写真は「いのち、この美しきもの」(筑摩書房)解説 斎藤喜博 撮影 川島 浩から
下記は故斎藤喜博が築いた教授学研究会についてのあるブログからのものである。私も若い頃この教授学研究会に所属し大変勉強させていただいた。ここでは学力とは何か?ということで書かれているが、まったく私も同感である。
私が勤務していた○○小学校でも斎藤喜博の流れをくむ教育を取り入れ教育実践をした。その際には、国語、音楽、体育、図工とともに表現活動でオペレッタを子どもたちに指導した。その教育効果は真にここに書かれているものと同様である。学力とは何だということでいろいろな解釈がされている昨今であるので考えてみたい。以下ブログを紹介します。
故斎藤喜博という人物をご存知だろうか。
彼は、小学校の教師で、教育界に多大な影響を与えた人物だ。
校長になった後の活躍にはすさまじいものがある。
現代風に言えば、「カリスマ教師」である。
彼は、授業、表現、真理といったことに命を注いだ。
彼の死後、未だなお、その影響力は計り知れない。
とはいえ、現代の人々にはすでに縁遠い存在となりつつあるのも否定できない。
そんな彼が築いたグループが、教授学研究の会だ。
ここでは、毎月、現場の教師や大学教員や学生が集まって、
授業の内容、教師の生き様、教師の仕事について学び合っている。
今日は、その研究会があった。
この研究会で、参加者は多数の教育実践を知ることができる。
すごい教師はやはりいつの時代にもいるもので、
そうした気合の入った教師の実践を学ぶことができる。
今日は国語(朗読)、表現(オペレッタ)、社会(ゾウと人間)、漢字(漢字の構成と由来)、図工(造形、版画)の実践などを見た。
特に、H校長率いるS小学校のオペレッタには感動した。
みんなは想像できるだろうか。
小学三年生が、20分以上にわたって、歌って踊って演じて語り続ける姿を。
もちろん楽譜も台本も見ないでだ。
普通の田舎の小学生が、オペレッタ(オペラの基礎)をやってのけてしまう勇姿には
圧倒感すらあるのだ。
それよりもまず、子どもたちがオペレッタに心奪われ、全身で表現していること自体がすごい。
だが、これを見たものは次のように思うかもしれない。
「こんなことして何になるのだ?!それよりもっと重要なことがあるだろう。
学力低下が問題だ。まず基礎基本をやってからオペレッタをするべきだ」
たしかにオペレッタには、膨大な時間と労力が必要だ。
そんなことをしている暇があったら、ドリルや基礎学習をしたほうが、
一般的な学力向上にとってはよほどましであろう。
だが、いったい学力とは何なのだ?!
読み書きそろばんが基礎学力か?
受験に必要な一般常識を覚えていることが学力か?
それとも社会にうまく適応していく力が学力か?
ボクはそうは思えない。
演じる力、歌う力、語る力、そして表現する力。
総合すれば、何かに打ちこんで心を注ぐ力、
こうしたものが具体的な学力だと思う。
調子よく、ずる賢く、無難に生きる力なんてなくたっていい。
もっと大きなものに吸い寄せられる感覚というか感受性、
これをもっともっと身につけてもらいたいものだ。
学力っていったい何なんだ。
下記は故斎藤喜博が築いた教授学研究会についてのあるブログからのものである。私も若い頃この教授学研究会に所属し大変勉強させていただいた。ここでは学力とは何か?ということで書かれているが、まったく私も同感である。
私が勤務していた○○小学校でも斎藤喜博の流れをくむ教育を取り入れ教育実践をした。その際には、国語、音楽、体育、図工とともに表現活動でオペレッタを子どもたちに指導した。その教育効果は真にここに書かれているものと同様である。学力とは何だということでいろいろな解釈がされている昨今であるので考えてみたい。以下ブログを紹介します。
故斎藤喜博という人物をご存知だろうか。
彼は、小学校の教師で、教育界に多大な影響を与えた人物だ。
校長になった後の活躍にはすさまじいものがある。
現代風に言えば、「カリスマ教師」である。
彼は、授業、表現、真理といったことに命を注いだ。
彼の死後、未だなお、その影響力は計り知れない。
とはいえ、現代の人々にはすでに縁遠い存在となりつつあるのも否定できない。
そんな彼が築いたグループが、教授学研究の会だ。
ここでは、毎月、現場の教師や大学教員や学生が集まって、
授業の内容、教師の生き様、教師の仕事について学び合っている。
今日は、その研究会があった。
この研究会で、参加者は多数の教育実践を知ることができる。
すごい教師はやはりいつの時代にもいるもので、
そうした気合の入った教師の実践を学ぶことができる。
今日は国語(朗読)、表現(オペレッタ)、社会(ゾウと人間)、漢字(漢字の構成と由来)、図工(造形、版画)の実践などを見た。
特に、H校長率いるS小学校のオペレッタには感動した。
みんなは想像できるだろうか。
小学三年生が、20分以上にわたって、歌って踊って演じて語り続ける姿を。
もちろん楽譜も台本も見ないでだ。
普通の田舎の小学生が、オペレッタ(オペラの基礎)をやってのけてしまう勇姿には
圧倒感すらあるのだ。
それよりもまず、子どもたちがオペレッタに心奪われ、全身で表現していること自体がすごい。
だが、これを見たものは次のように思うかもしれない。
「こんなことして何になるのだ?!それよりもっと重要なことがあるだろう。
学力低下が問題だ。まず基礎基本をやってからオペレッタをするべきだ」
たしかにオペレッタには、膨大な時間と労力が必要だ。
そんなことをしている暇があったら、ドリルや基礎学習をしたほうが、
一般的な学力向上にとってはよほどましであろう。
だが、いったい学力とは何なのだ?!
読み書きそろばんが基礎学力か?
受験に必要な一般常識を覚えていることが学力か?
それとも社会にうまく適応していく力が学力か?
ボクはそうは思えない。
演じる力、歌う力、語る力、そして表現する力。
総合すれば、何かに打ちこんで心を注ぐ力、
こうしたものが具体的な学力だと思う。
調子よく、ずる賢く、無難に生きる力なんてなくたっていい。
もっと大きなものに吸い寄せられる感覚というか感受性、
これをもっともっと身につけてもらいたいものだ。
学力っていったい何なんだ。