浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

今日の模型工作

2007年08月15日 20時09分21秒 | 鉄道模型
今日は、仕事が休みだったが、ストレスや疲労で心身とも良くなかった。
それでも、塗りかえ、改造途中のストラクチャーの製作作業と、塗りかえをしたトラックコレクションの色入れを行なった。
改造途中のストラクチャーは、トミーテックの街並みコレクションのビルで、ビル本体の円筒型部分は、塗りかえしたものの色が落ちた箇所を、タッチアップした。タッチアップは、塗装に使ったのと同じスプレー塗料を蓋に噴出し、面相筆で、色をのせていった。
並行して、看板の製作作業を行なった。看板は、角型の建物壁面に直接取り付けるものと、屋上に取り付けるものがあり、前者は、パソコンで作成した看板を0.5mm厚のプラシートに貼ったものを建物に貼り付けただけだが、後者は、エバーグリーンの1.0mm×1.0mmの角棒を使うなどして、屋上設置の看板を作り、裏面や脚などを塗装した。塗装は、GMの白3号の筆塗りである。筆ムラが目立たなくなるまで、何度かに分けて塗った。乾燥すると、ゴム系接着剤で、屋上に取り付けた。
円筒型建物の入口のテント部分も、既に塗りかえた上に、自作のレタリングを貼り付けていたが、本日は、つや消しのクリアを吹く作業をした。
乾燥後、建物に取り付けた。
すべての塗装や追加加工を終えた建物のパーツをすべて組み立てて、ビルは、完成となった。
ビルの名前は、「堀北屋ビル」。もちろん、架空のビルである。ネーミングの由来は、適当に想像してください。
それ以外には、トラックコレクションの灯火類やナンバープレートに色入れをする作業をした。
灯火類は、すでにエナメル系のクロームシルバーを色入れしていたので、ブレーキ灯はクリアレッドを、ウインカーはクリアオレンジを、フォグランプはクリアイエローを重ね塗りした。
ナンバープレートは、営業用と想定しているアルミバン(ベースはふそうFUだが、キャブは日野に交換済み)は、水性塗料のグリーンで、自家用と想定しているミキサー車(ベースは日野だが、キャブはふそうFUに交換済み)は、エナメル塗料の白で塗装した。
こうして、キャブ交換と塗りかえをした2台のトラックは、完成となった。
まあ、なんと、長い日数がかかったこと…。


完成したビル
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兵庫県の駅トイレ取材

2007年08月12日 20時54分43秒 | トイレ
昨日、11日は、鉄道写真撮影のついでに、駅トイレをいくつか取材した。
まず、JR山陽本線の垂水駅。そこは、改札内にあり、男女別の水洗式で、ペーパーが設置されていた。また、身体障害者用個室も設置されている。
そのあと、須磨駅のトイレを取材するつもりだったが、トイレの入口付近に人が群がっていたので、中止した。
次は、三木鉄道の別所駅を取材した。
そこは、昨年の10月に取材した場所だが、せっかく訪れたので、再取材をした。
昨年と変わらず、個室は閉鎖されていて使用できず、壁式の男性用小便器も、とても使う気になれない状態である。利用するには適さないだろう。
そのあと、三木鉄道の石野駅を取材した。
そこは、昨年の7月に取材したことがあるが、今回再取材した。
前回は、個室は、目も当てられないくらい酷い状態のブラックホール便器を確認したが、今回は、個室は閉鎖されていた。
小便器は、壁式で、状態が酷く、使う気にはならないだろう。
もはや、トイレとして利用するには適さない。
その次は、加古川線の神野駅を取材するつもりだったが、改札内しか利用できないため、取材は中止した。
そして、そのあと、加古川線の日岡駅のトイレを取材した。
男女共用の汲み取り式で、ペーパーは設置されていなかった。
以上が、その日のトイレ取材内容である。
いずれも、写真撮影のほか、便器数などのメモを取った。
後日、ホームページに内容を掲載する予定である。
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兵庫県で鉄道撮影

2007年08月12日 20時44分08秒 | カメラ・写真
昨日、11日は、午前2時半頃、愛車で兵庫県神戸市へ向かった。
もちろん、愛機を積んでからである。
24時間営業のセルフスタンドで給油をした後、車を東へ向かって走らせた。
備前市三石で国道2号線に入り、兵庫県へ入った。
そして、たつの市で太子竜野バイパスに入り、姫路バイパス、加古川バイパス、第2神明道路を通り、神戸市垂水区の名谷インターで、一般道路へ降りた。そして、南下し、垂水駅前のコインパーキングに駐車した。
撮影場所は、須磨区の須磨駅付近だが、垂水駅付近のほうが、駐車場が充実している。
垂水駅に入ると、須磨までの切符を買って、改札を通り、駅トイレを取材した。
そのあと、高架の島式ホームに行き、快速電車に乗った。
列車は、223系の12両編成だった。土曜日のせいか、比較的空いていた。
電車は、塩屋を通過し、須磨駅に停車した。
須磨駅で下車すると、改札の外に出て、駅前から、国道2号線の歩道を歩き、神戸市営バス転回場の向かい付近で、カメラと三脚をセットした。
そこは、海をバックに、複々線の山陽本線がS寺カーブを描いているところで、上り列車を撮影するのに適している。
その日は、晴天なので、写真撮影にもってこいだった。
わたしが着いたときには、すでにカメラを構えたファンが1人いたほか、そのあとにも、もう1人ファンが来た。
時刻は、6時台。
目的の列車は、上り寝台特急『あかつき・なは』である。
関西地区と九州を結ぶブルートレインは、列車削減の影響で、『あかつき』と『なは』のみとなり、本州では、2つの列車が併結運転となっている。
そのブルートレインも、この先がいろいろ噂されているので、少しでも、いろいろな場所で写真に撮って残したいと思った。
そのブルートレインが来るまでの間、207系や321系の普通列車、221系や223系の快速列車を次々と撮影した。
そして、一番の目的であるブルートレイン『あかつき・なは』が、予定時刻より10分ほど遅れて近づいてくると、フィルムに収め、まもなく撤収した。
それから、須磨駅に戻り、下り電車で、垂水に戻ることにした。
乗車した電車は、321系の普通列車である。
列車は、塩屋、垂水の順に停車した。
垂水駅で降りると、改札の外に出て、車に戻った。
そのあと、国道2号線を西に走り、明石市に入ってまもない場所にあるファミリーレストランで、朝食をとった。
そのあと、明石市内を走り、国道2号線から国道175号線に入ると、三木市に向かって走った。
途中、神戸市西区では、渋滞にかかった。
三木市に入ると、三木鉄道の線路に向かって走った。
廃止が決定している三木鉄道の撮影をするためである。
最初は、西這田駅に近い場所に駐車し、西這田~石野の駅間で下り121列車を撮影した。
緑色の田園の向こうをレールバスが走る姿を撮影した。
そして、次は、別所とれとれ市場という、地産野菜を中心に販売している店で、買い物をしたあと、付近で、上り122列車を撮影した。それも、田園の中を走るレールバスの姿である。
そのあと、別所駅に行き、トイレ取材をしたあと、石野駅へ行き、そこでもトイレを取材した。
それから、石野~下石野の第4種踏切の付近に行き、上り124列車を撮影した。それも、レールバス単行の列車である。
それをもって、その日の三木鉄道の撮影は終了した。
そのあと、加古川線の日岡駅のトイレを取材して、帰路についた。
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愛車を洗車

2007年08月10日 20時28分32秒 | マイカーライフ
今日の夕方は、しばらくぶりに愛車EDの洗車をした。
今回は、マット清掃などは行なわず、車体外部のみの洗浄をした。
ホースで水を流しながら、スポンジで、軽くなでるようにして、車体の汚れを落としていった。
そのあと、ガラスや灯火などを、濡らしてしぼった雑巾で拭いた。
こうして、ブラックEDの姿がよみがえった。
きれいになった愛車で、外出したいと思う。
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右側から信号無視したBMW

2007年08月10日 19時54分45秒 | 交通マナー
今日の午後5時半過ぎのこと、わたしは、岡山市街地の城下筋を北へ向かって走っていた。
新鶴見橋方面への道路に入るT字路に近づいていたとき、信号が黄色に変わったので、急ブレーキにならずに停止すると、右側の車線から、突然、黒っぽいBMWが、突然加速し、信号が赤に変わったT字路を新鶴見橋方面へ右折していった。
その場所は、左折(裁判所、国道53号線方面)1車線と、右折(新鶴見橋方面)2車線の構成で、わたしは、左側の右折車線にいた。なお、城下筋への信号機には、右折矢印灯はない。
そのBMWは、完全な信号無視である。
先行していたわたしの車が、十分停止できたのだから、そのBMWは、確実に停止できたはずである。
きちんと止まった車を追い抜いて、信号無視する車、岡山では珍しくない。悲しいことである。
そういう輩は、なんのための信号かわかっているのだろうか?
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更新情報

2007年08月08日 19時22分15秒 | マイ・ホームページ
本日、マイ・ホームページを更新しましたので、お知らせします。
更新内容は、リンクを1件追加したことです。
追加させていただいたサイトは、
車を知る~車の知識」です。

今後も、浜崎ヒカル交通館及び、リンク先各サイトを、宜しくお願い申し上げます。
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比叡、大津方面へ旅行

2007年08月04日 18時58分24秒 | Weblog
今月の1日と2日は、1泊2日の旅行に出かけてきた。
行った場所は、滋賀県の比叡山と、大津市内の西国札所である三井寺と石山寺である。
7時ごろ、マイカーに旅行の荷物を積んで、熊山駅へ向かった。
熊山駅の無料駐車場に止めると、荷物を持って、駅に向かって歩いた。
そして、18切符に日付のスタンプを押してもらうと、1番ホームに入り、列車を待った。
7時32分発の1302Mが入線すると、最後部の車両に乗った。列車は、115系更新車の4両編成で、乗車車両の車番は、クハ115-1241である。
列車は、和気、吉永、三石、上郡、有年、相生、竜野、網干の順に停車した。
列車の行き先は、姫路だが、網干で下車し、3番ホームへ移動した。
3番ホームには、3434M新快速が入線する。新快速電車のドアが開くと、進行方向右側の座席の窓側をゲットした。新快速は、速達性などから、人気の高い列車で、折り返し駅や始発駅では、座席争奪戦が起きる。
その新快速電車は、223系の8両編成で、わたしが乗った車両は、クハ222-1011だった。最後部の車両である。その車両は、トイレがついているうえ、弱冷房なので、わたしは、東海道・山陽本線の列車に乗るときには、できるだけ、下り先頭車(上りなら最後尾)を選ぶことにしている。
新快速電車は、英賀保、姫路、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎、大阪、新大阪、高槻、京都の順に停車した。
その間、車窓からは、明石海峡や、東寺の塔などが、目に入った。
京都に到着すると、新快速を降りて、奈良線ホームへ向かった。
乗車したのは、10時23分発の1625M普通列車、城陽行きである。列車は、黄緑色の103系の4両編成で、わたしが乗車したのは、先頭のクハ103-224だった。
列車は、京都を出ると、右に大きくカーブしながら、東海道本線と分かれて、まもなく東福寺駅に停車した。
東福寺駅で、京阪電車に乗り換えるために、下車した。
東福寺からは、京阪の普通電車に乗車した。1000系電車で、車番は1504だった。
電車は、東福寺を発車後、まもなく、地下へ入った。
七条駅に停車すると、普通電車を降りて、後発の特急電車に乗り換えた。
特急電車は、8000系で、わたしは、先頭の8009に乗った。クロスシートが並ぶ車内は、特別料金不要車両としては、かなりグレードが高い。
終点の出町柳に到着すると、エスカレーターなどで地上に出て、地上にある、叡山電鉄の出町柳駅の改札を通った。
そして、11時7分発の八瀬比叡山口行きに乗車した。単行運転用の700形電車で、もちろん、ワンマン運転である。車番は、711だった。
電車は、出町柳を出ると、家屋の裏をゆっくりと走っていった。途中の駅も、ホームのみの簡単な造りで、駅というよりも、停留所と呼びたくなる感じだった。
宝ヶ池で鞍馬方面の路線と分かれて、電車は、山へ向かって走っていった。
終点の八瀬比叡山口に到着すると、少し歩いて、ケーブルカーの駅に向かった。
乗客は少なかったが、マウンテンバイクを持ち込んで乗車していたグループがいた。
ケーブルカーの先頭に、女性乗務員が乗って、発車の合図を出していた。
ケーブルカーは、比叡山へ向かって、発車した。
女性乗務員は、比叡山やケーブルカーについて、案内放送もしていた。
ケーブルカーが、山上の比叡駅に到着すると、ロープウェイに乗り換えた。
ロープウェイは、徐々に高度を上げていった。
霞んでいたものの、遠くの山々や、京都盆地の街並みや集落などが、ミニチュアのように見えた。
ロープウェイが比叡山頂駅に着くと、しばらく歩き、比叡山頂のバス乗り場へ向かった。
そこからは、京阪バスが運行している、比叡山シャトルバスに乗車した。
バスは、エアロスターのワンステップで、車番は、京都200か1324だった。
バスは、ドライブウェイを走っていった。
車窓からは、琵琶湖や大津方面が見下ろせた。
比叡山バスセンターに着くと、大きな荷物をコインロッカーに預け、食堂で昼食ととってから、延暦寺の境内へ入った。
延暦寺は、東塔、西塔、横川の3塔に分かれていて、比叡山バスセンターのそばにあるのは、東塔である。
入ってすぐのところにある国宝殿で、仏像や経文などを拝見した後、大講堂、根本中堂、文殊楼、大書院を拝観した。
そのあと、自然歩道を歩き、西塔の釈迦堂などを拝観した。
それから、横川へ行く予定だったが、東塔だけで、予想以上に時間を費やした上、体調が悪くなったので、中止して、西塔バス停から、比叡山バスセンターへバスで戻った。乗車したバスは、エアロスターで、京都200か1068だった。
比叡山バスセンターで、土産を買って、荷物を取って、トイレへ行った後、比叡山頂行きのバスに乗った。そして、トンネルを抜けて、すぐのところにある、東塔バス停で降りた。極僅かな距離にも関わらず、バスに乗ったのは、その道路は、歩行者は通行できないからである。
バスを降りた後、坂本ケーブルのケーブル延暦寺駅へ向かって、1キロほど歩いた。
途中、琵琶湖を見下ろす位置で、写真撮影もした。
ケーブル延暦寺駅に着くと、ケーブルカーを1本見送って、付近で写真撮影したりした。
坂本ケーブルの駅は、国の有形文化財の指定を受けている。大正時代から、比叡山への多数の観光客や参拝客などが、利用した駅舎である。
駅からは、琵琶湖や大津市内を見下ろすことができた。
17時00分発のケーブルカーに乗り、ケーブル坂本駅に着くと、本来は、京阪坂本駅まで、歩く予定だったのだが、疲労や体調不良のため、バスに乗ることにした。
江若バスの小型バスで、ナンバーは、滋賀200か263だった。
バスは、日吉大社などの前を通り、坂を降りて、まもなく、京阪坂本駅前へ到着した。
バスを降りると、京阪の切符を買い、改札を通って、停車中の電車に乗った。
電車は、700系の2両編成で、わたしは、先頭の706に乗った。
途中の三井寺駅を出ると、あの有名な併用軌道を通り、浜大津駅に到着した。
浜大津で電車を降りると、大津港へ向かって歩いた。
その日は、琵琶湖大津夏祭りが開催されていた。
それから、宿泊するホテルである、ブルーレーク大津に向かって歩き、チェックインした後、外出した。
そして、祭りの会場を少し見学して、夜店の料理を食べた後、近くのショッピングモールのレストラン街で、夜食をとった。
暗くなると、祭りの会場や、バックの琵琶湖の噴水などが、カラフルにライトアップされた。
ホテルの部屋は、10階の琵琶湖側で、琵琶湖や祭りの会場などを、部屋から眺めることが出来た。
翌日、ホテルで朝食をとった後、チェックアウトをした。
そして、浜大津駅から、坂本行きの電車に乗り、次の三井寺駅で降りた。
三井寺駅から、三井寺へ向かって歩いた。
重い荷物を持って、坂を登ったので、肩が痛くなった。
三井寺駐車場付近の土産店で、不要な荷物を預かってもらった後、境内を歩いた。
仁王門を通った後、釈迦堂を参拝して、それから、金堂へ行った。金堂は、屋根を大掛かりな工事していた。
そばには、三井の晩鐘があった。
そのあと、三重の塔や、一切経蔵なども拝観した。
そして、微妙寺を拝観し、さらに歩いて、一番の目的の観音堂へ向かった。
観音堂の前では、大津市街や琵琶湖を眺めることが出来た。ただ、その日は、写真日和ではなかったが。
観音堂は、西国第14番札所である。参拝をしてから、納経帳に墨書きと朱印をしてもらった。
それから、観音堂をあとにして、水観寺、護法善神堂を参ったあと、駐車場の土産店へ戻った。土産物などを買った後、荷物を取って、三井寺をあとにした。
そして、三井寺駅に向かって歩いた。
駅に着くと、今度は、石山寺行きの電車に乗った。
列車は、600系の2両編成で、わたしが乗車したのは、先頭の608だった。
三井寺を出ると、すぐに併用軌道を走り、浜大津からは、再び専用軌道に入った。
電車は、家々の間を走っていった。
急カーブが多く、電車は、かなりゆっくりのスピードだった。
JR東海道本線をまたいだ後、京阪石山に到着し、発車すると、急カーブで、JR線から離れ、石山寺駅を目指していった。
終点の石山寺駅に着くと、不要な荷物をコインロッカーに預けて、改札を出た。
そして、石山寺を目指して、瀬田川沿いを歩いた。
途中の大衆食堂で、昼食をとった。そこでは、名物のしじみ丼を頂いた。
そして、石山寺に着くと、東大門をくぐり、しばらく歩いていった。
途中の建物で、源氏物語に関する絵画などの展示販売を行なっていた。
原画などは、数十万円するので、手が出ないが、絵葉書のセットを購入した。
それから、境内の奥のほうへ向かって歩いた。
石山寺の境内には、花がきれいな庭園が整備されているが、その時期は、特に何も咲いていなかった。
それから、本堂へ向かって歩いて、観音堂、毘沙門堂などをお参りした後、本堂を参拝した。
そして、そこでも、納経帳を出した。
そう、石山寺も、西国の札所で、番号は、13番である。墨書きと朱印をしてもらうと、本堂をあとにして、多宝塔の付近などを歩いてまわったあと、石山寺をあとにした。
そして、門の前の土産店で買い物をしたあと、瀬田川沿いの来た道を引き返して、駅へ歩いた。
石山寺駅に戻ると、改札を通り、コインロッカーの荷物を取って、電車に乗った。
列車は、700系の2両編成で、わたしは、先頭の709に乗った。
京阪石山駅に着くと、電車を降りて、隣接するJR石山駅に行ったが、まだ時間があった。
駅のなかのベーカリーカフェで時間をつぶしたあと、改札口で、18切符に日付を押してもらったが、それでも予定より早いので、予定より早い3475M新快速、姫路行きに乗った。
223系の8両編成で、わたしが乗ったのは、先頭の車両である。車番は、クハ222-1011だった。前日乗った車両と同一の車両である。
新快速は、大津、山科、京都、高槻、新大阪、大阪、尼崎、芦屋、三ノ宮、神戸、明石、西明石、加古川、姫路の順に停車した。
新快速を降りると、高架ホームの上にある立ち食いそばの店で、名物の駅そばを食べた。
それからも、時間はかなりあるが、姫路から乗車の下り山陽本線普通列車の席を確実にゲットするために、早めに並ぶことにした。
姫路から乗車したのは、18時6分発の普通列車、三原行きである。
列車は、4両編成で、115系の更新車だった。わたしが乗ったのは、先頭車両で、車番は、クハ115-1068だった。
県境を越えて、最初の駅である三石までは、順調だったが、三石と吉永の間で、突然停車した。車掌の車内放送では、信号待ちということだったが、なかなか出発しなかった。そして、台風のために、徐行運転するという知らせの放送があった。
列車は、ゆっくりゆっくりと進んでいった。
大幅に遅れて、吉永駅に停車した。それから、なかなか発車しなかった。台風のため、すぐに発車できなかったらしい。停車中、運転士に問い掛けていた乗客もいた。
吉永発車後も、安全のため、徐行運転を継続した。
そして、和気に停車し、発車したあとも、徐行運転をし、熊山に大幅に遅れて到着すると、列車を下車した。
そして、駐車場の愛車に戻ると、帰路についた。
ああ、なんとか、帰れてよかった。


比叡山から見た琵琶湖


比叡山から見た大津市街


ケーブル延暦寺駅


びわこ大津夏まつり


石山寺多宝塔
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