松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

謹賀新年

2016-12-31 17:53:59 | Weblog


新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

私は新年を迎えるといつも次の俳句を思い出します。

○初暦知らぬ月日の美しく
        
  吉屋信子

年が明けて新しい暦を使い始めます。この句には、新しい暦にこれからどのような月日が重ねられるのか、期待と願望が込められています。

今年も多くの皆様に幸せの日々が重ねられることをお祈りします。


※授業研究の会(浜松の会)開催日のお知らせ
第69回 平成29年1月14日(土)8:30~12:00
                   天竜壬生ホール第1会議室
第70回 平成29年2月18日(土)8:30~12:00
                   天竜壬生ホール第1会議室



※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。

6「授業での話形やハンドサイン」・・・当たり前だと思っていませんでしたか

2016-12-26 06:53:09 | Weblog
                     【真剣に話し合う子どもたちの姿】


学習過程において、子どもたちが分かりやすく話したり、しっかり聞き取らせたりするための「話形」や自分の考えを意思表示させるための「ハンドサイン」を使っているのをよく見かけます。私はいつもそれを見て違和感を持ちます。
この話形やハンドサインの方法は、教室の前面に大きな字や絵で掲示されています。どの教室にも同じものが掲示されており、全員の先生方が校内研修で決めたものと思われます。例えば・・・
○話 形
・「わたしは○○と思います。どうですか」
・「わたしは○○と思います。つけたしがありますか」
・「わたしも○○さんと同じです」
・「○○さんに聞きたいことがあります」
・「○○さんにつけたします」
○ハンドサイン
・パー・・・賛成、同じです
・グー・・・反対です
・チョキ・・・つけたします
などです。
教師は、一生懸命この話形やハンドサインを指導したようですが、ほとんど形式的な指導で、この話形により、話し合いが深まっていくことはありません。また、ハンドサインもただ何となくパー、グー、チョキを挙手により表すだけで、付和雷同のような意思表示のようになっています。(私が参観した授業ではのことです。)
教育現場でこんな効果のない?ことを何年も続けてやっているのです。これではいつまでたっても授業は変わらないし、子どもも変わらないでしょう。
私たちの日常の会話や話し合いを考えてみてください。話形など意識していません。結果的に話形のようなものになるのです。また、深く物事を考えたときなど、「う~ん」「え~と」「まてよ~」など、およそ話形など関係なくなります。
授業の中で子どもたちが自由闊達に話し合いができたり、深く考え込んだりして話し合うとき、話形はじゃまになるだけです。本当の話し合いはできないでしょう。教育界にはこのような形式的な指導が沢山あります。一度考えてみたいものです。


※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。

5「ハイハイ授業」・・・ 当たり前だと思っていませんでしたか

2016-12-19 08:26:16 | Weblog


 小学校、特に低学年で見られるハイハイ授業のことです。子どもが発言を教師に求める際に「ハイハイ」と大声を出すのは不用だと思いませんか。教師の中には元気があってよいなどという先生もいますが、他の子どもたちの思考のじゃまになるだけです。また、ハイハイ授業は、自分の言いたいことだけを発表して、他の友だちの考えを聞きません。教師は頭のよい子だけを相手に授業をするようになってしまいます。
 子どもが「ハイハイ」と言わなくても、手を挙げれば教師にはわかるのです。
 話し合いは1年生から指導しなければなりません。


※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。


4「学習発表会」・・・こんなこと当たり前だと思っていませんでしたか

2016-12-12 09:49:56 | Weblog
                       【会員の指導による表現活動】


○歌の指揮を子どもがやる。
いかにも子ども主体の合唱のように見えるが、指揮というのは子どもの声を引き出すことであるから、原則的には教師がやったほうがよい。子どもにやらせると形式的に前に出て、腕ふりだけをしていることが多い。しかも歌っている子どもはあまり指揮者を見ていないようである。
私が見たときには、スライドで歌詞を映し出しているので、ほとんど指揮者を見て歌っていなかった。結構こういうことが多いと思われる。
○自分の体や声を使って表現せずに、お面やかぶり物、衣装や舞台装置に頼る。
○劇をやるときの子どもの身体表現はだいたい3つしかない。両手を上げて腕を回す。両手を胸の前で組んで首を傾ける。片手を上に上げてグーをつくり「オー」などと叫ぶ。
○踊りなどをするとき、ボンボンを持たせる。
○舞台に立つ位置など工夫をしない。単に横一列に並ぶなど
○セリフが速すぎて何をいっているのか分からない。
○出入りがドタバタする。出入りも演技の一部であると認識しない。
○幕間、演技の交代の時に喧しくなる。
○自分のクラスや学年の出し物だけを見て、他学年のよいところを学習しない。
○その他、いろいろある。

第68回「浜松授業研究の会」の御案内

2016-12-05 08:31:03 | Weblog
                       【会員の指導による合唱】
   

          ~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~

 一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。
 それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。
 この浜松の会では「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」をテーマとして研修しています。ここでの学びは、具体的であり、実際的であり、実質的なものです。それだけに確実に得るものがあり、上記のテーマの実現が可能です。
 この会は、偏向的な教育や思想的な教育はしていませんので、安心して学ぶことができます。どなたでも自由に参加できます。まだ、参加されたことのない方は、是非覗いてみてください。
 多くの皆さんの参加をお待ちしています。

1 開催日時   
2016年12月10日(土)8:30~12:00
          
2 開催場所   天竜区壬生ホール
  ※時間厳守ではありませんので参加できる時間で結構です。
  ※服装は自由です。
  ※駐車場はあります。

3 研修内容
○ 国語、算数を中心とした各教科
○ 音楽、図工、体育などの実技教科
○ 学級づくり
○ その他
   本研究会の学びの特徴
  ・具体的な教材とか写真とかDVD、テープとかの事実を対象にして考える。
  ・参加者からの実践があればそれをもとにして考える。
  ・音楽、体育、図工、その他の実技をする。

4 準 備 物  
○ 実践したもの(ある人)
○ 教材研究をしてほしい教材がある人(10部印刷持参)
○ 筆記用具
○ 国語辞典
○ 会費 200円

5 この会の研修内容や実践の証、考え方は下記のブログをご覧になれば、おおよそ理解できると思います。検索してください。
○ 浜松授業研究の会
○ totoroの小道
○ 藍色と空色と緑のページ(各教科等の実践が掲載されています)
○ 松明光明



※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。