Q グループ学習、個別学習について
A 「一斉授業」の基盤に立ってこその個別化
子どもの学習・行動が変容していく過程である典型が、一斉授業にあるとすれば、その学習形式が個別の学習形態の基礎ともなるはずなのである。そのような教師や子どもの訓練を抜きにして、学習の個別化や多様化をいたずらに実施しても、ほんとうに成果がえられるかどうかはなはだ疑問である。
Q 一斉授業と子どもの発言について
A 発言する子どもが少ないとか全員が活躍していない、といったたぐいの議論がある。これもやはり集団のなかの相互作用を全く無視した議論である。発言しない子どもは、全くなんの学習をしていないのではない。それどころか、この間にこそ本当の学習をしているのである。
教師と他の子どもたちのやりとり(コミュニケーション過程)は、もちろんそれに直接参加する子どもの学習を含んではいるが、実はそれ以上にほかの子どもたちの学習活動にとって重要な刺激として働いているのであり、それ自体がひとつの教材とさえいえるほどである。だから発言が多かったからとか、多くの子どもの学習活動がとりあげられたからといって、その授業がよい授業だったというこにはならない。逆もまた真である。一時間中ほとんど発言しなかった子どもが最も深く考え、よい学習をしていたことはしばしばある。
跳び箱のうまく跳べない子どもを、他の子どもの前で何回も繰り返し指導して跳べるようにしてやる過程は、ほかの子どもにとって時間のむだどころか、単純な運動をめいめいが平板に繰り返すより、はるかに密度の高い学習となる。
合唱練習の場合など、ひとつのパートを丹念に指導していると、それを黙って聞いていた他のパートが、何もしないはずなのに、ずっとうまくなってしまったというような例もよく知られていることである。
Q 他の学校の参考になるもの、影響を与える研究会とは
A 他の学校が明日からでも取り入れていけるような実践は、一般的にはどこでもやっている実践であるといえよう。それでは、本当に教師や子どもは変わらない。 今までの多くの研究会に参加してきたが、概してその実践は形式的、概念的なものが多く、見る者を感動させたり、驚かせたりするものは少なかった。ゆえにその実践に憧れ自分や自分の学校の授業に取り入れていくというようなエネルギーが湧かなかった。従って何度も何回もそれらを参観しても、そのことにより自分の授業が変わったり、子どもが変わったりすることがなかった。
「追求方式の授業」は授業に具体性とリアリズムがある。およそどんな学習であれ、具体性やリアリズムを欠いては子どもに真の学習が成立するはずはない。
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