早雲公園と墓所

2016-08-25 20:41:15 | Weblog

 こんばんは。

 天成園から、来た方向に上り坂を戻り、バス通りと並行する道を登り下りして、やっと早雲公園への入り口が見えました。公園の中の道は山の中の遊歩道の感じです。自然が一杯です。休憩場所もありますが、ゆっくり休める感はなく、歩き続けて公園を抜けました。良い森林浴の気分でした。早雲公園の写真を掲載し、紹介している、何方かのブログを見つけました。アクセスして見てください。

 私たちはそのまま早雲寺に向かいました。こちらも良い写真をネットで見つけました。我々が歩いた川沿いの天成園からの道でもさほど遠くなく、普通なら楽に歩ける距離でしょう。私は方角が良く分からず無駄歩きをしたかもしれません。坐骨神経痛には歩きがいのある距離でした。湯本駅から直行すれば、すぐです。循環バスのバス停を降り、北条家の墓所のある早雲寺に簡単に行けます。

 早雲公園の感想です。自然や草木が好きな人には良い公園かもしれません。私は草木は分かりませんので何も分かりません。でも、夏の暑いころに蝉しぐれを聞きながら散歩をしたいと感じました。犬を散歩させて良いかは分かりませんが、もしよければですが、この季節の犬散歩に最適かもしれません。

 北条家のお墓の感想です。早雲寺は臨済宗大徳寺派、御朱印を頂けるお寺。勉強になる遺跡や遺品がたくさんあるはずです。でもお墓も本堂の方も人影はなく静かなお境内でした。不思議でしょう。でも大徳寺派は一休和尚のお蔭で武家層に広まった流派でしょう。一休和尚の好みは大衆受けではなく、庶民の救済なのでしょう。早雲寺は愛想が悪いと言うより、一休和尚の教えを守っているように私は感じられました。

 高台の一画にお墓が寂しく、5つ並んでいます。元々の墓所は広大な早雲寺の中にあったそうですが、秀吉の小田原攻めの時に早雲寺は焼き討ちされ、墓所の場所は不明になったそうです。ですからお墓に御骨はなく、家光に許された子孫の大名が墓標を立てたそうです。安土桃山時代に北条の夢ははかなく消えたのかもしれませんが、関東における武士階層の宗教心は残っていると、私は正眼寺と早雲寺を見て、感じました。

 なお、北条氏滅亡に関する、面白い本があります。この本は昔少し一緒に仕事をしたことがある作家の伊藤潤さんが書きました。彼はシステム企画の能力も抜群でした。その人が30を過ぎてベストセラーをいくつも書くとは、彼も思っていなかったようです。でも、凄い人は何をしても凄いのでしょうね。

 今日はここまでにします。

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箱根湯本散策

2016-08-24 16:24:09 | Weblog

 こんにちは。

 あうら橘の隣、正面の道を少し上った所に臨済宗大徳寺派の正眼寺があります。このお寺は室町時代より以前から、箱根路の旅の安全を祈り始まった地蔵信仰から生まれたようです。源頼朝の、鎌倉幕府のできたころ、有名な仇討ち事件がありました。その曽我兄弟をお地蔵様として祀った寺でした。この寺は鎌倉時代から戦国時代にかけて栄えたようです。

 この寺の本堂脇には足湯があるようです。何か洗い場があるとは私も思ったのですが、これが足湯とは思いませんでした。日本で唯一の足湯のある寺かもしれません。お寺のお墓は急斜面にあり、たくさんの檀家が今もこの寺を守っているよう。お墓の敷地全体がとても良く清掃されていました。お墓詣りの後に、お年寄りが足湯に入るのかもしれません。この日も、朝早くから檀家さんらしい女性が本堂の周りを掃除していました。

 足が痛くて苦労したのですが、3階分はありそうなお墓の中の階段を一番上まで登りました。兄弟のお地蔵さんが保存されている地蔵堂が一番上にあります。もちろん鍵がかかっていて見られませんでしたが、決まった日に御開帳されるようです。なお、桜の時期はお寺の枝垂桜が見ものだそうです。

 階段を下りて、少し通りを戻り、玉簾の瀧の案内があり、そこを左折。急な下り道になり、すぐに早川の土手沿いの道に出られます。そこは交差点と橋。このあたりはにぎわっていました。玉簾の瀧は天成園の敷地の中にあります。川の上流方向に数分歩き、天成園への橋を渡り、駐車場の脇を通った奥に滝や神社やお土産屋さんや喫茶コーナーなどがあります。若いペアには良いデートスポットでしょう。与謝野晶子もこの風景が好きだったようです。詩もありました。天成園のサイトと、前回、リンクした、あうらのブログの写真を見てください。

 今日はここまでにします。

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あうらの占いは凶

2016-08-22 11:58:26 | 小論文

 こんにちは。

 今日は風雨が酷く、家で過ごして居ます。リンクを付けて、あうら橘の記事を書こうと思いました。私の成城時代の先輩がまだ経営者なのか定かでなく、あうら橘の各情報をそのホームページでアクセスしていました。橘の女将は凄かった。あうらの未来は心配になりました。

 あうらとはラテン語で微風とか雰囲気とか輝きの意味があると受付の男性が説明してくれました。海外の観光客が狙いなのかも。だって昔は橘でした。何故、あうらと付加し、改称したのか関心がありました。私はあうらとは足裏のこと、あしうらを短く言うとあうら、足裏占いでしょう。手相と同じ理屈かも。この言葉は古い言葉、占の詳細は不明。昔、女将さんが何れをメインに付けたのか、定かではないのでは。真実は藪の中。

 あうら橘は創作の和食料理がうたい文句のよう。ホームページでも分かるでしょう。それが狙いで私は露天風呂付個室をお願いしました。夜も、翌日の朝食も素晴らしいお料理だと言えるでしょう。料理長の創作だそうです。特別な食材を使わず、神奈川の山々の食材や小田原の海産物を使った多様な料理。本当に綺麗。ホームページの、料理タグをクリックすれば写真を見られます。写真通り。白を基調とした多様な形の小皿に私たち年寄りに適した量が盛られていました。素晴らしいデザイン。イメージを刺激されます。

 最近の若い人はダイエットを心がけているため、若い二人の記念旅行に最適だと思いました。事実、レストランの私のテーブルの、周囲は男女の二人連れと母親と娘さんに見える二人客が多かったように覚えています。女性に喜ばれるお料理が人気の秘密かもしれません。

 チェックイン時もチェックアウト時も、あうら橘の違う二人の受付担当者に私の名刺を渡しました。経営者は成城卒の先輩のはず。多分、兄の同級生。経営者は1か月に1回しか橘に来ないようですが、来たら渡してほしいとお願いしました。でも、半年以上たちましたが、メールも電話もありませんでした。貧乏人はクレーマーだと思われたのかもしれません。

 ここから私の悲惨な話。チャックインし、個室の浴槽にお湯が満々。私は喜んでまずお風呂。所がトラブル発生。洗面所で顔を洗おうとしていた妻がお湯が出ない出ないと騒ぎました。私は裸のまま洗面所の下に顔を入れて、水とお湯を全開にしようとしました。でも両方ともに全開なのか、回りません。そこで部屋の電話でフロントに洗面所のお湯が出ない、何とかして欲しいと頼みました。しばらく待って居たら温かくなると言われ、3分待っても温かくならず、2度目の電話。調べると言ってしばらくお湯が出なかったらまた電話して欲しいと言いました。1分もしないうちにお湯が出始め、妻は日焼け止めクリームを落とすことができました。この間、私は裸でうろうろ。まあ何とか、ここまではまだよかったのです。

 次に妻が裸になり、お風呂に入ろうとしました。部屋のブラインドを下げて、と言いました。私は裸のままブラインド操作をしました。ところが、どうやってもブラインドが下がりません。私はこれでも機械科卒、機械には強いのです。このブラインドは機構的に落ちない、故障していると妻に言いました。妻はふくれっ面。出てきて浴衣に着替えました。そして私はフロントにまた電話しました。部屋のブラインドは故障中、すぐ直してほしいと。

 しばらくして、気の良さそうな若者が来ました。ブラインドと悪戦苦闘。10分ほどいじくっていましたが、諦めました。故障している、直せない、修理の会社を呼ぶ、明日になる。部屋を替わってほしいと言われました。私も妻も裸に浴衣を着たような状況。冬の箱根に対応した厚着が掛かったたくさんのハンガー。貴重品ボックスに入れた携帯電話や財布などなど。バッグは開いて物をとりだし、机に並べたような状況。それを慌てて部屋変えです。昔の国替えの苦労を味わえたと思って良しとしました。

 実はここからも事件。私はあわてて大荷物で部屋替えし、大事なものを部屋に置き忘れました。良く気が付いたものです。自分を褒めたい所。慌ててまたフロントに電話。何で私が、フロントに詫びて、きた人にお礼を言わなければいけないのか分かりませんでしたが、気の良さそうな若者でしたので、お礼を言って二人でまた前の部屋にに入り、忘れ物を取ってきました。明日になったらどうなっていたか分かりません。部屋の荷物くらいお前たちがしろよ、と言いたい言葉を飲み込んで。 

 翌日のチェックアウト時に支配人か責任者か担当者がお詫びの言葉を言うと思っていました。それが私の常識であり、言葉は言霊、想いは通じます。料理長の腕も、お料理の皿も、お料理も泣いていたように私は思いました。私は、ありがとうございました、だけ言って翌朝、早々にチェックアウト。もちろん歩いてです。どんなに美味しい美しい料理があっても、責任者が全責任を負わないホテルは御免です。形ではないのです。思いです。謝っただけで済むことも多いのが人生でしょう。

 箱根にももう行きたくありません。多分もう行きません。昔の箱根はなくなったからです。文句が長くなりすぎました。まだまだ続きますが、今日はここまでにします。次は端折って簡単にしたいと思っています。

 追記です。今日、ブログ記事を書くため、たまたま橘のブログを見ていました。支配人が私の知り合いか写真があるかとアクセス。しかし横顔の写真しかなく、すでに60年近く経っていて、私の先輩が支配人なのか分かりませんでした。天成園の紹介はあうら橘のダイニング担当者のブログにあります。支配人と作成者が一緒に湯本を歩く記事が3つ、その中に、天成園の写真がありました。箱根にはもう行く気はしませんが、もし行かなければいけない用事ができたら、今度は天成園に泊まりたいと思っています。やはり私は箱根でも庶民派です。中庸を旨としています。

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子供も学べる資料館

2016-08-20 07:39:41 | Weblog

 おはようございます。

 ホテルの玄関から出て駐車場を通り、道路に出たらすぐ箱根町役場があり、その駐車場の奥に箱根町立郷土資料館がありました。大きな建物ではありませんが、立派な建物全体が資料館でした。入館料は驚くほど安価、あまり期待はできませんでした。

 受付にシルバーセンター派遣の人のように感じられた男性がいました。静かな、しかも箱根の歴史だけでなく、日本の歴史や地学も良く知っている人でした。いろいろ説明してくれました。資料館全体が学童や園児の見学に適しているように構成されているようです。多分、箱根の学校が団体で見学しているでしょう。子供が自分の地域を学ぶことは将来とても役立つことでしょう。なお、休憩コーナーや特別展示コーナーもあります。幼子を連れた家族も楽しめるでしょう。

 受付に良い人がいると見学は有意義になるし、感性も働きます。この見聞録は鋭い、報告かもしれません。自信があります。特別展示コーナーは江戸時代前までの箱根の歴史が展示されています。昔は海だった箱根が火山活動で隆起し、川の浸食活動で地形ができた地学や、北条氏が滅亡するまでの日本史を子供に分かりやすく、面白く展示されています。今の高校生もこの程度ならついて来れます。先生が地学や戦国時代までの歴史を少しでも知っていれば、中高生も学び合いの材料になるでしょう。要は教える人の心でしょう。

 体験コーナーはゆっくりと箱根を学べる場所になっています。手に触れて箱根を知る箱根の名産の寄木細工を使ったパズルゲームなどがあり、家族連れがテレビの説明などを見ながら遊んでいました。なるほど、寄木細工は並べ替えて模様の変化を楽しむ創造性開発の良いゲームだと思いました。

 なお、ドイツには4種類ほどの色の多様な幾何図形の小片を並べ替えていろいろな形に変える幼児の知育ゲームがあります。今は日本にも同じコンセプトのゲーム器具があるようです。でも、寄木細工を使うともっと模様や色の変化が面白いと私は思いました。寄木細工の模様もパズルですので。商品化は簡単でしょう。

 常設展示が展示のメインです。江戸時代から現代までの箱根の歴史が分かりやすく、15のコーナーに分けられ、展示されています。各コーナーが上手くまとめられ、分かりやすく、どんどん前に進めます。子供も楽しいはずです。各コーナーの壁に、B5,1枚の説明資料がありました。説明者は居なくても、それを読むと簡単に各展示の趣旨が分かります。これも素晴らしいやり方だと思いました。

 常設展示の各コーナーは、江戸時代に箱根七湯の成立から始まって、戦後の復興時代、箱根十七湯と言われる今の箱根の歴史が1ページに上手くまとめられています。1ページの説明資料を1枚ずつ集め、入り口の案内に持って行くと、表紙を付けてくれ、ホチキスで留めてくれました。只でです。びっくりです。

 受付あたりの資料棚には、100円のワンコイン説明資料集もあります。私が買った資料はたまたま棚に在庫なし。でも、隣の町役場に電話したのか、すぐ持ってきてもらえました。私の資料をホチキスで留めてくれているうちに、です。これにもびっくりです。受付のオジサンが町役場の女性事務員をすぐ動かしたのですから。

 なお、厚い学術研究報告書などの、資料もあります。多くは在庫切れでしょう。地震や地質や温泉など、地学が好きな人にはたまらない資料かもしれません。在庫があれば、安価、好きな資料を誰もが簡単に買えるのです。売り切れなら閲覧できます。2階が資料室です。箱根に関するいろいろな資料を誰もが閲覧できるようです。私は図書室は行きませんでしたが、素晴らしいシステムだと思いました。

 今日はここまでにします。

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御もてなしの心

2016-08-18 07:51:10 | Weblog

 おはようございます。

 富士屋ホテルのロビーを一回り。和食、中華、バイキング、軽食などのレストランがありました。和食の松花堂弁当も魅力的でした。でも、値段が高い上に、あうら橘の夜食とかぶります。軽食ラウンジに決めました。一番近そうでしたし。

 12時を少し回っていたのですが、一番客でした。お店の雰囲気や従業員のサービスは期待していませんでした。所がぎっちょん、丁寧な出迎え挨拶がありました。通されたのは廊下側の、窓際の良い席。テーブルも清潔、上の品々も良く整えられていました。従業員教育も流石だと感心しました。

 余談ですが、私の親しい友人に、上智大学言語学部卒の人がいます。60代後半の人。入学し、オリエンテーションンはこの富士屋ホテルだったと言っています。大学の説明と同時に、正しいテーブルマナーの講習会が1泊旅行であったそうです。もう半世紀前のことです。一方、私は入学当時、オリエンテーションもさぼり、野球三昧。マナーも良く知らず、アメリカでビジネス。接待者の食べる様を見て真似をしていました。真似だけの人間なのですが、西洋ではそれが一番正しいテーブルマナーなのかもしれません。アメリカでも空気を読まないとビジネスもできないのかも。

 今回は珍しく、まずコーヒーを頼みました。そしてお勧めされているハンバーグランチを2つ。面倒でないからです。カレーやサンドイッチもあったのですが、やはり一番のお勧めランチが無難です。食べきれなければ、残そうと思っていました。

 コーヒーはすぐ出してくれました。良い作法で、美味しいと思いました。私はコーヒーは音痴、お茶が好き。お茶は煩いのですが、コーヒーは煩くありません。専門店でも、コーヒーが趣味の方の家でも、美味しいと思ったことはありません。美味しいと思う例外は良い食事をできる前後。コーヒーが美味しく感じたので嬉しくなり、キリンラガーも頼みました。ラガーが置いてあるとは珍しい。流石です。

 すぐに今日のスープ。しばらくして大きなプレートとパンが来ました。富士屋ホテルの味だそうです。ハンバーグは良い焼き加減、美味しいデミグラスソース、食事を簡単に楽しめました。プレートランチしか食べていませんが、他も推して知るべし、多分お勧めでしょう。

 用をたし、支払いを済ませました。ホテルの玄関から出て、隣の箱根町立郷土資料館に行こうと思っていました。登りの坂道を半分以上少なくできるからです。今回の箱根見学はここだけが決まっていました。多分、1時間ほどで十分。明日、午前中にすることがありませんでした。

 玄関のドアーのところにドアーマンの、私と同年代の男性が立って居ました。お勧めの観光場所、博物館や美術館、または歴史の名所はありませんか。早雲公園は行ったことがないし、北条家のお墓でも見学しようと思っている、と私が言いました。

 すると彼は、近くに良いところはない、強羅か宮ノ下に行ってください、ケーブルカーはないが、バスでなら簡単に行ける、早雲公園は勧めない、北条家墓所も何もないところだったと後で苦情を言われたことがある、と言いました。私は変わり者です。それなら明日午前中は北条家の墓参りをしようと考え、やることが決まりました。

 富士屋のドアーマンに感謝、素晴らしいドアーマン。立って居るだけでも、ドアーを開ける動作と顔つきで、確信に変わりました。良いホテルはドアーマンが違います。そう言えば、半分冗談、半分本心で、定年になったら都心の大型ホテルのドアーマンをしたい、ドアーマンは憧れの職業だった、と言ったことを私は思い出しました。しかし、私を良く知っている年長者は、お前には無理だ、と言いました。そうですね。ドアーマンは難しい職業。大学や学校の先生など、簡単な職業です。

 なお、郷土資料館はすぐとなり、素晴らしい受け付けの高齢者の男性がいて、素晴らしい勉強ができました。ここにも行くべきです。でも今日はここまで、資料館の話は明日にします。

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箱根のイメージ

2016-08-16 08:00:49 | Weblog

 おはようございます。

 箱根湯本は半地下のような感じがするホーム、改札周辺は綺麗に整備されていました。まず年寄りはどこでも用をたします。ゆっくりと階段を上り、改札を通りました。そこは2階、お土産コーナーや喫茶店や切符売り場のスペースでした。

 50年以上前、中島弘之さんと来た時は改札を出たホームから車道にかけて旅館の番頭さんがそれぞれののぼりを持って待ち構えて客引きをしていました。そこで橘の紫色の旗を見つけ、旅館の車で案内していただきました。今でも、私にとってこれが箱根のイメージです。記憶は不思議です。

 それから何度も箱根湯本に来たことがあります。いつの間にか番頭さんの客引きはなくなりました。でも何時なくなったか、定かではありません。多分、当局の指導もあって、旅館組合が自主的に止めたのでしょう。安い循環バスがあり便利と言っているようです。でも、年寄りは温泉地の循環バスを利用しません。他人がいると不愉快な目にあうと言うトラウマがあるのです。おばさんもおじさんも恐怖なのです。ですから歩きかタクシー、または送迎車から都度選びます。

 案内所は歩道橋を渡り階段脇。色々な場所のパンフレットを入手しました。今までは、箱根に来ると、何はともあれ登山電車、まず強羅。そこからケーブルカーで早雲山。そしてロープウェイ、ゴンドラで大涌谷から終点の芦ノ湖。途中の大涌谷はゴンドラからでも見もの。でも私にとって、大涌谷を越えて、下り。進行方向、遠くに見える富士山。箱根はこのイメージなのです。最高のデートになると思います。

 時間があれば遊覧船で観光できます。芦ノ湖に映る富士山も絶景、有名です。でもやはりデートならゴンドラ。そのままゴンドラで戻るべき。このコース、10年ほど前に来た時、アメリカ人やドイツ人が多かったように思えます。英語やドイツ語を話す西洋の人がたくさんいました。私も片言英語とダンケシェーン、ダンケだけで何とか交流していました。外国人と観光地で仲良くできるのは箱根がベストだと思っていたのです。

 今は、ロープウェイも再開していますが、新年当時、大涌谷の噴煙の危険性があり、ロープウェイは運休。海外旅行客も減少したとニュースになっていました。私ができる箱根経済支援のためにも湯本でした。本音は、観光客が少ない方が私の好み。しかし、駅前の観光案内やバスターミナルのあたりは混雑していました。ゆっくりできるムードではありませんでした。

 箱根の混雑の理由が分かってきたと思えました。中国語が飛び交い、大家族の旅行客が歩道やバスターミナルに溢れていたからです。町全体が混んでいるから、12時前にレストランを決めようと思いました。商店街の上り坂を歩きながら、箱根名物のそば屋やレストランやお土産屋さんをいろいろ覗きました。でも、何かしっくりきませんでした。

 それでも、迷い迷い、200メートルほど歩きました。お店はあれど、混雑しているか、お客が居ないかの両極端。不思議としておきますが、理由は演繹できそうです。調べないで来た我々がいけなかったのです。結局、反対側を歩いて、駅方向に戻りました。ますます混雑。決められず、案内所まで戻ってしまいました。

 一番近くて一番大きそうな、高そうな、富士屋ホテルでコーヒーとケーキで我慢しようと思いました。夜のリゾートホテル、あうら橘は料理長の料理が自慢だからです。本音は、貧乏人は食べてはいけない立派な昼食コースだろうと想像したから、かも。いいえ、両方あり、昼食を食べるかどうか迷っていました。

 富士屋ホテルの立派な建物が山の上にそびえていました。駅前に富士屋ホテルの案内所もあり、橋を渡り、エレベータでロビー階に上がれると言われました。軽食のランチもあると。親切な笑顔の女性従業員さんでした。こうしてやっと昼過ぎに富士屋ホテルのロビーに到着しました。流石に綺麗でした。お土産コーナーも、小田原名産品の即売もあり、立派でした。

 昼ご飯の話まで届きませんでした。まだまだ箱根は続きますが、今日はここまでにします。

 

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箱根湯本へ一直線

2016-08-13 15:53:40 | Weblog

 こんにちは。

 暮れのうちは温かい日が続いていましたが、年明けから厳しい寒さ、寒波が到来しました。寒いと足の調子が思わしくなく、楽に行ける温泉に行きたくなりました。箱根湯本が最適だと思い、あうら橘にしました。小田急のロマンスカーの、1月19日20日の1泊旅行、箱根は久しぶりでした。朝、新宿まで行くのは大変です。犬を預けて一泊旅行、慌ただしすぎです。行き易さを望む、私の湯治旅行に不適でした。

 小田急線のロマンスカーは以前は新宿発だけ。成城学園に初等科から高校まで通い、何処に行くにも小田急、遠足はほとんど小田急。箱根や向ヶ丘は何度も行きました。当時、ロマンスカーは洒落た、上手い命名でした。今も特急はそう呼ぶでしょう。いっそ小田急で逃げましょか、の艶っぽい歌、東京行進曲もありました。同級生や先輩には、箱根の温泉旅館の息子や身請けされた芸者さんなど、二号さんの息子さんもいました。昔は色っぽかったのです。

 最近は、常磐線の住人。車内の酒盛りで有名な路線です。千代田線から丸ノ内線に乗り換えるのは大変。階段や人ごみで、身体が不自由な老人には通勤時間帯は難行苦行です。何年か前、北千住発ロマンスカーができたと聞いて、早速、箱根に行こうと思いました。しかし土日の1便のため、市民クラブを主宰している私は利用できませんでした。

 今年になり、旅行代理店で私に適した温泉宿を調べてもらったら、箱根湯本へ行くロマンスカーの旅が良い。平日も可、楽だと教えてくれました。朝一の特急もラッシュアワーが終わった後、ゆっくりと千代田線だけでロマンスカーに乗り、行けます。

 北千住の乗り換えは、同じ地下鉄ホーム。降りて待って居れば来ます。坐骨神経痛は階段が鬼門だから、歩かなくてよいのはベスト。北千住発のロマンスカーで箱根に行きました。旅館は、一番楽な湯本のホテルの中から選びました。

 たくさん良いホテルがあり、普通なら迷いますが、昔、働き盛りで死んだ同級生中島弘之さんと行ったことがある橘にしました。このホテルの跡取り息子は私の成城学園の先輩でした。昔はサービスを良くしてくれました。橘は、あうら橘となっていますが、経営者は同じ、場所も同じです。

 当日、ロマンスカーは満席だろうと心配していたのですが、思いのほかにガラ空き。1両当たり数組しか乗っていませんでした。地下鉄の途中乗車駅は大手町、霞が関、表参道、だけ、代々木上原もお客は乗車できませんでした。不思議でした。ロマンスカーは、空いたまま小田急線に入りました。途中、成城学園前、新百合ヶ丘、町田、本厚木、小田原に停まりました。でもあまり乗客は増えませんでした。

 お金持ちを相手にしているパック旅行を選んでしまったか、接待旅行が好きな人が利用する旅行パックか、変な感じがしました。でも、私が利用できる、費用はリーゾナブル。ホテルも街も庶民派でした。

 箱根湯本の話がまだ続きますが、今日はここまでにします。

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鬼怒川の足湯と見どころ

2016-08-11 09:24:35 | Weblog

 おはようございます。

 まつ屋の女将は竹久夢二の大フアンなのでしょう。旅館の中に彼の作品を基にした備品がたくさんありました。絵は至るところに飾られています。割りばし入れには夢二の代表作のコピーがあり、そのまま持ち帰ると良いお土産になります。もちろんお土産品コーナーにはたくさんの商品が展示され、販売されています。

 夢二の絵のラベルがあるお酒や御菓子まであります。展示品には非売品も。額入りの大きな絵は非売品のようですが、見ものです。女将の若い時の写真や、相田みつをとのツーショット、なれそめの説明資料も見られます。このコーナーは見もの。おまけに今回、館内には立派なつるし雛も、5段以上の雛段も、内裏様の大きなお雛様も。

 まつ屋は美術館を3つ持っているようです。多分、女将所蔵の品々、それらが飾られているのでしょう。一駅ほど離れていますが、竹久夢二の作品は日光竹久夢二美術館。ここはレストラン、花むらさきと、ゆば懐石料理の椿庵と、お土産品を買える港屋があり、昼食には最適の場所です。まつ屋から無料バスサービスがあり、簡単に行けます。そのバスは昔の乗り合いバスのイメージ通りです。乗ろうと思っていたのですが、日光竹久夢二美術館は水曜日は休館、休館の日はバスサービスがありません。小型ワゴン車で鬼怒川温泉駅に送ってもらいました。

 なお、相田みつを作品展示の相田みつを心の美術館へもバスは寄ります。ここで下車も可能です。レストラン、花茶庵があり、和洋いづれかの懐石料理をここで楽しむことができます。こちらも水曜日は定休日。美術鑑賞が好きな方は水曜日に見学を予定せず、前後の火曜か木曜日に予定すべきでしょう。

 なおまつ屋の隣に日光人形の美術館があります。こちらへは歩いてすぐ、水曜日もオープンしています。こちらもまつ屋が経営しているようです。今回、これら三つの美術館への無料入館券が付いていました。でも人形の美術館は昔見たし、残りの2つは休館日、利用できませんでした。まつ屋のホームページに3つの美術館のリンクがあります。クリックしてぜひ見てください。

 鬼怒川は前年の大雨で乗り場が流されたのか、人気の川下りは不能、夏休みは再開するように聞きました。その他、家族連れ向け施設が整備され、皆さん一家で楽しんでいるでしょう。温泉駅周辺の川岸散歩道は良く整備されています。鬼の像を巡る、スタンプ歩きもあります。山歩きは足痛のため今はできませんが、大吊橋から反対側に渡り、山登りし、見晴らしの良い頂上を目指すのも、良いハイキングです。いろいろな鬼の像を楽しみに、駅とは対岸を歩き、黒鉄橋から線路側に戻る経路に、お土産屋さんがたくさんあります。

 今回も龍王峡にタクシーで公園駅方向、まつ屋の前を通り鬼怒川上流へ。駐車場に停めてもらい、川岸まできつい階段道を下りました。下りるのも大変、登るのも大変。でもリハビリと思い、今回も渓谷中の見どころ、龍がのたうつような険しい流れを鑑賞できる、滝と橋まで下りて行きました。虹が龍に見えるとも言われていたのですが、虹は見えたようですが、現実主義者の私には、龍は見えません。お土産屋さんのイワナの串焼きは名物のようです。私は今回はそのまま温泉駅に戻りました。

 まだ時間もあり、駅前でゆっくりと無料の足湯にはいりました。一部の宿が不調でも、鬼怒川はさびれていません。大きなスパのホテルもお土産屋さんもレストランや喫茶店も、むしろ若い人や家族連れに人気のようです。お爺さんおばあさん以上に、若い女性客がたいへんに多いように感じました。女将会の努力の結果かもしれません。

 私は若い人と並んで、足湯。発車時刻いっぱいまで温泉に入っていました。元気をもらえた原因は足湯だったのかもしれません。今日はここまでにします。

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女将は凄い

2016-08-09 16:09:31 | Weblog

 こんにちは。

 まつ屋は鬼怒川温泉駅前です。5分ほどをゆっくり歩きました。まだ早い時間なのに、若い男性二人が少し先を、まつ屋に行きそうに歩いていました。まつ屋は女性客やカップルに人気の宿です。若い男二人が早々とチェックイン、不思議な気がしました。彼らに続いて、ほとんど同時にフロントに行きました。彼らはどうやら日帰り温泉のお客さん。鬼怒川温泉は日帰りの昼食とお風呂のサービスがある旅館やホテルが増えました。とても良いことだと思います。昔やっていたらなお良かったかもしれません。

 20年ほど前だったか、私たちが元気だったころ、温泉と山歩きで何回か鬼怒川に来たことがあります。バブルが破裂したころも、足利銀行が潰れたころだったかも。鬼怒川温泉は急にお客が減少し、潰れたホテルが多数ありました。1階のシャッターが下りた、さびれたホテルがいくつもありました。バブル客やゴルフ客の豪遊に依存していたからでしょう。

 鬼怒川温泉を支援する施策か、大変立派な日帰り温泉が公園駅の目の前にできました。物珍しいので私も一度行きました。でも松戸や柏の大型銭湯と楽しさはあまり変わらないように感じました。人が少ない露天風呂が広くて良かったのですが、昼食やお酒や休憩サービスがありませんでした。最近の都会型の温泉は商売熱心、いろいろな付加価値サービスがあります。公園駅前の公営温泉は勝負にならないでしょう。言わば箱モノ行政の弊害かも。どこの温泉にもこのような施設が増えました。私は行く気にはなりません。

 当時、まつ屋に立ち寄り、竹久夢二の絵のデザインがある絵ハガキや栞を買いました。子供がまだ学生でしたので、良い詩だと思って、詩が書いてあるお土産を買いに立ち寄っていたわけです。まつ屋は竹久夢二の作品を基にしたいろいろな商品を販売しています。エレベーターのドアーは大きな絵があります。これだけでも大変お金がかかったはず。

 その他、至るところに竹久夢二の作品がデザインされています。割りばし入れやメニューにも。このような大正ロマンに満ちているホテルだから女性客に人気なのでしょう。なお、相田みつをの作品もいろいろ販売していました。廊下にも作品が展示されています。竹久夢二と相田みつをについては後日改めて紹介したいと考えています。

 当時とお土産展示コーナーは変わっていないように感じました。でも、つるし雛のイベントをしていたので、立派なつるし雛がいくつか目立って飾ってありました。お雛様を見ながら、お茶と茶菓子のおもてなしを頂き、早々とチェックインしました。

 なお、色々なホテルで同じようにそれぞれにつるし雛を飾っていたようです。私たちが翌日昼食を頂いた大型ホテルの飾りも見ることができました。雛段付きのお雛様は流石に立派でした。今回、お雛様の調査ができてしまいました。

 部屋に入ってすぐに、まつ屋の女将が挨拶に部屋に来ました。彼女はすべてのお客様に挨拶に来るそうです。高齢になってもです。びっくりしました。若い時は美人と頭の良さで有名な女将さんだったはず。竹久夢二の関係者と、相田みつを本人が支援した、女将が誰かに惚れて誰かを支援した、しかも日光女将会の初代の会長さんです。彼女が築いた財産は全鬼怒川の財産でしょう。私の好みを言わしてもらえたら、竹久夢二ですが、好き嫌いは相性でしょう。

 まつ屋の女将の話は書ききれないほどあります。でもパクリは嫌い。ぜひ、皆さんも一度訪れてみてください。今日はここまでにします。

 

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鬼怒川のつるし雛

2016-08-08 14:45:17 | Weblog

 こんにちは。

 今年の2月、関東は寒波が到来し、寒い日が続いていました。家から一番簡単に行ける温泉は鬼怒川か日光です。都心に出る必要はなく、北千住から東武鉄道で簡単に行けます。特急座席指定券を買い北千住から数か所停まるだけですし、終点ですので慌てて下りる必要もありません。

 ですから日光も鬼怒川も数回訪れています。改めて見学する名所も鬼怒川周辺にもうなく、まつ屋の露天風呂付の部屋を予約し、雪見酒、温泉三昧旅行と洒落込むつもりでした。所が何時もなら線路わきに雪が積もっているはずなのに、ほとんど雪は見えませんでした。日光連山の山々も今年は雪が少なそうに見えました。案の定、駅前には雪はなし。

 北千住のホーム下で買ったサンドイッチを車内で食べ、ビールも飲み、鬼怒川温泉駅で下車していました。雪もなく、鬼怒川も見飽きていて、するあてもなく、食べすぎるのも嫌ですので、何をするか、困っていました。事前にネットで調べたら、鬼怒川温泉駅そばに、足湯に入れる喫茶店がありました。足湯に入りながらランチを頂けるようでした。

 今は修繕されたかもしれませんが、前年の大水の影響で喫茶の足湯は故障中のようでした。残念でした。仕方なく、お土産屋を数件覗き、まだ時間が余っていました。どうしようか、本当に困っていました。所が具合が良いことに、地域の女将の会がきぬ姫まつりのイベントを宣伝していました。そのために駅前のビルでつるし雛を多数展示していたのです。つるし雛とはなんだろう、何れにしろ時間を潰せると思い、中に入りました。見学は無料。お茶も茶菓子もありました。ラッキーでした。

 この地方では昔、お母さんやおばあさんがこのようなお雛様を手作りしたそうです。その昔の実物がたくさん展示されていました。つるし雛は、庶民は部屋の広さも十分ではなく、場所を取らない、手作り。大きな簾のよう。各家庭、吊るし雛が多かったようです。この地方だけでなく、東北地方全体、このような雛が主流だったかもしれません。

 古い段飾りの、私が知っている普通のお雛様もいろいろありました。武士やお金持ちの町民が飾っていたものが。でも、いろいろな吊るし雛がもっと多くあり、勉強になりました。どれもこれも、母親が娘の健やかな成長や、未来の幸せな結婚を願っているように感じました。感じすぎかもしれませんが、東北地方には道教の影響が強くあったようにさえ感じました。

 いろいろな品物を釣るし飾ってある綺麗な簾と言うべきかも。大小色々ですが、簾の形は似ていました。糸に吊るす小さな品物は多種多様。品物は、赤や金の色の物がたくさんあります。多数のおもちゃを一本の糸に吊るし、糸を何本も吊るした簾と言えそうです。犬や金魚、人形や着物やおもちゃや食べ物やお餅、、小判や米俵などなど、多種多様。これらの実物を手にできる子供の生活を願って母親がつくったのでしょう。母親が願いを込めたお雛様。私はこのお雛様の現物をそれまで見たか見ないか覚えていませんでしたが、珍しい物を数々見られました。

 見学に疲れ、駅前の喫茶店で休憩。アイスクリームとコーヒーを頂いて、一休み。そしてまつ屋のチェックインに一番都合の良い時刻の各駅電車で公園駅に行きました。今日はここまでにします。

 

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米沢名物牛肉ラーメン

2016-08-06 14:31:17 | Weblog

 こんにちは。

 駅前に11時前に到着。新幹線の予定時刻まで1時間半近く時間があり、牛肉の昼食ランチを食べて、米沢牛のお土産を買おうと思いました。ネットでさっと調べた居たのですが、いくつか駅前にも肉のお土産屋さんもあり、何でもいいからとりあえず米沢牛を買おうと思っていました。

 お肉のお土産店の前を目星に、駅前でタクシーを降りました。しかし、水曜日は定休日でした。残念、近くのもう一件レストランと肉のお土産がある、大きそうな店に行きました。しかし、こちらのレストランはどうやら11時半からでした。あわただしくなるので、とりあえずレストランはあきらめてお土産屋を探しました。どうやら米沢城のあたりのお土産屋さんで買うべきだったと分かりました。運転手さんに聞くべきでした。残念。

 困って、牛肉駅弁を売っている大きな店に行き、最悪、駅弁を覚悟して、肉のお土産は無いかと聞きました。50メートル先にレストランがあり、多分そこでもお土産が買えるだろうと親切に教えてくれました。後でわかったことですが、どうやらこの弁当屋さんが経営するレストランのように思えます。丁寧に教えてくれたわけです。

 その焼肉レストランのべこやはまだ開店前、やはり11時半からのよう。焼肉を食べられるほど食欲もなく、すでに始めていた小さなカウンターの肉のお土産だけ買いました。保冷剤を入れて、パックに入れ、持ち帰られるからです。孫と一緒に食べるには十分なすき焼き肉と、自分たちが食べる切り落としのコマ切れ肉を買いました。やっと11時になりました。

 べこやの前にラーメン屋さんがあり、米沢はソバも名物ですが、伝統的東京ラーメン的なラーメンも人気だと思っていたので、ラーメンで手を打つことにしました。11時開店だと知っていたからです。開店と同時のお店に、お客はゼロ、古い店内、期待しませんでした。お店のおばちゃんに、何が評判が良いかしら、お腹が空いていないからラーメン2つで良いと言いました。彼女は、牛肉ラーメンが良いだろう、と親切に教えてくれました。案外、安かったので、お腹が一杯でしたが、二つ頼みました。ケチですので。いいえそれは嘘。無駄も残すのも嫌いなので。

 私が頼み終わった直後から、続々とお客が来始めました。サラリーマン、出張者風の二人も牛肉ラーメン。一方がここの牛肉は上手い、米沢に来るたびにラーメンを食べている、ともう一人に説明。私たちは良いラーメンを選択したと思いました。そして家族連れ風の一家の数人と、女性客二人の二組も来たりして、すぐ店は満席。皆さん、牛肉ラーメンを頼んでいました。

 来るのがもう少し遅れていたら、時間がないのが心配、席も危ないところでした。ここは松月と言う目立たないお店です。知る人ぞ知る、皆さん良くご存知なのでしょう。でも、きっと他の店もラーメンが美味しいと思います。牛肉も麺もスープもが美味しいし、おまけに安価でした。

 蛇足ですが、定年退職でシャープ液晶多岐工場に挨拶に行った帰り、松坂の有名店の牛肉を買いました。最後の記念にでした。安くて旨いと言われているコマ切れを。東京には売っていません。100グラム数千円の肉だけ売っているのでは。事実細切れは旨かったのですが、この時も時間はなく、駅の立ち食いそばを食べました。

 ソバ好きのこの私が言うのも何ですが、人生で一番おいしいソバだと思います。都心の3000円はする伝統の天ぷらそばより、600円の肉ソバの方が美味しいかも。肉ソバの、特に細切れの牛肉が旨かった。安かった。今回と同じでした。旨さは値段によりません。ブランドの黒毛和牛は現地で食べなければ嘘でしょう。お金がもったいないです。

 今回の米沢シリーズはこれでおしまい、今日はここまでにします。

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上杉家のお城

2016-08-05 08:40:45 | Weblog

 おはようございます。

 御霊屋を見て感動して、タクシー運転手さんに、城址公園だけに行けば良い、早めに駅に行きましょう、と私が言いました。米沢牛のお土産を孫に買って帰りたかったから、買い物の余裕を残したかったからです。おまけに米沢より小野川に興味があり、事前に米沢市内の観光地図と案内を良く見ていませんでした。城址は石垣と堀に囲まれた、シャープ奈良工場時代、よく子供と遊んだ豊臣秀長の居城の桜の名所を想像していたのです。私が今まで見学したお城はそのような創りが普通でした。米沢も廟所から距離があると思っていたのです。

 ところがどうやらこのあたり全体が城址のよう。米沢は貧乏な藩。米沢藩がお金をかけず作ったお城。山城でもないし、地面に土を盛り、周りに堀をめぐらした石垣もない構造だったよう。役所や真言宗の複数の寺を二の丸に、上級や中級の武家屋敷を三の丸に置く、典型的な平地の城でした。明治になり、そのまま役所に建物は利用されたようです。ですからこの一角全部が城址であり、ごく一部が花見のための公園として利用されているようです。

 まさに、謙信の春日山城と同じつくりだそうです。会津のお城はそのような作りではなかったはず。上杉家の伝統が石垣なしとは驚きました。会津のお城と言えば、鶴ヶ城でしょう。鶴ヶ城も町中にあり、たしか隣に会津の検察の、監獄がありました。米沢城と同じように、周りは市の庁舎があったはず。でも、立派な天守閣はありました。10年前にも登ったことを覚えています。このお城は、会津を継いだ保科家保科正之の居城、悲劇の白虎隊で有名。小学校の修学旅行でも見学しましたが、堀も石垣もある典型的な城らしいイメージでした。

 米沢のお城には石垣もない理由は、金欠と、春日山城の構造に習った説があるようです。でも、私は違うように思えます。上杉の伝統は、町から出て戦う、堀を背に戦う背水の陣なのではないか。負けることを知らない、謙信。川中島の戦いはたまたまの遭遇戦の野戦になった、死ぬか生きるかの戦い。城を攻めるときは石垣も堀も克服する戦法なのかもしれません。だから自分は石垣は要らない。まさに人は石垣なのでしょう。やっと謙信や鷹山公が好きだった本当の理由に出会えたような気がしました。

 城の構造が今のエコ時代に生きているし、鷹山公の施策にすら手助けになったように感じています。日本経済が沈下しても、米沢は必ず発展するでしょう。果たして、上杉景勝や鷹山公はそこまで考えていたか、あの世で会えたら聞いて見たいと思いました。(笑)

 今日はここまでです。南無阿弥陀仏、失礼しました、プロに怒られるかも。素人は大胆に考えてしまいます。

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米沢タクシー観光

2016-08-03 04:06:19 | Weblog

 おはようございます。

 国内旅行の時、最寄り駅から2時間弱ほど、タクシー観光をすることにしています。効率的だからです。着いた観光名所をさっと見るだけで良さそうなら、タクシーを待たせます。ゆっくり見たい美術館や博物館なら、待たせず、お金を支払います。次に行きたい場所まで、タクシー乗り場で、または電話でお願いしタクシーに乗ります。経済的だからです。

 小野川温泉の周辺を散策し、高砂屋をチェックアウト。米沢まで若旦那に送ってもらえました。座席指定の新幹線時刻まで十分に余裕があり、まず1時間のタクシー観光にしました。たまたま1台、駅のタクシー乗り場で客待ちしていました。1時間、名所を案内して欲しい、上杉神社かな、米沢城跡も行きたいな、と運転手さんにお願いしました。

 運転手さんは米沢の歴史にとても詳しい人でした。案内所の人に負けてはいませんでした。彼曰く、上杉家に興味があるなら、まず米澤藩主上杉家廟所は外せない。それから城址公園に行き、駅まで送ろう、と。タクシーに乗らなくても普通の人は歩けるでしょうが、私は坐骨神経痛、妻は膝を痛めていて、歩きは無理なのです。

 私は案内所の男性から仕入れていた知識と、昔、映画で見た忠臣蔵や上杉謙信の話を組み合わせ、いろいろ質問しました。彼は何でも面白く答えてくれました。彼曰く、このような御廟所は日本に二か所しかなく、他には毛利家の御廟所だけだそうです。いつか行ってみたいと思っています。私の祖先を裏切って、家を乗っ取った家の御廟所、まんざら他人とも思えません。(笑)

 運転手さんもでしたが、意外だったのは、米沢の人は吉良上野介がとても優れ者、幕府の時の重鎮に嵌められて、悪人とされてしまった、と思っているようです。なるほど、よく考えてみたら、浅野家と上杉家を喧嘩させ、悪者にして、何れかをとり潰し、その禄高を自分の好きにしたい、幕府の財政の足しにしたい、そんな陰謀があったのか、と思えました。昔から何故か、私は上杉謙信上杉鷹山が好きでした。上杉家の御廟に訪れられて、鷹山のいろいろな言葉や施策や実績の跡をたどり、上杉家の歴史にも虚実があったことを知りました。歴史も虚実同根です。歴史の勉強は人生を豊かにしてくれるでしょう。

 御廟に到着。運転手さんは一緒に御廟に入り、ゆっくりと、いろいろ説明してくれました。いや面白いのなんのって。面白いと感じられるのは知識、知識は財産です。お金以上の財産でしょう。知識は知識の財産をさらに得られます。学校の勉強は、旅行を楽しむ基礎手段でしょう。

 見ただけでは、分からない、代々のお殿様のお墓の違い、各時代の一人一人の御霊屋の違い、違いが生む耐久年数の違いなどなど、タクシー運転手さんの説明は確かに面白いです。しかし、その説明に興味を持てるかは知識次第です。私は会社経験もあり、藩の財政状況すら伺い知ることができました。私にとって温泉見学旅行が面白いのは、学校の基礎知識があり、社会に出ていろいろ経験しているからでしょう。

 歴史に興味がある人には本当に面白い町です。でも、ぼけ老人は上手く説明できず、間違ったことを書きかねません。ぜひ皆さんも米沢のタクシー観光をしてください。情報は足で稼ぐものですし。

 今日はここまでにします。

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土手の桜と丘の苗桜

2016-08-02 12:33:35 | Weblog

 こんにちは。

 小野川の見聞録の続きです。朝、4時前、暗いうちに部屋の露天風呂で温泉治療、肌寒い気温。でもあつめのお風呂にあっていました。出るころにやっと明るくなってきました。涼んで、部屋の椅子でマッサージ。朝食まで、ゆっくりとできました。

 朝食前後にまたお風呂に入りました。チェックアウトまで周辺散策。河原の桜を見に行きました。小野川の土手は蛍の名所でもあります。生息する蛍は源氏ボタル、平家ボタル、ヒメボタルの3種類。3種類が同時に見られる、世界でも日本でも稀な土地だそうです。いいえ世界にただ一つの場所かもしれません。それぞれの蛍の説明を受けたはずですが、忘れました。来年、6月から7月の蛍の見頃の時期に行くつもりです。それぞれを説明するつもりですが、あてにはできません。

 小野川は水が澄んでいます。旅館も町も皆さん清掃に心がけているから水が綺麗で今も蛍がいるのでしょう。そう言えば、私の小学校の時、成城学園の敷地を流れる川に蛍が住んでいました。今はコンクリートの大きな側溝と言うべき川になりました。私は蛍が見たくてメコン川に観光旅行にいきました。

 小野川には今も蛍がたくさん飛ぶ、綺麗な水、環境。幼虫生息に適した、湿地帯。凄いことだと思います。蛍祭りのそのころは、川岸にある小野小町の入った露天風呂も夜までオープンし、催しがあり、お酒おつまみの販売もあるようです。でも環境が保全されている、凄いところだと思います。露天風呂に入りながら蛍を鑑賞できるなんて、日本の良さを再認識できそうです。

 今回は桜の季節、朝日に映える川岸の老桜、満開でした。素晴らしい眺めでした。小町の湯から土手沿いを歩いて、塩田跡に行きました。小野川観光のホームページ紹介があります。詳しく塩田の説明や、小町の謂れがある遺跡があります。30分ほどでも回れるようです。でも、お土産屋さんや食べ物屋さんによると時間はかかります。川岸の休憩場所までビールとおつまみの出前もしてくれるようです。

 塩田周辺の桜を見て、まだ時間に余裕があり、丘の上の桜の公園を目指しました。足が痛いのに、頑張って小高い丘まで登りました。この公園はまだできたばかりのようです。桜の苗木がたくさん植えられていていました。お弁当を食べられるベンチなどがしつらえてありました。数年経つと、花見の名所になるでしょう。

 この桜の公園は公園だけ。道の駅などないのが良いのでしょう。小野川の土手の桜を見降ろせる場所。桜で人を呼び込み、既存の食事場所やお土産屋さんや温泉旅館を利用する人が増えそうに思えました。旅館組合や観光協会、はたまた小野川温泉観光協議会が良く考えて、上手く、村おこしをしていると感じました。高砂屋の若旦那も貢献しているのかもしれません。

 小野川や米沢は歴史、食べ物だけでなく、一番大事な人の和があると感じました。天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず。孫子の兵法か忘れましたが、まさに天地人そろった土地なのでしょう。アイベッチユー、です。

 今日はここまでにします。

 

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ステーキとすき焼きを堪能

2016-08-01 04:05:41 | Weblog

 おはようございます。

 運転手さんの若女将と小野小町などの話を楽しんでいるうちに小野川温泉に到着。高砂屋は新装したてのような旅館に、昔の湯屋の趣がありました。チェックインし、部屋に案内してくれて、お風呂の説明など親切にしてくれたスマートな男性が、後程、部屋の係の者が挨拶に来ると言いました。

 翌日、送りの運転手をこの人がしてくれて、車中で雑談し、分かったことですが、この人が若女将の旦那さん、若旦那。米沢駅まで送ってくれました。良い人が来てくれて良かったですね、普通の人ではなかなか若女将はできませんよ、素晴らしい、と言ったら、何と彼はサラリーマンをしていたが、跡取り娘と結婚し、脱サラして旅館の経営をしているそうです。高砂屋の未来は明るいです。

 話を戻して、私たちは早速温泉で汗流し。部屋のお風呂は大きな木の桶に熱めのお湯、24時間、湯治にぴったりでした。湯上りに部屋の無料マッサージチェアでゆっくりできました。

 しばらくして、ノックがあり、ドアーを開けました。とても若い女性が二人、可愛い作業着物で立っていました。若くてびっくりしました。昭和の良き伝統の残る外観なのに、昭和とは程遠い仲居さんが二人もいたからです。

 とりあえず私も正座し、挨拶。お若いですね、と私が言いました。どうやら今年勤め始めた新人のよう。しかも二人は高校の同級生の、仲良しのよう。二人で一緒に勤めはじめました、と言いました。一人がほとんど会話をして、もう一人はニコニコしていました。

 話す人はとてもはきはきして滑舌がなめらか。頭が良く回るのでしょう。おまけにびっくりするくらいの綺麗な娘さん。一方の人はニコニコとおっとりしたふっくらとしたタイプ。負けずに素敵な娘さん。

 会社の採用面接なら、多分、どんな会社でも即合格点でしょう。ついつい色々話をてしまいました。ますます、夕食が楽しみになりました。晩御飯は二人がお給仕でしょうから。

 夕食時間になり、彼女らが御膳を運んできました。イワナもあればすき焼きもありました。土地の野菜料理もある立派なメニュー。板前は若女将のお父さん、若旦那が渉外担当のようです。付き合いも大変でしょう。廊下や部屋の生け花はお母さん、女将がしているようです。隅々まで目が届いて、廊下も飾られています。

 一家の経営する旅館に新しい戦力の高卒の二人が来たのでしょう。こんな素晴らしい経営者家族がいるのだから、きっと二人は素敵な仲居さんに育つことでしょう。新人は指導者と経営者次第で成長するものです。彼女らはきっと良い仲居さんに育つかも。または引き抜かれて嫁さんにされてしまうかも。再会を楽しみにして、毎年来たい旅館です。私は必ず再訪します。

 なお、旅館のうたい文句は、米沢牛のステーキとすき焼きが食べられる心身美しくなる湯、私が創りました。食べきれない様な大きさのステーキ、200グラム以上かも。山菜付きのすき焼きです。黒毛和牛好きにはたまらない旅です、旅でした。黒毛和牛さんの成仏を祈って、南無阿弥陀仏。

 今日はここまでにします。

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