松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

人と桜

2016-03-29 09:08:37 | Weblog



 春に咲く花は数多くあるが、桜ほど人が開花を待ちかねる花はないだろう。
 テレビ等のマスコミでも今日はまだつぼみは固い、今日は2部咲きである、今日は5部咲きになった、○○日には満開になるだろう。桜前線は○○まで来ている等々逐一知らせてくれる。
散歩などで道行く人は、桜の枝を見上げながら、「まだはやいなー」、「ほう!一輪咲いている」、「○○日には花見に来よう」などとつぶやきながら足を止める。

昨日は近所の公園で、まだ一輪も咲いていない桜の下で、ゴザを引きお花見の宴会をしていた・・・とは言っても桜を見上げるのでなく、卓上の料理とお酒を楽しく飲食しているのである。(遠目からみると寒々として見えた)。
 宴会は、桜の花が咲いていなくても、桜の木の下でなければならない。そういうものだろう。

古くからある都々逸です。
「お酒飲む人花なら桜 今日も酒酒明日も酒」
あー、これがいいなー。



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若い教師との交流会

2016-03-23 18:22:46 | Weblog



 今年度も終了に近づいた。退職される先生方には長年の学校での勤務を振り返り、感慨に浸っているのではないだろうか。ほんとうに御苦労様でしたと声を掛けてあげたい。
さて、昨夜は若い教師や中堅の教師との飲み会があった。引き続き現在校に勤務する先生、他の学校に転校する先生が目を輝かせていろいろ語り合った。「今度は何年生を受け持つのだろうか」「分掌は何になるだろうか」「次の学校はどんな学校だろうか」「あそこには○○先生がいるよね」等々あった。一人ひとりは、次年度の仕事に夢を描いているのである。
 新年度が始まってしまうと学校や学級の仕事が山のようにある。今のうちに、どんな学級をつくるか、どんな授業をめざすか、どのような生徒指導をするかなど、しっかり文章として書き出し、具体化しておいてもらいたい。
 できることなら始業式の日から、授業を展開してもらいたい。よい授業のみが真に子どものすべてを決めるからである。



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卒業証書授与式

2016-03-18 16:48:53 | Weblog



♪白い光の中に 山なみは萌えて 遙かな空の果てまでも 君は飛び立つ♪
今日はK小学校の卒業式に来賓として出席しました。教職を退職して数年経ての卒業式であり、客観的に見聞でき、いろいろ気づくことがありました。
 子どもたちも立派でしたが、校長先生の式辞がよかったです。また、子どもたちに、「起立、気を付け、礼」などの号令もなくとてもよかったと思います。
子どもたちの中学校での活躍を祈ります。


水仙のスキッと白く卒業す
児玉豊子



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教育格差の問題

2016-03-14 14:55:39 | Weblog



〈「子どもは生まれるとき、すべて、天才的である。」と、本気でそう考えている。何もわからない、できない、どころではない。何でもできる、すばらしくうまくできる素質と能力をもっている。賢い両親の子は頭がいい。一般的にそう考える人が多いが、生まれてくる子どもは、両親の遺伝をついでいるにしてもごく一部である。それとは関係のない可能性、能力、天分などをいっぱいもっている。それがほとんどすべての子どもにそなわっている。「ゼロ歳児はすべて天才的である」というのは、そこから生まれた。〉
外山滋比古著『幼児教育でいちばん大切なこと』より

外山滋比古さんの考え方によれば、おおかた子どもとは天才的な能力を持ち、平等にして生まれてくることになる。そして、その能力は教育によって引き出される。

今、教育格差が問題になっている。お金がある家庭に生まれた子どもは、よい教育を受けることができる。そして将来の職業も恵まれることが多い。

 子どもは生まれたときには能力的には同じであるということであるならば、せめて、子どもの教育だけはどんな子どもにも平等なチャンスがあるようにしてもらいたい。そのためには教育費を下げたり、無料にしたりしてほしい。

 経済協力開発機構(OECD)は加盟国の教育機関に占める割合の状況の調査結果によれば加盟国で比較可能な30カ国中、日本は最下レベルだったと言われている。資源の少ない日本である人間を育てることにもっと力を注いでほしい。教育にかける公的支出をもっと増やしてほしい。



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組体操・・・なぜ極端に振れるのか

2016-03-02 08:50:21 | Weblog
     「並んで待つだけで美しい、教育ではこういうところを大事にしたい」


千葉県の流山市では、全ての市立小中学校での組み体操の全面廃止を決めた。全国で8,000件もの事故が起これば当然かもしれない。子どもの生命、安全を最優先するからこれも至極当たり前のことである。
 しかし、このように考えると全面廃止は組み体操に限ったことではないようである。跳び箱運動ではさらに事故が多いのではないかとも感じる。文科省ではこの4月に組み体操についてのお触れを出すらしい。

そもそも組み体操でなぜこんなに事故が多いのか、いくつか私の思っていることを列挙してみる。
1 子どもたちの基礎的な体力不足である。体重を支える筋肉等ができていないことや体幹が鍛えられていないこと。
2 ピラミッドであれば、下の馬になる人の両肩に、上に乗る人は両手をしっかり開き着手し、体の全体に力を入れ張りを持たせることなどの技術的なことができていないこと。
3 普段やられていない組み体操を運動会や体育祭が近づくと急に練習すること、つまり普段から組み体操をやる基礎的な練習がなされていないこと。
などであろう。

次に考えることは、何も5段とか10段などのピラミッドの組み体操でなければならないのかということがある。
 見る人を感動させるとか、子どもたちに達成感を持たせるからだというが、簡単な種目である扇、サボテン、ブリッジ、3段くらいのピラミッドやタワーでも美しくスマートにやれば、どんなにでも人を感動させることができるし、子どもたちに達成感を持たせることもできることである。私の勤務した小学校では、柔軟体操やマット系の回転運動だけでも素晴らしい演技になり、好評を得ることができたからである。
 
4月に出される文科省の通達では、組み体操は全面廃止というのでなく、どのようにしたら事故を防ぐことができるのか、どのような種目が相応しいのかどんな練習が必要なのかを提示してほしい。ただ危険だから廃止とうならば、他の運動やスポーツも同じことになる。
 子どもたちにも危険予知とうものも教えるのも大切であるからである。

文科省は事なかれ主義にならず、現場の意見なども聞きながら改善を図ってもらいたい。また、現場の先生方も工夫をしてもらいたい。

最近は、政治の世界でも教育の世界でも「やるか」「やめるか」の2者の選択しかないようである。じっくり考えることの大切さを忘れているように思われてしかたがない。



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