く実践し、多大な業績を残した斎藤喜博のほうが、私には勉強になった。今でも私は、現役を退職し、拠点校指導教員の仕事をしているが、斎藤喜博に関する本は読んでいる。


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問題解決学習・自力解決学習の考え方とその方法 (その1)

2010-07-17 20:30:34 | Weblog
 
   写真は、自力で問題解決に取り組む子どもたち
 

 初任の先生や若い先生の指導、いやベテランの先生の指導のなかにも、あまりにも系統的な教え込みの指導をしている先生を見るときがある。家庭で親が子どもに教えているような指導である。ちっとも子どもに考えさせない。発見させるということのない指導であり、教科書に書いてあることを事細かに順序立てて教えていく。子どもは受け身になり、つまんなそうな顔をしている。このような教え込みの指導は、知識としても身に付いてかない。
 そこで少しでも問題解決学習的な指導ができるように、その方法のおおよそを記してみる。参考にしていただけたらと思う。

○ 心構え
問題解決学習は、子どもも教師も、「この問題は難しい」「初めてやる学習」だからできるわけがない。と思っているかぎり、この学習法は成立しない。まず大切なのは教師が子どもの可能性を信ずることである。

問題解決学習のおおよその流れと留意点(算数科を念頭において)
※ 他の教科等にも応用する

1 問題提示につて(導入)
○ 子どもたちの意表をつくような問題を提示する。
○ 子どもたちに「ええっ!」「できるの?」「ようし、やってみよう」とい気持ちを抱かせる。
○ 教師は「まあ、君たちには無理だね」「降参だろう」など言って、逆に子どもの挑戦欲を引き出すこともよい。
○ 教師は子どもたちは、既習学習を駆使して、何とか解くことができるだろうということを信ずる。
○ 何人かが解決方法を考え出すだろう。最終的にはそれらを元にして、全員に気づかせていけばよい。
2 自力学習(考える学習:探求学習)
○ まず、一人で問題解決に挑戦させる。
○ 教師は補助簿と赤ペンを持って、机間指導をする。
 一斉学習で使えそうな子どもの考えを書き留めたり、○を付けたり、ヒントを与えたりする。ヒントは個々の子どもの力に応じてする。
○ 一斉学習で使えそうな解決法を選んで、子どもに小黒板や画用紙に書かせておく。後から発表させて全員に考えさせるため。
○ 全体の解決度を見て、必要ならば途中でも一斉指導をする。
○ 算数の場合などは計算、図、絵、線分図などいろいろな方法で解かせる。時間いっぱいまで学習させる。遊ばせない。
○ 問題にもよるが、できたもの同士で話し合いをさせてもよい。
3 発表学習(交流学習:対話学習)
ここでは、一斉学習もしくはグループ学習等の方法があるが、子どもの解答の状況や残り時間のことを考えて選択する。
① 一斉学習の場合
ア まず、発表したい子どもの考えを取り上げる。その場合、似ている解決法の子どもには指名しない。教師として取り上げたい解決法があれば挙手がなくても指名して発表させる。
 間違った解決法や稚拙な解決法も場合によっては発表させる。問題解決学習では、間違いから大切なことを学ぶことがあるからである。ただ、誤答を出した子どもには、恥をかかせることのないようにする。
イ 自分の考えを小黒板等に書かせて、どのようにして解決したのか発表させる。このときに大切なことは、「話す、聴く」「反応する」の指導がしかりされていることである。自由にものが言える学級でありたい。
② グループ学習の場合
ア まず、グループ学習ができるような学級づくりがなされていること。全員が自由に発言できること。「話す、聴く」「反応する」ができること。司会者があってもなくてもできること。
イ グループ内での話し声が全員に聞こえること、他のグループの学習のじゃまにならないこと。
ウ 特定の子どもだけが活躍しないこと。
エ グループの学習で自分の考えが深まること。
オ 話し合ったことを一斉学習で発表できること。
4 まとめ(教える学習:習得学習)
ここでは教師がしっかり教え込みたい。子どもたちの迷いを晴らせてやり、どの子にも理解が図れるようにしたい。如何に教師が分かりやすく説明してやるかが大切になってくる。
5 練習問題(ドリル学習:習得学習)
意外にこの時間がとれない場合が多い。学習したことをしっかり自分のものにするためにもぜひ時間をとってやりたい。

鶴岡八幡宮の大銀杏

2010-07-15 11:53:52 | Weblog
 
 
 鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れましたが、根のあたりから新しい新芽が吹き出していました。樹齢800~1000年と言われている銀杏ですが、すごい生命力ですね。
 今、ここは新しいパワースポットになっているようです。私もその生命力にあやかりたいと拝んできました。
 みなさんもこの写真ですが願いを込めて拝んでみてください。きっと大きなエネルギーをいただけるでしょう。

この夏、絶対お薦めの研究会

2010-07-10 10:29:16 | Weblog


 絶対お薦めの研究会です。「○○を質屋に入れても」という・・・。これです。
 私は今は退職していますが、現役のときには何回か参加したものです。その度に大きな抱えきれない学びを得たものです。
 研究会や研修会というと「日本○○教育研究会」「○○大学附属小学校の公開研究会」「○○の会 ○○教科研究会」など、広くガイドされますが、私の経験では、それらのどれよりも、この研究会は自分のためになりました。 それはなぜか
1 日本の中には「こんなに凄い子どもがいるのか」「こんなに凄い先生がいるのか」と驚き知ることです。これは教師として仕事をつづけていく以上、もっとも大切なことの一つです。
2 研修が実質的、実践的なことです。ですから研修内容が誰にでも身に付きます。ただ子どもの姿や作品にふれること、講師の話を一方的に聞くだけではありません。
3 研修が1つの教科に絞られないよさがあります。「学級づくり」「国語を中心とした教科」「音楽や体育、図工などの表現教科」が学べます。それも、どれをとっても最高の質の学びばかりです。
4 「実践サポートコーナー」では、どんな稚拙の実践でも相談にのってくれたり、指導してくれたりします。
5 官制研修にはない魅力のある研究会です。朝9時から夜10時まで食事の時間以外は研修は続きます。内容が充実しているので、だれ一人宿泊部屋で休んでいる人はいません。
 どうぞ一度でよいから参加してみてください。以下この研究会の日程等について御案内します。

授業研究の会  第14回公開研究集会
http://tuikyuu.fc2web.com/2113koukai.htm

平成22年8月6日(金)13:00~8月8日(日)12:00
(2泊3日)
会場 あいち健康プラザ


〒470-2101 愛知県知多郡東浦町大字森岡字源吾山1-1
TEL 0562-82-0211

参加費 30,000円(参加費・宿泊費・資料代・食事代を含む)

持ち物  国語辞典・体育の服


参加申し込み先
石井俊樹(TEL&FAX 0561-58-5599)
Eメール toshikiishii@tg.commufa.jp
要申込(FAXかEメールで)

申し込み方法
はがき・ファックス・メール いずれでも受け付けます。
※ できるだけメールでお申し込み下さい。
しめ切りは 7月16日(金)です。

下記の事項を明記して下さい。
①名前 ②性別 ③郵便番号 ④住所 ⑤電話・ファックス番号 
⑥メールアドレス(ある方は必ず) ⑦勤務校名 ⑧担当学年または担当教科
⑨参加回数(初参加 または ○回目) 




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国語学習で大切なこと

2010-07-08 21:25:07 | Weblog
 


 酒井先生のブログに、「国語学習について」大変重要なことが書かれていたので、私のブログにもそのまま掲載させていただく。少しでも多くの先生に読んでいただきたいからである。以下の文である。

 光明小に来て、光明小の仲間と国語を学んでみて、いろいろと発見したことがある。
 一読した後、さっさと「このとき主人公はどう思いましたか?」という発問をするのは、国語としては片手落ちです。
 「言葉を学ぶ」ことが国語ですから、まずはしっかり言葉から学び、その場面の状況や、主人公の立場や、主人公の心の変化や、主人公が考える手がかりをみなが共有した後に、「このとき主人公はどう思いましたか?」と問わなければなりません。
 そう持って行くためには、子どもたちを物語の世界に引き込み、夢中にしなければなりません。
 それが「変だ」「おかしい」という大問題を作る理由です。
 本来、主人公がこんな事を言うはずがない。本当ならこんな行動をとるはずがない。なのに、主人公がこんな言動をとるのだから、何か大事件があるのに違いない、そう思うことでワクワクしてきます。
 さらに、その大問題の答えをとりあえずでいいから類型化し複数作り、自分はどの立場であるのかを選択させます。
 選択した以上、その根拠を探さなければなりません。
 今まで、その他大勢として何となく友達の意見を聞けばよいと思っていた子どもたちが、俄然として、自分に有利になる言葉や根拠を探し始めます。
 そうして、大問題を解決しようとクラスみんなで共同作業が始まると、とても国語の時間が楽しくなります。クラスの中に、授業の中にそれぞれの居場所ができ、存在感を感じるからです。
 が、実は、本当の勉強はここから始まるのです。
 大問題を解いたとき、疑問が氷解したはずなのに、「あれっ、まだなんかすっきりしないなあ。」
 という思いが出てくるのです。
 大問題だと思ったのは、実は本当の大問題を見つけるための踏み台になることが多いのです。
 大問題を解決することによって、ベールが一枚はがされ、本当の大問題が見えてくるのです。この山に登ると、その向こうにもっと高い山が見えてくるといった感じです。
 こうして、一つ問題を解決すると、また次の疑問がわき出て、次から次へと問題を作り向上していく、だから「追求式」の学習と呼ばれているのでしょう。


付記 河島より
 授業は「教材と教師と子どもの間に矛盾が起こり、対立とか衝突・葛藤とかが起こり、それを越えることによって。教師も子どもも新しいものを発見し創造し、新しい次元へ移行していくようなものでなければならない。」
                          「私の授業論」斎藤喜博著より



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