『漫画を読むと馬鹿になる』とは、幼少の頃そこかしこで真面目に言われてきた
言葉であるが、今や時代遅れも甚だしいと感じるほどに、漫画という作品は
あらゆる方面で評価を得ている。それはそれが言われてきた昔からも変わらないと
感じるが、『闘将!!拉麺男』に関してはそれが当てはまらないと思っていた。
あらゆる内容が無茶苦茶で、力任せとか勢いとかそんなフィジカルなものではなく、
もっとケミカルな、さながら悪夢を見ているかのような訳の分からなさで、作家の
凶気に当てられて読み手までもがおかしくなりそうな逸品である。
しかし最近コミック版『ニンジャスレイヤー』を読むにつけ、あの作品の舞台は
現実の中国の実際の歴史上の時間軸ではなく、ネオサイタマやニンジャスレイヤー
時空上の江戸時代や平安時代のような、空想にも近い別時空のものだと思えてきた。
ニンジャ時空では、その他にもありとあらゆる事象が我々の知っているものと何か違う。
そうなってくると、"拉麺バース"とでも呼ぶべき時空における、悪夢めいたあらゆる
不条理も十分娯楽として許容でき、何なら楽しむことも出来る。
それどころか、同キャラが度々登場するゆでたまご氏の作品をマルチバース的な
繋がりを持っていると解釈することで、更に味わいが増してくる。
絶対にそれは無いだろうという、現実と常識を傍らに置きつつ、それはそれとして
目くるめく空想世界に頭のてっぺんまで浸る。読み物とは元来そういうものであろう。
漫画で日本文化や日本語を学びたいという人にはちょっとお勧めできないが、
そんなフィクションの楽しさや接し方を再認識させてくれた『ニンジャスレイヤー』は
良いものである。
言葉であるが、今や時代遅れも甚だしいと感じるほどに、漫画という作品は
あらゆる方面で評価を得ている。それはそれが言われてきた昔からも変わらないと
感じるが、『闘将!!拉麺男』に関してはそれが当てはまらないと思っていた。
あらゆる内容が無茶苦茶で、力任せとか勢いとかそんなフィジカルなものではなく、
もっとケミカルな、さながら悪夢を見ているかのような訳の分からなさで、作家の
凶気に当てられて読み手までもがおかしくなりそうな逸品である。
しかし最近コミック版『ニンジャスレイヤー』を読むにつけ、あの作品の舞台は
現実の中国の実際の歴史上の時間軸ではなく、ネオサイタマやニンジャスレイヤー
時空上の江戸時代や平安時代のような、空想にも近い別時空のものだと思えてきた。
ニンジャ時空では、その他にもありとあらゆる事象が我々の知っているものと何か違う。
そうなってくると、"拉麺バース"とでも呼ぶべき時空における、悪夢めいたあらゆる
不条理も十分娯楽として許容でき、何なら楽しむことも出来る。
それどころか、同キャラが度々登場するゆでたまご氏の作品をマルチバース的な
繋がりを持っていると解釈することで、更に味わいが増してくる。
絶対にそれは無いだろうという、現実と常識を傍らに置きつつ、それはそれとして
目くるめく空想世界に頭のてっぺんまで浸る。読み物とは元来そういうものであろう。
漫画で日本文化や日本語を学びたいという人にはちょっとお勧めできないが、
そんなフィクションの楽しさや接し方を再認識させてくれた『ニンジャスレイヤー』は
良いものである。