松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

詩の朗読の実践9「反 抗」

2009-10-29 21:39:46 | Weblog


部屋の整理をしていたら、詩集が2冊出てきた。私が30代半ばの頃(昭和55~58年)子どもたちに詩の朗読を指導しようとしてつくった詩集である。
 4月から3月までの年間計画を立て、毎日「朝の会」などに朗読を指導した。その時の子どもたちは6年生であった。
 子どもたちは、喜んで詩の朗読をした。1人で、2、3人で、群読で、立ち位置を考えたり、身体で表現したりして朗読した。今でも子どもたちの素晴らしい読みと、その動きが鮮やかに蘇ってくる。
 10月には4つの詩の朗読を指導している。
風景(草野心平)・白い建物(村野四郎)・反抗(巽 聖歌)・末期の水(都築益世)



反 抗
(巽 聖歌)

   
おかあさんが、
リヤカーをひけといったとき
なぜ ぼくは つよく 
あんなにも反抗したのだろう
口もとがひくひくし
目がつりあがったのは
自分でもわかった


ご飯をたいたり 
夜おそくまで裁縫したりしてるひと
おかあさん
掘り出したいもを
リヤカーにのせて引っぱれば
坂へくるごとに
ぐんと軽くなるのがわかる
力をいれて押しているのだな
おかあさん


おかあさんが
リヤカーをひけといったとき
なぜ ぼくは つよく
あんなに反抗したのだろう


※この作品も内容がよく子どもに読ませたいものである。最近の教科書にはこのようなものが少ないようである。単に楽しく読ませたり、面白く読ませるだけのものが多いようである。テンポとかリズムとか繰り返しの言葉の面白さからくる朗読をさせるだけである。内容の読み取りから朗読へといった作品が少ないのである。これでは思慮深い子どもは育たないと私は思う。

初任者・若い教師へ 指導の基礎・基本3「教材解釈」

2009-10-27 08:56:19 | Weblog


○教材研究から教材解釈へ
私たちはよく授業にあたり、教材を調べることや準備することを「教材研究」と言っている。しかし、「研究」となると、やや範囲が広くなり、その教材そのものに対する追求的な研究が疎かになってしまうことがある。国語にしても算数にしてもその他の教科にしても、「教材研究」というよりも「教材解釈」と言ったほうがよいであろう。つまり、教材を「解釈」することが最も重要であるからである。
 教材解釈とは、文章や物事の意味を受けて側から理解することである。受け手側とは教師である。従って、指導書や赤本だけを頼りに授業をするのでなく、授業者である教師自信の解釈が大切である。
 教材解釈は教師としての解釈があり、そして子ども側に立っての解釈がある。まず教師(ひとりの人間)としての解釈をする。次に授業をするにあたって、子どもはこの教材をどのように解釈するのか予想するのである。この際に大切なことは、子どもの力を見くびらないことである。子どもは教師が思っている以上に力があるからである。

国語の授業(物語文)の基本的な流れ

2009-10-24 20:47:02 | Weblog
 

1 本を読む

2 新出漢字、読かえ漢字、難しい語句の学習をする

3 段落に番号を付ける、場面を分けタイトルを付ける

4 登場人物の確認をする

5 感想を書く、問題をつくる(時間によっては感想は省いてもよい)
○ 子どもたちが問題をつくる
○ 当然、教師としても問題を考え、答えを持っている

6 全員がつくった問題から、学級問題(共通問題をつくる。教師からの問題も入れてよい)
○ 追求に値する問題にする
○ 文章中に根拠があるものがよい
○ 話し合って最初のイメージが変わるのがよい
○ 選択や対立ができるのがよい

7 学級問題について、ノートに自分の考えを書く
○ 全員に何らかの考えを持たせることが大切である

8 一斉授業で、学級問題を話し合う
○ 全員参加ができるように常に考えて指導する
○ 答えに選択肢のあるものをあげる。できるだけ選択が対立するものにする。
○ 教科書に根拠(証拠)のあるものがよい
○ 文を分けたりして思考させる
○ 言葉の意味を理解する(文脈から予想、辞典を引く、短文づくり、身体表現、黒板に絵や図を描くなどして考える)
○ 助詞、接続詞、指示語などにも注目させる
○ 子どもの思考が停滞したり、行き詰まったりしたらペアやグループで考えさせる
○ 「聴く、話す、反応する」を徹底する
○ 机の配置を考える

9 音読から朗読へ、朗読から総合的な表現へ 

10  ドリル学習、テスト

※上記は簡単な流れである。時間があれば、1~10の間に教科書の文を視写したり、粗筋を書いたり、感想を書いたりする。
※登場人物の気持ちや情景を話し合ったりする授業では、ほとんど同じような考えが出るだけで、ディスカッションにならない。語句や文章にもあまり着目する必要がない。従って、国語の力はつかないし、子どもの思考力も育たない。教師の力もつかない。

詩の朗読の実践8「白い建物」

2009-10-21 15:55:47 | Weblog

部屋の整理をしていたら、詩集が2冊出てきた。私が30代半ばの頃(昭和55~58年)子どもたちに詩の朗読を指導しようとしてつくった詩集である。
 4月から3月までの年間計画を立て、毎日「朝の会」などに朗読を指導した。その時の子どもたちは6年生であった。
 子どもたちは、喜んで詩の朗読をした。1人で、2、3人で、群読で、立ち位置を考えたり、身体で表現したりして朗読した。今でも子どもたちの素晴らしい読みと、その動きが鮮やかに蘇ってくる。
 10月には4つの詩の朗読を指導している。
風景(草野心平)・白い建物(村野四郎)・反抗(巽 聖歌)・末期の水(都築益世)


  白い建物
        村野四郎
                             

高くゆれるコスモスの
白や赤の花のあちらに
できたばかりの
大きな 白い建物がみえる

あすこには  
ことしの あつい夏じゅう
鉄骨がくまれ  
火花がとびちり
はだかになった人たちが
目がくらみそうな空の中で
あせを流して はたらいていたが
きょうは もうだれもいない
あの人たちは どこへいったのか
すずしい秋風の中で
ゆめのように うつくしく
建物だけが光っている


※この詩も今の季節にぴったである。内容も難解ではない。季節の移り変わりやその美しさ、人々の生活を見事に言い当てている。
 子どもたちは、この詩を読んだ後、何とも言えぬ素敵な顔になる。心が浄化されるのであろう。
 このような詩が教科書にあまりないのが残念である。

隠れた才能

2009-10-19 10:46:29 | Weblog


 昨日は私が担当している初任の先生2人が「HAMAMATSU JAZZDAY」のイベントのステージに出演した。2人とも学生のときから演奏活動をしており、現在は浜松のジャズクラブに属しいる。
 普段は初任の教師として学校に勤務し、子どもたちの学級づくりや学習指導に奮闘している。まだ初任ということで、上手いくことばかりではないが、それでも最近は教師としての姿になってきた2人である。
この日、私は2人の所属しているグループの演奏を初めて見たのであるが、素晴らしいものであった。爽やかでテンポのよい演奏に足を踏み、手拍子をし、ジャズのリズムに酔いしれることができた。
 2人の担当する楽器はサックスフォンである。少し斜めにかかげたサックスフォンをやや左右に動かしながら、この楽器特有の甘い音やメロディを奏でていた。いつも学校で見せる姿とはまた違い、自信に満ち、演奏する喜びの姿がしっかりと伝わってきて、羨ましく、また頼もしくも感じた。
 この演奏を学校の子どもたちや先生方、保護者の方にも見せてあげたかった。2人の先生の隠された才能を知り、その驚きとともに一段と先生への信頼を深めることであろう。

初任者・若い教師へ 指導の基礎・基本2「机間指導」

2009-10-17 08:05:32 | Weblog


2「机間指導」

○ 昔は「机間巡視」といったが今は「机間指導」という。単なる巡視や散歩にならないこと
○ 机間指導のねらいは、個々の子どもの学習状況を見取ることである。
○ 教師は必ず補助簿と赤ペンを持ってあたる。赤ペンで○を付けたり、コメントを書いてやったりする。また、次の指導に役立つ子どもの学習を拾ったりする。
○ 学力の劣る子どもから見取っていく。
○ 特定の子どもに指導するときは、常に全体の子どもの学習状況を気に掛けて行う。
○ むやみに机間指導をしないこと、目的を持ってすること
○ 子どもの目の高さで声を掛けること

初任者、若い教師へ:指導の基礎・基本1「教師の指導の位置」

2009-10-12 18:53:43 | Weblog

1「教師の位置」

① 全体の子どもに話すとき
教師は全体の子どもが見える位置で話す。あまり前後左右に動かない。
② 特定の子どもに話すとき
・   あまり接近しないこと、遠くからでも指示が出せるようにしたい。
・ 他の子どもたちが見える位置に、そして全体をいつも配慮しながらする。
・ 学習用具が出ていないといって、側に行って世話をやかない。いつまでも自立できない子どもになるから。
③ 板書するとき、板書を説明するとき 
・ 子どもから板書が見えること、教師の背中の影にならないこと
・ 板書を説明するときは、できるだけ全員の子どもが板書が見える位置(右か左側)を考えてする。
④ 子どもの自立を促す位置
・ 基本を教えたら、教師はできるだけ子どもに近寄らない。徐々に子どもから離れて子どもたちが自分たちでできるようにする。・・・ 教師はこれがなかなかできない。だから子どもは育たない。

詩の朗読の実践7「風景」

2009-10-10 10:33:05 | Weblog


部屋の整理をしていたら、詩集が2冊出てきた。私が30代半ばの頃(昭和55~58年)子どもたちに詩の朗読を指導しようとしてつくった詩集である。
 4月から3月までの年間計画を立て、毎日「朝の会」などに朗読を指導した。その時の子どもたちは6年生であった。
 子どもたちは、喜んで詩の朗読をした。1人で、2、3人で、群読で、立ち位置を考えたり、身体で表現したりして朗読した。今でも子どもたちの素晴らしい読みと、その動きが鮮やかに蘇ってくる。
 10月には4つの詩の朗読を指導している。
風景(草野心平)・白い建物(村野四郎)・反抗(巽 聖歌)・末期の水(都築益世)


風  景
          草野心平



南天の実の向こうに

白い土蔵があります

その屋根の

ずっとむこうに

あおい空

あったかい雲が光っています


※ ちょうどこの季節にぴったとした詩である。空気の澄んだ気持ちのよい青空の日である。
  子どもたちは、この詩を読むに、まず自分に近い南天の赤い実を見る。そして少し目線を上げて、その向こうにある白い土蔵を見ます。子どもたちの目には土蔵の白い壁が輝く。そして、さらにぐっと背伸びをして青い空と白い雲を見る。
 子どもたちは南天(赤)→ 土蔵(白)→ 空(青)→ 雲(白)と目線を移し、この詩を朗読していきます。ここにある詩のすべてが子どもの目に写っている。

運動会の練習

2009-10-05 21:28:10 | Weblog

 運動会の練習が盛んである。練習は次のようにしたい。
○ 日ごろの体育学習の集大成でありたい。
  体育の時間やその他の時間に少しずつ練習をしておく。これにより、演技の練習が教育となり得る。また高度な技をなし得ることになる。
○ 技の追求をさせること。
   だらだら、へらへらやるのであればやらないほうがよい。技は、できたらよいのでなく、より美しくできるようにする。ここでは教師の高い価値観が必要になる。
○ 演技だけでなく、応援席から入場門、入場門から演技場、演技場から退場門 退場門から応援席へとすべてを一連の演技とする。
○ 「待つ、立つ、歩く、走る」これらの運動や姿が美しくできるようにする。このことにより主運動の演技が生きてくる。
○ しっかり教えたら、先生はだんだん手を退いて、子どもたちだけでできるようにする。 先生はいつまでも子どもにくっついて小言をいわない。
※ 運動会が近づいてきて、はじめてバタバタと演技の練習をさせる。これでは、運動会での教育的な意義はない。教師が子どもを引きづり回している。子どもは受け身になり、やらされているだけである。
時間がないのでただ形だけができればよいということになる。腕をいっぱい伸ばす、足腰を十分に曲げる、つま先まで神経を入れる、目線を指先に向ける、リズムに合わせる、笑顔で表現するなどの追求をしなければならない。これらは、運動会の練習を見ていて強く感じることである。

詩の朗読の実践6「おかあさん」

2009-10-01 20:40:22 | Weblog


 部屋の整理をしていたら、詩集が2冊出てきた。私が30代半ばの頃(昭和55~58年)子どもたちに詩の朗読を指導しようとしてつくった詩集である。
 4月から3月までの年間計画を立て、毎日「朝の会」などに朗読を指導した。その時の子どもたちは6年生であった。
 子どもたちは、喜んで詩の朗読をした。1人で、2、3人で、群読で、立ち位置を考えたり、身体で表現したりして朗読した。今でも子どもたちの素晴らしい読みと、その動きが鮮やかに蘇ってくる。
9月には4つの詩の朗読を指導している。
菜畑(野長瀬正夫)・おかあさん(野長瀬正夫)・熊の子(田中冬二)・次郎(大木 実)

    おかあさん     
                  野長瀬正夫

おかあさんは縁ばたでつぎはぎをしている
ちいさいめがねをかけて
おかさんはいつごろから
あんなめがねをかけだしたのだろう
わたしは「おかあさん」とよんでみる
おかあさんはしばらくたってから
「いま、なんか言ったかえ」
と、わたしにきく
おかあさんは耳もとおくなられた