次の文は、ある研究会に参加した若い教師のものである。
「先日は、ご指導ありがとうございました。日々の忙しさの中で、授業研究の会(新城の会)は貴重な時間であり、いつも自分の指導を振り返る大切な時間となっています。
表現や合唱の実践を見たときに、3年前はこうだったなあと今の指導の足りなさを痛感しました。今は口が開いていないで声が出ていない校歌を聞くことが普通になっていました。目指すべき子どもの姿を2カ月に1回でも見ることで、本当の教育をぶれずに流されずに持つことができています。
卒業まであと2カ月ですが、自分のクラスの子どもたちにはもうひと花さかせてあげたいなあと思います。」
上記の文は私のブログに寄せていただいたものです。先日ある研究会で一緒に勉強した若い教師からのものです。
この若い教師は、この研究会によく参加されます。自分の実践も持参します。大変熱心です。この教師は研究会参加のことを次のように言っています。
○ 自分の指導を振り返る大切な時間である。
○ 今の指導の足りなさを痛感します。
○ 目指すべき子どもの姿を2カ月に1回でも見ることで、本当の教育をぶれずに流されずに持つことができています。
○ 自分のクラスの子どもたちにはもうひと花さかせてあげたいなあと思います。
若いのに凄いことを言っています。自分の実践を振り返る→指導の足りなさを痛感する→目指す子どもの姿、本当の教育を持つ→自分のクラスの子どもの上に実現する→それには何と言っても勉強しなければならない・・・・こういうことなのです。
この教師に私は下記のコメントを送りました。
「『3年前はこうだったなあと今の指導の足りなさを痛感しました。』・・・この言葉を3年前、2年前の先生方に読んでもらいたいものですね。
私は退職して今の仕事(初任者指導)をしていますが、自分で授業をすることはほとんどありません。この年で今さら勉強をと思いますが、初任の先生はもちろん、若い先生方によい授業や学級づくりをしてほしいと心底思うからこそこのような研究会に参加して勉強しているのです。
先生の考えや行動は素晴らしいことなのです。それを裏付けるように、先生の担任している子どもたちは確実に力をつけています。先生の持参してくる素晴らしい実践がそれを物語っています。教師の自己研修の基本はこうあらねければならないですね。これからもよろしくね。」
今は授業への憧れ、教育への憧れを強く持って仕事をしている教師がどれだけいるのでしょうか。そして、その憧れはどれほど明確に持っているのでしょうか。とても気にかかっています。