前回のブログで「授業がうまくできたとき」ということで私の感じていることを記した。今回は、著名の方の授業に関する見方等を掲載することにする。私の思いと同じである。
木村 正
○授業のすばらしさと楽しさは、なかなか職員室の話題には上がってこない。しかし、授業こそ学校の真髄である。授業研究こそ教師の生命である、というこんな明々白々した命題が、学校教育の現場でははっきりと認識されていない。
○授業を真剣に取り組む中に教育のすべての問題解決があるのだということを、わたしたち教師自信がしっかり知らなくてはなるまい。
斎藤喜博
○どういう子どもを育てたいなどということが、相変わらず一般的な問題として論じられている。しかし、一時間一時間の授業を充実なものにしていけば、そんなことを一々気にする必要はないのだ。一般論で論じる以上にあざやかな子どもが、具体的な姿として生まれてくるのです。
○学校教育での授業は、いま一般に、教師や教育研究者が考えている以上に強い力を持ち意味を持っている。・・・・授業の持っている本質と力を発揮し子どもの可能性を引き出しつくり出すものになった場合は、他のうるさいこと、末梢的なことはほとんど不必要になると言ってよい。外面的な形式的な規則なども必要なくなるし、自分を拡大したり、自分を新しくつくり変えていったり、自分をよりよいものに規制していったりするようになる。
林 竹二
○パンをもとめて石を与えられるような授業をくり返されてるうちに、ある種の子どもは、授業に背を向けてしまいます。いわゆる優等生やよい子はつまらないと思っても、適当に調子を合わせておとなしくしているが、つまらない、おもしろく感じていない、我慢のできない子どももいる。そこで拒絶反応をおこす。こういう子が問題をおこす。教師はそこに「理由なき」反抗しかみない。
箱石泰和
○本校のサッカーは、埼玉のクラブチーム14が集まった試合に、たいした練習もせずに優勝をしてしまったのです。しかもその勝ち方は、1対0、0対0でPK戦というような、いつもきわどいものでした。・・・・・これは、普段の授業によって、一人ひとりが内側から鍛えられ、内容をもった強い子どもに育てられたと考えます。
※これらの文章を読んでもおそらく多くの教師は信じないだろう。自分でそういう授業をつくり出したり、実際に授業によって学校や子どもを変えた学校を参観したことがなかったりするからである。