ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

近道は何故近い

2011年07月27日 01時57分14秒 | Weblog
日々のぼんやりとした考え事とかそういうアレです。

Google先生に聞けば何でも教えてくれる世の中になった事とあまり関係は無いのかも
知れないのですが、最近はやたらに『答え』を求めたがる人が多い気がしました。
答えと言うか正解があるようなものなら大して問題にもならず、むしろさっさと
先生に聞いて見つけてしまうのが良いとは思うのですが、答えの無いような、
経験的な物事にすらそれを求めようとする事には、正直大丈夫かと声を掛けたく
なる次第です。
往々にして答えばかりを求める人は、結果を結果としてしか見ていない傾向が
あるようで、その過程も過程としてしか捉えずに、むやみやたらに溜め込んでいく
(そしてそれを誇る)ように感じます。

例えば答えが『8』という問題があったとして、そこに至る過程を4+4と教えた
場合、上記のような人はこの方法でしか答えに到達できない、と思ってしまい、
さりとて他の方法(4×2、16÷2、1+2+2+3等)を教えてもその教えた事を
蓄積していくだけで、どういう仕組みで答えに至るのかという所に目が行きません。
(仕組みさえ分かれば方法を蓄積する意味は無くなる上に、応用の幅が広がるのに)
また、教えられた答え以外の方法は正解ではないと思っているために、本当は
合っているのにスルーしてしまうという事もしばしば起こるわけです。

数字は答えの出やすい問題ですが、これが絵とかスポーツの能力の問題に置き
換わると、なかなかに難しい事になります。でもやっぱり答えばかり欲しがる
人は、そこでも答えを見つけようとします。答えはあるかも知れませんが、個人の
一生ではおそらく探し出せない事がほとんどでしょう。

ゆえに『答えなど無い』と思った方が早く、『以前よりも良くしていく』と考えた方が
確実だなあと、うすらぼんやり思いました。
教える際も、答えではなく今後の向上策を伝え、考えるための方法を教えるのが
より良い手立てのような気がしました。ぼんやり。

コメント
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