浜崎ヒカル交通館ブログ

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1泊2日の岐阜旅行(その6)

2024年08月23日 14時13分24秒 | Weblog
今さら、4月のことを記事化してすみません。

4月20日の昼の12時半頃、わたしと母親は、岐阜県の揖斐川町にいた。
谷汲山華厳寺を参拝し、昼食をとったあとである。
揖斐駅行きのバスが谷汲山バス停を通るのは、14時36分で、まだまだ時間があった。
そこで、谷汲山華厳寺の参道の入口から離れて、歩道を少し歩いた。
すると、名古屋鉄道の谷汲駅跡に着いた。



かつて、名古屋鉄道が運営していた谷汲線の終着駅である。
谷汲線は、1926年に開業し、2001年に廃線になった。



廃線時の駅舎やホームなどが残されていて、車両も2両、静態保存されている。











駅舎には、谷汲昆虫館が併設されていて、わたしたちは、昆虫館にも入館した。

昆虫館では、岐阜県の昆虫に関する展示がされていたほか、館内の1つの部屋には、Nゲージのレイアウトが設置されていた。





特定の日のみ、運転が行われるそうだが、その日は運転日ではなく、Nゲージレイアウトの部屋には、人の姿はなかった。

昆虫館をあとにすると、谷汲山バス停に戻ったが、まだかなり時間があった。
長い間、バス停の待合所で過ごしたあと、14時36分発の揖斐駅行きのバスに乗った。
白ナンバーのマイクロバスである。

バスが養老鉄道の揖斐駅に到着すると、下車して、揖斐駅で、大垣駅までの乗車券を買って、改札を通った。



そして、15時15分発の大垣行きの列車に乗った。



その列車は、2両編成のワンマン運転だった。
わたしたちは、先頭の車両に乗車した。
車番は604だった。

2両編成の列車は、揖斐駅を発車すると、終点の大垣駅まで各駅に停車した。
大垣駅に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、JRの駅に行き、コインロッカーに預けていた荷物を回収したあと、JRの改札を通った。
JRの大垣駅からは、16時11分発の5344F・新快速の豊橋行きに乗車した。





その列車は、313系電車の6両編成だった。
わたしたちは、最後尾の車両に乗車した。
車番はクハ312-404だった。

新快速電車は、大垣駅を発車すると、穂積、西岐阜、岐阜の順に、岐阜駅までは各駅に停車した。
停車駅ごとに、車内の混雑が増してきた。
岐阜駅を発車すると、名古屋までは、途中の停車駅は尾張一宮のみである。
16時44分頃、新快速電車が、名古屋駅に止まると、下車して、新幹線乗り換え口を通った。
しかし、乗車予定の新幹線まで、時間がかなりあったので、しばらく、待合室で過ごした。
交代でトイレに行ったり、駅弁などを買ったりした。
新幹線は、指定席のキップを買っていたので、万が一、それに乗り遅れると大変なことになる。
そうならないように、余裕を持って、予定を立てていた。

18時頃、わたしたちは、下りの新幹線ホームに上がった。
そして、18時10分発の「のぞみ49号」に乗車した。
わたしたちは、6号車に乗車した。
普通車指定席の車両である。
座席に座り、しばらくすると、駅弁を食した。
新幹線「のぞみ49号」は、名古屋駅を発車すると、京都、新大阪の順に停車した。
新大阪では、乗務員がJR東海からJR西日本に交代した。
JR西日本では、2023年の7月から、乗務員の氏名放送を取りやめているらしく、新大阪発車後も、かつては行われていた運転士と車掌の氏名放送はなかった。
新大阪では、わたしたちが乗っていた6号車も、乗客が多く入れ替わった。
土曜日のせいか、ビジネスマンらしい感じの人はほとんどいなく、観光旅行帰りと思われる人が多かった。
新大阪駅を発車した「のぞみ49号」は、新神戸、岡山の順に停車した。
岡山駅に止まると、下車して、改札の外に出た。
その頃、岡山駅周辺は雨が降っていた。
岡山駅から出ると、駅前のバスターミナルに行き、路線バスで帰路に就いた。

こうして、西国三十三箇所満願目的の旅行を終えることができた。

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