【子どもの声を引き出すは、教師の指揮である】
卒業式の中での合唱、例えば校歌や別れの歌など、多くの学校では子どもが指揮をすることがある。もちろん子どもの主体性を考えて等のことであろうが、私は反対である。児童集会など子どもが中心となる行事では子どもが指揮をするのはいいでしょう。
なぜ、教師が指揮をすべきか下記のことからである。
私は合唱の指揮は、子どもの前に立ち三拍子は三角に、四拍子は四拍が分かるように指揮をすればよいと思っていた。しかし、あるとき講師の先生から次のような指摘を受けた「そんな指揮では、子どもは指揮者を見ないで、窓から外の景色を眺めていても歌えます。それは、その曲自体が三拍子なり、四拍子でできているからです」と、私はドキッとした。言われてみればまったくそのとおりだからであった。
合唱の指揮というものは、子どもの声を引き出さなければならない。そのためには、「子どもが発声しやすいように」「歌うときに身体が自由に使えるように」「歌詞の内容や曲のイメージを子どもに伝わるように」することである。そのためには指揮は、腕だけでなく全身を使ってやらなければいけない。場合によっては指揮者は、前後左右にも移動しなければならない。指揮者は、曲の構想をしっかり持って、何回も練習をし、子どもの前に立たなければならないと教えを受けた。
私を含めて多くの教師、音楽専科の教師さえも「これは、何拍子の歌だから腕をこのように振ればいいよね。」と形式的に考えていなかったであろうか。
指揮は難しいのである。従って教師でもなかなかできないものである。ましてや子どもの声を豊かに引き出すには、子どもが指揮をするのは無理であろう。
※第91回「浜松授業研究の会」は4月13日(土)9:00~12:00
場所は浜松市天竜区「天竜壬生ホール」の2階会議室です。多くの参加者を願っています。
※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。
卒業式の中での合唱、例えば校歌や別れの歌など、多くの学校では子どもが指揮をすることがある。もちろん子どもの主体性を考えて等のことであろうが、私は反対である。児童集会など子どもが中心となる行事では子どもが指揮をするのはいいでしょう。
なぜ、教師が指揮をすべきか下記のことからである。
私は合唱の指揮は、子どもの前に立ち三拍子は三角に、四拍子は四拍が分かるように指揮をすればよいと思っていた。しかし、あるとき講師の先生から次のような指摘を受けた「そんな指揮では、子どもは指揮者を見ないで、窓から外の景色を眺めていても歌えます。それは、その曲自体が三拍子なり、四拍子でできているからです」と、私はドキッとした。言われてみればまったくそのとおりだからであった。
合唱の指揮というものは、子どもの声を引き出さなければならない。そのためには、「子どもが発声しやすいように」「歌うときに身体が自由に使えるように」「歌詞の内容や曲のイメージを子どもに伝わるように」することである。そのためには指揮は、腕だけでなく全身を使ってやらなければいけない。場合によっては指揮者は、前後左右にも移動しなければならない。指揮者は、曲の構想をしっかり持って、何回も練習をし、子どもの前に立たなければならないと教えを受けた。
私を含めて多くの教師、音楽専科の教師さえも「これは、何拍子の歌だから腕をこのように振ればいいよね。」と形式的に考えていなかったであろうか。
指揮は難しいのである。従って教師でもなかなかできないものである。ましてや子どもの声を豊かに引き出すには、子どもが指揮をするのは無理であろう。
※第91回「浜松授業研究の会」は4月13日(土)9:00~12:00
場所は浜松市天竜区「天竜壬生ホール」の2階会議室です。多くの参加者を願っています。
※学校・学級づくり、授業づくりに協力します。お声を掛けてください。研修での講話や体験型研修をボランティアで行います。ホームページ「浜松授業研究の会」のお問合せ、ご連絡に記入してください。または、このブログのコメントに記入していただいても結構です。