美味しいうちに沢山食べようと思って、春雨サラダにも投入。
これは煮込むので、切り干し大根は軽く洗って水けを切るだけ。
人参、しいたけ、ピーマン、茄子などを千切りにしてゴマ油で炒め、
多めの水を足して少し煮込んだら、戻していない春雨を長いまま投入。
春雨が柔らかくなったら、キッチン鋏で食べやすい大きさにカット。
味付けは発酵生姜、ニンニクオイル漬け、醤油など。
美味しいうちに沢山食べようと思って、春雨サラダにも投入。
これは煮込むので、切り干し大根は軽く洗って水けを切るだけ。
人参、しいたけ、ピーマン、茄子などを千切りにしてゴマ油で炒め、
多めの水を足して少し煮込んだら、戻していない春雨を長いまま投入。
春雨が柔らかくなったら、キッチン鋏で食べやすい大きさにカット。
味付けは発酵生姜、ニンニクオイル漬け、醤油など。
友人から美味しそうな切り干し大根を頂いたので、まずは定番のサラダ風。
煮こまないので戻し時間は15~20分。(今回の切り干し大根は40g)
ギュッと絞ることがコツで、青味はキューりでもピーマンでも。
味付けはゴマ油、醤油、酢を各大匙 1くらい。
乾物ですが、意外に賞味期限は短いです。
低カロリー、低糖質! カルシウムやビタミン B1、B2、鉄分、
マグネシウムなどが豊富に含まれている栄養価の高い食材だそうで、
・食物繊維は生の大根の2倍以上!
『リグニン』という不溶性食物繊維が豊富で、便秘改善に効果的
p.155 ダントラとは「己に目覚めるための現実的な方法」であり体系である。
ダントラの特徴の一つは、「頭で理解するのではなく、実行せよ」というように
実践に重きを置く点である。
タントラでは理性に基づいた倫理的な思考には限界があり、自分の体を
p.156 使って得られる理解の仕方があると考える。
そこで実践するのがヨガである。すなわちタントラでは瞑想によって
本源的な自己の探求を目指す。ポリアモリストの中に、嫉妬が生じた時に
ヨガを実践する人々がいるのはこのためである。自分の体を使って、
「今ここ」で起こっていることを感じ、理解し受け入れるための実践。
タントラではそういったヨガ実践こそが、客観的に物事を見極めていく
方法に繋がると考える。(中略)
ここでいう「真の愛」は様々に解釈することができるが、その一つとして
「自己への執着」を放棄したところにある「愛」が考えられる。
タントラにおいて「自己への執着」は「他者への執着」でもある。
なぜなら「他者への執着」-----あの人を所有したい、自分だけの存在で
あってほしいという欲望----は自分を中心として世界を見るときに生じるからだ。
p.157 (中略)タントラの目的は己を中心に世界が展開していると考える
自己中心的な視点を破棄し、宇宙中心の視点に転換することである。
自力整体の創始者・矢上 裕先生は「ヨガと自力整体は全然違うもの」と説明され、
私も長年、そのような解釈を伝えてきました。が、私の中では「根っこは同じ」。
ツボを刺激しながら極限まで伸ばしたり刺激することで、
①自力整体では自分の身体と対話し、不調の原因を探り、刺激します。
②ヨガでは、(多分)同じように自分の身体と対話しながら、一旦、自己を忘れ、
「広い宇宙の中で生かされている自分を発見し、味わう」
ということなら、この二つは限りなく近い存在だと思うのです。
私はヨガを本格的に習ったわけではなく、書物やジムなどで触れただけなので、
上記②は、あくまでも個人的見解です。
今、注目を浴びている「マインドフルネス」に通じるものだと感じます。
私は「タントラ」という言葉の存在は知らなかったのですが、上記の感じ方や
考え方は常に自分自身の中にあって、感謝の念で暮らしてきたような気がします。
2日目は「上高地散策」となっていて、私はむしろこっちが目当てでした。
ところが、、、前夜の花火が9時に終わって、上諏訪から松本までの特急に乗るのが
目茶大変(想像を絶する人波)。カプセルホテルで眠りについたのは夜中の12時半。
夜は9時に寝て、朝5時に起きる私の生活習慣とは、もちろん合わないし、
他の人たちも、「早起きして上高地に向かう」なんて状態ではありません。
そして、この会の特徴(?)として、「エキストラにかかった費用を計算して
立て替えてくれている人たちに適宜、支払う」という作業が、とても長いのです。
細かい計算だし、間違っちゃ困るので慎重になるし、、、で貴重な時間を
駐車場とかコンビニの前で1~2時間も費やしてしまうのです。その後、
沢渡からタクシーに分乗して上高地に入り、河童橋で記念写真を撮ったのは既に2時。
4時には沢渡に戻りましょう・・・・・というプランでは、明神池までも行きつけず、
本当にプラプラして、ソフトクリームを食べるくらいしかできませんでした。
河童橋から見える穂高連峰に、夫と一緒に元気に登ったのはほんの数年前。
コロナ禍の3年間は二人で富士五湖周辺でトレーニング登山を続けていました。
そのコロナが治まり、やっと「モンゴルにでも行ってみよか?」と言っていたのに
あっという間に夫は帰らぬ人に。
大正池は単なる川になってしまい、私の脚力も落ちて、全てが様変わり。
それを嘆いていても仕方ないので、新しい出逢いを楽しんでいるのですが、
こんな懐かしい場所に行くと、50年以上苦楽を共にした夫婦の思い出が沸々。
嫌なこともいっぱいあったけれど、良いこともいっぱい・・・・・
こんな風に思える状態を「シアワセ」というのでしょうか?
8/15~16は社会人サークルメイツの1泊旅行に参加しました。
(7月に行ったモンゴル旅行と同じ主催者です)
1日目は8時に新宿集合。車数台に分乗して諏訪湖に出発。
花火見物の鑑賞席は40人分で、電車で行く人・日帰りの人もあり。
このサークルの特徴は、体育会系の、チャレンジ大好きリーダー・K氏に
とにかく付いていくこと。旅行プラン自体が臨機応変(?)なのです。
花火の観覧席40人分確保から始まり、キャンセルが出れば大急ぎで追加募集。
新しい名案が浮かべば、即変更!なので、出発前日まで
「分からないことがたくさん」。
費用も最初に概算で振り込んだ額の他に、レンタカー代、食事代など、
エキストラにかかる費用が結構かさみます。それでも旅行会社のパックに
比べれば、同等または割安です。何しろ、自家用車を出してくれる人とか
レンタカーを運転してくれる人たちは完全なボランティアですから、
安くなるのは当たり前(?)。
車移動の醍醐味は、同乗した数人が至近距離で色々お喋りできること。
自己紹介から始まって、過去の旅行体験とか、仕事の話とか色々聞けます。
外見からは想像できないような面白い趣味やスポーツを楽しむ人、
元小学校の先生で、現在は旅行業の人など、とにかくバラエティ豊か。
殆ど夫婦でしか旅行したことがない私にとっては、全くの異文化体験で、
新しい友人の輪が広がるのが嬉しいサークルです。
願わくば、もう少し年齢が近い人が多いと嬉しいのですが、
モンゴルと同様に、今回も私が最年長。70代は一人だけでした。
上の図は国際バカロレアの説明に登場する10個の資質です。
https://www.edubal.net/ibdiploma/
ポリアモリーの議論(まとめ)からは少し外れてしまいますが、
「生き方の多様性を認め、正直に議論し、向き合う」という点では同じ。
ところが多くの日本人は、競争を生き抜く知恵と金儲けの教育は受けても、
生き方・人生哲学を深く学んできていないような気がします。
それらは「各自でたくさんの本を読んでゲットするものだ」と言われていますが、
欧米のように、大学入学資格試験に全人的な教養が含まれていれば、
もう少し違ってくるのではないか?と、私は思っています。
しかも、日本では大学進学先を決める際、「私立か国立か」を選ぶだけで、
勉強する範囲がさらに大きく減ってしまいます。例えば国公立受験の場合は
共通テストで、国語、地理歴史、公民、数学、理科、外国語の6教科、
多くの大学が5教科以上を課しているそうです。
ところが私立大の一般選抜は、3教科が基本。
文系学部では英語、国語のほか地歴・公民や数学から1科目選択、
理系学部では英語、数学、理科というパターンが一般的。
だそうです。
当然のことながら(?)多くの高校生が「教科数の少ない私学」を選び
自分が受験しない科目は見事に切り捨ててしまうようです。
(少なくとも私の時代は、そうでした。)
で、人間の資質として重要な、哲学や芸術に親しむ機会を失ってしまう・・・・・
ま、受験勉強と「親しむレベル」には隔たりがあるかもしれませんが、
少なくとも、若い時期に、その概要に触れる体験はするわけです。
良いモノに接すれば、より深く知りたくなって本を読んだり、
体験しに行ったりすることでしょう。だから、教科は多いほど良い?
ポリアモリーに戻って考えると、
多くの人と接し、学び合い、色々な愛し方を経験することは
人間の成長にとって素晴らしいことなので、積極的に取り組みたいものです。
昨日ご紹介した「アメリカの性の抑圧時代」の後、アメリカでは
「性革命」と呼ばれる運動が始まり、性をポジティブに捉える風潮が
登場したそうです。
p.46 性革命が生じた背景には学生運動やフェミニズム、市民権運動の台頭や
ベトナム戦争などさまざまな社会的要因がある。また、経口避妊薬の
発明と普及も性革命の原動力となった。(中略)
また、性は夫婦間に閉じられるべきもの、というこれまでの性規範では
考えられないような現象もあらわれた。例えば婚姻関係のない恋人同士
が共に暮らす「同棲」、夫婦が合意の上でお互いに恋人を持つ
「オープンマリッジ」、夫婦や恋人がパートナーを交換する
「スワッピング」などである。
p.47 また既存の性規範に囚われないヒッピー・コミューンが次々と
形成されノン・モノガミー実践者に対するサポートを目的とした
支援機関も創立されている。
性革命はアメリカの性の歴史に多大なインパクトを与えた。しかし
短命だった。80年代に入ると性の探求者たちは表舞台から徐々に姿を
消し、家庭崩壊を恐れた人々は性道徳の再建を望み始める。さらに
伝統的な性道徳を守ろうとする保守派から性解放派に対する本格的な
反撃が始まっていく。
1980年代初頭に発見された「エイズ」も、こうしたバックラッシュに
拍車をかけた要因となった。60年代から70年代にかけて興隆した
性革命は後退し、人々は保守的な性モラルを解くレーガン大統領とともに
性的秩序の回復に向かっていったのである。
(中略)亀井俊介は一見すると相反するこの二つの側面に
ある一貫した精神が流れていることを指摘している。
p.48 それは「性の現実と真っ向から取り組む精神」、すなわち
「性を直視する伝統」である。つまり、
厳格な性規範を支持する人にも、性の解放を希望する人にも、
性の問題をうやむやにせず、きちんと向き合おうという姿勢が
見られる。こうした性を直視する伝統のあるアメリカにおいて、
ポリアモリー・ムーブメントが現れたことは、不思議なことでは
ないのである。
*****************
「直視する伝統」「うやむやにせず、きちんと向き合うと姿勢」
あ~、何と心地よい響きでしょう!
もちろん、どこかの大統領のように「本音と建て前」が違う人もたくさん
いることでしょう。でも、国民として自分たちの代表(大統領)を選ぶ際、
その人の「人間としての資質」を眺め、隣人同士で議論し合える風土は
羨ましい限りです。
翻って、日本の現状を見ると、日本国の代表(内閣総理大臣)は
「与党の総裁」であって、全国民の代表ではありません。
国民が、どんなに「この賢そう(?)な人に総理になって欲しい」と
切望しても、何の応援もできない、蚊帳の外です。
よく「団塊世代の自虐史観」などと揶揄・非難されますが、
私個人の中では、日本のこういう現状が変わらない限り、
「欧米人の方が賢いわね~」という考えは続くと思っています。
今日は、アメリカでのポリアモリー誕生の歴史的経緯を抜き書きします。
p.43 アメリカはキリスト教国。キリスト教において性は夫婦間に
閉じられるべきものであり、結婚は<一対一>の関係において
互いに忠実であるべきものである。こうしたキリスト教の
性愛倫理に照らすと、ポリアモリーは「正しい愛の形」ではない。
本来、忌避されるべきポリアモリーがアメリカで誕生した背景を
理解するためにはアメリカの性の歴史を概観する必要がある。
(中略)アメリカ文化研究者の亀井俊介の著作を主に参照して行く。
アメリカの起源の一つは、17世紀にヨーロッパから移住し植民地を
建設したピューリタンにある。当時のヨーロッパを堕落した世界と
捉えていたピューリタンたちは、自分たちの理想の共同体を建設する
ため新大陸に赴いた。理想の社会を作るためには、社会の核となる
p.44 家族を理想的なものにする必要がある。そのためピューリタン社会では
婚外交渉は厳しく罰せられ、姦通は死罪だった。快楽を戒め、厳格な
性道徳を揚げていた彼らにとって、性的に堕落していないということは、
自分達が理想に近づいているか否かを図る一つの指標になっていたのである。
19世紀に入ると厳格な性道徳はさらに強く意識されるようになり、性衝動は
抑圧するべきものという気風が社会に定着した。いわゆる「ヴィクトリアニズム」の
到来である。ヴィクトリアニズムにおいて、人前で性的な関心を示すことや
性について語ることはタブー視され、たとえ夫婦間であっても性の話題は
慎むべきものであるとされていた。また性関係を婚姻関係にのみ限定する
ヴィクトリアニズムは、同性愛を禁止し、法的規制を強化した。
その他、妊娠中絶を禁止する法、売春を禁止する法、猥褻な文章を取り締まる
法など、性に対する法律が次々に導入され、性は抑圧されていったのである。
しかし、こうした潮流に対し正面から挑む人々もいた。例えば19世紀中ごろ
から後半に現れたフリーラブ主義者たちである。フリーラブ運動の提唱者の
一人であるヴィクトリア・ウッドハルという女性は「社会的自由」という
演説の中で次のように主張している。
p.45 「私は誰でも愛したい人を愛し、自分に可能な限り愛し、
逆に自分が望むなら毎日その愛を変えるという、
奪うことのできない本質的な自然の権利を持っています。
そしてその権利には、あなたも、あなたの作るどんな法律も
何ら干渉する資格がないのです!」
*****************
おぉ~~、この時代に「こんな正直な、理論的な声明」を出したとは!!
私は拍手喝采をしたいです。しかし、、、
ここまで読んでくると、疑問符が私の脳裏に浮かび、外まで浮遊してきました。
「性衝動は抑圧するべきものという気風」・・・・・???
これ(19世紀のアメリカの思想)って、現代の日本に、しっかり根付いている?
いやいや、トランプ元大統領を筆頭とする現代のアメリカ・共和党の人たちが
必死に推し進めようとしている数々の政策にも通じている???
建前上は、、、ね?
そして実態は、、、ご存じのように、、、政治家も民間人も非常に自由???
私が嫌なのは、「建前(言葉)と本音(やっていること)が違うこと」です。
それは噓つきです。
私がポリアモリーに惹かれるのは、彼らが非常に誠実で正直だからです。
8/6に少しご紹介したポリアモリーという言葉。
日本ではまだ市民権を得ていないと思います。
私は昔、職場にいたフランス人技術者からその概念を聴き、
「なぁ~んて男性に都合のよい考え方!」と仰天した覚えが。
でも、現在は違います。
その理由を書いていきますが、その前に言葉の説明が必要そうです。
①ポリアモリーとは (表紙裏より)
本気で複数の人を愛するというライフスタイル。
不倫とも浮気とも違う、誠実な愛のかたち
②モノガミー (ウィキペディア)
恋愛や結婚において特定の1人とパートナーシップを結ぶことを指す。
一夫一妻制や単婚とも表現される。世間一般的には、
異性同士が一対一で結婚する考え方として知られている。