斎藤喜博 その著『私の教師論』によると
教師が堆肥のはいっていない畑のように、こちこちで固く、やせて貧相にみえるのも、意地が悪いのも、表現力が豊かでないのも、人間的なゆらぎがないのも、みなそういうところに原因があったのであろう。しかし、絶えざる自己脱皮ができ、自分を変えていくことができない限り、子どもの可能性を引き出すような、ひびき合いのある授業がきできないことを思えば、これからの教師は、何をおいても、自己脱皮ができ、自己変革のできる、豊かな柔軟な人間に自分を変えていかなければならないだろう。
※この文は、前回のブログに書いたものと共通しているようである。多くの教師の現実の姿を示すとともに、自己変革の大切さを述べている。私も同感である。