松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

教師はもっと教育書を読もう

2013-06-30 09:33:09 | Weblog


 「教師はもっと教育書を読もう」最近、いやずいぶん以前からそんなことを感じてなら

ない。

 学校や教師が文科省からくる多くの要求や教科指導等に汲々としており、読書をし

ているような時間がないからであろうか。

 それではまずい、学校や教師は変わっていかない。当然授業も変わらない。

 学校や教師は上からくる指示の受身に終始していてはダメである。もっと幅広く勉強

し、自発的に課題に取り組んだり、積極的に議論し合ったりすることが大切である。

予備校カリスマ講師と公立学校の教師

2013-06-27 09:58:41 | Weblog


 テレビで今話題の予備校カリスマ講師の4人の紹介があった。私が感じた4人の講師の指導の共通点は、次のようなことであった。

1教材の研究が広くて深い

2早口で声が大きい

3オーバーアクションである

4考えさせるよりも面白く教え込む

5言葉が熱い(感動的に話す)

6生徒の向上心を促す

7教師自身が向上しようと努力している

などである。

特に公立学校の教師との違いは、「早口」「声が大きい」「教え込む」ところなどであろ

う。これらは学校の先生の授業としてはあまり真似てはならないことである。

ただ、「教材研究が広くての深い」「言葉が熱い」「生徒の向上心を促す」「教師自身が

向上しようと努力している」などの点については、大いに学んでいくべきものであると

感じた。

教育のダンスなら発信方のダンスをさせたいですね

2013-06-25 09:20:27 | Weblog


 私は、ストリートダンスもヒップホップも見るのややるのも好きです。しかし、文科省が学校教育に取り入れてきたこのようなダンスは、あまり教育にはふさわしくないように思えてなりません。それは、一定の動きを決めて練習させる。全員の動きを揃える。単に音楽に合わせて動く。物語性が薄い。動きが速すぎて思考の余地がない。等の傾向があるからです。フォークダンスや盆踊りや民謡の踊りもこの範ちゅうに入ると思います。体育科だからと考えるなら仕方ないとも思いますがね。
 でもね、教育で学ばせるダンスだから、子どもたちの個々の動きを大切にする。自分や自分たちの考えで立ち位置や動きを考えていく。物語性があってそれにふさわしい動きを考え出す。他の個人やグループの動きに対応した動きをつくり出す。などの創造的(想像的)で子ども自らが発信していくようなものにできるだけしたいです。これらがあってダンスによりどもをよりよく教育できると考えます。みなさんはどのように考えますか。

学校に卒業生を招待しよう

2013-06-15 08:07:32 | Weblog


 しばらく前のことであるので記憶が薄れてしまったが、確かNHK総合テレビで「卒業生を学校に呼ぼう」というようなタイトルで放映があった。
 

 静岡の小学校であったと思う。卒業生を学校に呼ぼうということで、卒業生に呼び掛けたのであろう、卒業生がその小学校に訪れて、校舎、教室、グランドに入り、自分の小学生の頃を懐かしく思い出している様子が映されていた。
 

 教室には、教科書、絵、習字などが展示されていた。正面の黒板には、在校の小学生が、「おかえりなさい」等の呼びかけの言葉が書かれており、その下には、今は幸せですか?、どんな仕事をしていますか?、など訪れた卒業生に吹き出しに書いてもらうようになっていた。そこに卒業生が思い思いに「幸せです」「○○の仕事をしています」など書いていた。

その様子を見て、ああ!とてもいいことだなーと感じた。卒業生は懐かしい学校に来て、思い出にふけ、胸を熱くする。出会った同級生などと久しぶりの出会いに話がはずんでいた。

同窓会と言えば、どこかの料亭で一杯やりながら旧交を温めるのがほとんどであるが、この「卒業生を学校に呼ぼう」の催しもとてもいいと思った。在校する小学生にとっても意義あるものであると感じた。


教育を考える~パワーポイント~

2013-06-13 08:06:34 | Weblog


 
哲学者、山折哲雄さんが中日新聞「教育を考える」でパワーポイントとと題して次のように記している。私も日頃同じようなことを感じていたので、少し長くなるが紹介する。


いつごろからか「パワーポイント」(プレゼンテーション用のパソコンソフト)というのが流行りだした。流行りだしてから、随分日にちがたつ。学校でも、役所や企業に行っても、話をするときも話を聴かされるときも、たいていその機器が持ち出されて映像が映し出される。
人さまの前で何かを話をするときは、パワーポイントを使ってするのが便利であり、礼儀であるとみんな思っている。人さまの前で話をしたり発表をしたりするとき、パワーポイントを使わないのは「バカか阿呆か、と疑われているのではないか」とつい不安にかられる。
 けれども私はこれまでパワーポイントなるものは一度も使ったことがない。それは私の場合ほとんど本能的な選択だったのだが、あるとき、ふと気がついた。パワーポイントを使って話をしている人のいうことが、ほとんど自分のこころにとどいていない、そう思ったのだ。おっしゃることが左の耳から右の耳に通り抜けていくだけである。見せられている映像が目の前をただ通り過ぎていく。自分の本当にいいたいことを、その要点を相手の胸にストレートに伝えるためには、このパワーポイントという武器はかえって邪魔になっているのではないか、と気がついたのである。 
 小学校でも中学校でもいい。高校でも大学でもかまわない。生徒や学生を相手に、パワーポイントを使って話や講義をしている先生方は、ほとんど解説者になっている。パワーポイントが映し出す画面のたんなるコメンテーターになっている。そこから流れ出てくる音楽の伴奏者になっている。
いきおい教師自身が語る生の声がきこえてこない。それが言い過ぎというなら、生の言葉が希薄になっている。どうしてもこれだけはという意気込みや情熱がほとばしらない。
 つまり、語ることの力が教室からほとんど喪失しているのである。パワーポイントの力を借りずに、いわなければならぬことをひたすら語りかけようとする志が感じられないといってもいい。・・・・・われわれは今こそ、その語りの力をとりわけ教育現場でとりもどさなければならない。

村上春樹の仕事と教師の仕事である授業

2013-06-11 18:01:20 | Weblog



 村上春樹は、その著書『雑文集』の解説のなかで「自己とは何か」のタイトルで次のように記している。

小説家とは何か、と質問されたとき、僕はだいたいいつもこう答えることにしている。「小説家とは、多くを観察し、わずかしか判断を下さないことを生業とする人間です」と。
なぜ小説家は多くを観察しなくてはならないのか?多くの正しい観察のないところに多くの正しい描写はありえないからだ・・・・それでは、なぜわずかしか判断を下さないのか? 最終的な判断を下すのは常に読者であって、作者ではないからだ。小説家の役割は、下すべき判断をもっとも魅惑的なかたちにして読者にそっと(べつに暴力的にでもいいのだけど)手渡すことにある。
 おそらくご存じだとは思うけれど、小説家が(面倒がって、あるいは単に自己顕示のために)その権利を読者に委ねることなく、自分であれもこれものごと判断を下し始めると、小説がまずつまらなくなる。深みがなくなり、言葉が自然に輝きを失い、物語がうまく動かなくなる。
良き物語を作るために小説家がなすべきことは、ごく簡単に言ってしまえば、結論を用意することではなく、仮説をただ丹念に積み重ねていくことだ。


この文章から感じたことは、小説家は教師、読者は児童・生徒と言い換えることができると思う。
 「小説家とは、多くを観察し、わずかしか判断を下さないこと」これは教師の仕事である。
 「最終的な判断を下すのは常に読者である」これは児童・生徒である。
 これらは、私たちの生業である「授業」と同じようなことが言えるのではないか。・・・私の独りよがりの考えである。


第33回 授業研究の会(浜松の会)の研修報告

2013-06-08 17:07:57 | Weblog



第33回 授業研究の会(浜松の会)の研修報告

研究会テーマ:~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」~

1開催場所 天竜壬生ホール第2議室

2開催日時
平成25年6月8日(土)9:00~12:00

3研修内容
(1)近況報告

(2)研修内容
 今回は、国語の実践発表、教材解釈などじっくり話し合うことができた。また、生徒指導において困っている点などを話し合った。どれも明日の授業に、生徒指導に参考になるものばかりであった。充実した研修ができた。この研究会でなければ学べないものばかりであった。3時間の学びがあっという間に過ぎてしまった。
○国語
2年 実践発表 物語文「スイミー」
3年 実践発表 説明文「ありの行列」
4年 教材解釈 物語文「一つの花」
○学級づくり
6年 生徒指導
○その他
「村上春樹の仕事」と「授業」について

4今後の活動
第34回 平成25年7月13日(土)9:00~12:00天竜壬生ホール第2会議室
第35回 平成25年9月14日(土)9:00~12:00天竜壬生ホール第2会議室
第36回 平成25年10月12日(土)9:00~12:00天竜壬生ホール第2会議室

5その他
この会の研修内容や実践の証、考え方は下記のブログをご覧になれば、おおよそ理解できると思います。検索してください。
○totoroの小道
○藍色と空色と緑のページ(各教科等の実践が掲載されています)
○松明光明
○浜松授業研究の会

第33回 授業研究の会(浜松の会)の御案内

2013-06-04 08:44:10 | Weblog



第33回 授業研究の会(浜松の会)の御案内

~「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」そんな研究会です~

 一つの授業にじっくり時間をかけて取り組んでいない。何をしても中途半端な授業になってしまっている。やっつけ仕事になってしまっている。おそらく大半の学校の教育の実態でしょう。
 それがあまり問題視されず、改善されないのは、子どものほんとの力の凄さを知らないからです。子どものほんとうの力を引き出すような授業の経験が少ないからです。だから子どもを見くびって「これでよし!」と思っているのでしょう。または、そう感じていても、どうしたらよいのかその方法を知らないからでしょう。これらの解決は、校内研修だけではなかなか困難です。同僚や先輩教師に教えを請うても難しいことです。私の今までの長い経験で感じていることです。
 この浜松の会では「教師が変わる、授業が変わる、子どもが変わる」をテーマとして研修しています。ここでの学びは、具体的であり、実際的であり、実質的なものです。それだけに確実に得るものがあり、上記のテーマの実現が可能です。
 この会は、偏向的な教育や思想はしていませんので、安心して学ぶことができます。どなたでも自由に参加できます。まだ、参加されたことのない方は、是非覗いてみてください。
 多くの皆さんの参加をお待ちしています。

1 開催日時
  平成2013年 6月 8日(土)9:00~12:00

2 開催場所
  浜松市天竜壬生ホール第2会議室
  ※時間厳守ではありませんので参加できる時間で結構です。
  ※服装は自由です。
  ※駐車場はあります。

3 研修内容
 ○ 国語、算数を中心とした各教科
 ○ 音楽、図工、体育などの実技教科
 ○ 学級づくり
 ○ その他
   本研究会の学びの特徴
  ・具体的な教材とか写真とかDVD、テープとかの事実を対象にして考える。
  ・参加者からの実践があればそれをもとにして考える。
  ・音楽、体育、図工、その他の実技をする。

4 準 備 物
 ○ 実践したもの(ある人)
 ○ 教材研究をしてほしい教材がある人(10部印刷持参)
 ○ 筆記用具
 ○ 国語辞典
 ○ 会費 300円

5 この会の研修内容や実践の証、考え方は下記のブログをご覧になれば、おおよそ理解できると思います。検索してください。
 ○ 浜松授業研究の会
 ○ totoroの小道
 ○ 藍色と空色と緑のページ(各教科等の実践が掲載されています)
 ○ 松明光明

6  第33回以降のご案内をします。
○ 第34回 2013年7月13日(土)9:00~12:00天竜壬生ホール第2会議室
○ 第35回 2013年9月14日 (土) 9:00~12:00天竜壬生ホール第2会議室
○ 第36回 2013年10月12日(土)9:00~12:00天竜壬生ホール第2会議室
○ 第37回 2013年11月9日 (土) 9:00~12:00天竜壬生ホール第2会議室