松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

こんな授業をしたい、こんな子どもを育てたい

2020-06-29 10:19:37 | Weblog
 斎藤喜博、宮坂義彦、大槻志津江、戸田淳子・・・追求方式の授業を目指す教師は幸せである。
 今、現場の多くの教師は、目指す教育法、授業法を持たない。何か今までの惰性で、その日暮しで仕事をしてるように思えてならない。
 もちろん、どんな教師もこんな授業をしたい、こんな子どもを育てたいという願いは持っている。しかし、それを達成するための術を知らない。何を目的に、どのように勉強したらよいのかがわからない、知らない。残念なことである。
 イチロー選手は、大リーガーで年間200本安打を9年連続で達成して大記録を打ち立てた。イチローは、いつも目標に向かって努力を積み重ねていた。だからすごい仕事ができたのだ。人間も技も伸びていく。教師だって同じだろう。
 目標を持った教師は幸せである。 


※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。





授業の「展開」をどのように捉えるか

2020-06-06 09:30:44 | Weblog


 多くの教師は「授業の展開」(学習指導案での展開)をどのように捉えているだろうか。私の見ているかぎりでは、展開=①繰り広げる②平に広げる(広辞苑)・・・と捉えている。
 つまり、教材研究してきた指導案を子どもの前に広げ示し、「さあ、これを考えなさい、これを解きなさい」という感じである。そして、それができる限り支障なくスムースに進むことをよいこととしているようである。だから、指導が一方的になったり、平板になったり、羅列的になったりすると言えよう。
 授業における「展開」とはどういうことか、その考えを変えていかなければ授業は変わらないのである。
 斎藤喜博は授業が「展開」するということは、授業のなかに①教材とか②教師や③子どもの思考とかからくる④矛盾が起こり、教師と子ども、教師と教材、子どもと子ども、子どもと教材との間に、⑤対立が起こり、⑥衝突・⑦葛藤が起こり、それを⑧克服(突破)した結果として、⑨新しいものが発見されたり、ときには⑩未知の⑪不明のものがつくり出されたりしたとき、その授業は「展開している」ということができるのである。・・・と言っている。
 これは、ずいぶん一般的な考えと違う。ここに私たちの授業改革のひとつがあるようである。


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