蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

無双  妙高市

2013-05-14 22:17:54 | 蕎麦
国道18号線沿いにあるお店で、この土地らしい平打ちの蕎麦を、気取らない雰囲気で食べさせる。そのバランスが微妙である。
例えば、連休で最中でいわゆる有名店には人が集まり過ぎて嫌な雰囲気になるような時でも、このお店の中の空気は普段と変わらない。


席に着くとお茶と野沢菜が出てくる。野沢菜は本格的で、なかなか美味だった。


天もりを注文。
蕎麦徳利の姿や、薬味のワサビの様子などにこのお店の気取らない感じが見て取れる。
しかし、天麩羅にはしっかりと出汁をとった汁が別に付く。


平打ちは、太打ちよりも食べやすいし、それでいて田舎蕎麦の野性味はまったく失われていない。
これを出汁は効いているが、醤油の濃過ぎない田舎汁のどっぷりつけて食す。これは、堪えられない。


いかにも蕎麦屋さんの天麩羅という姿。
繰り返しになるが、このお店の素晴らしさは微妙なバランスの上に成り立っていると思う。


田中本家 清琴閣  須坂市

2013-05-13 22:18:15 | 古民家、庭園
田中本家は須坂にある豪商の舘である。
庭は江戸時代に遡るが、建物は明治初期の米騒動で焼き払われてしまい、明治以降のものしか残されていない。


清琴閣は明治28年の建築で、田中本家では最も古い建物のようである。非常に格の高い場所であり、特別な機会にしか田中家の人間でも立ち入ることができなかった。
近年、連休やお盆などのごく限られた時期に公開される。今年も5月の連休の3日間だけ見る事ができた。
「春の庭」のわきに建つ建物の二階になる。




見学の時間が来るまで、春の庭を眺める。
田中本家にはもうひとつ、紅葉が素晴らしい庭があり、それは「秋の庭」と呼ばれている。


清琴閣の内部は、前回訪れた時は写真撮影は許されていなかったが、今回はまったく制限無しであった。








建具には木村武山、山内多門により襖絵が書かれ、伊藤博文の直筆もある。


一茶もこの舘に泊ったそうだ。直筆が残されている。これは、滅多に公開しないそうだ。
「涼しさや 縁から直ぐに 川手水」


銘木や豪華な調度品に飾られた室内も素晴らしかったが、清琴閣から見た「秋の庭」の姿がとても興味深かった。
清琴閣に通される特別なお客は、画面中央に見える石橋を渡り山道のような小道を通って、縁側からこの座敷に上がったという。


山道のような小道の最後には、見事な靴脱ぎ石と、銘木が用意され豪奢な世界へと導きいれる。


清琴閣から直角に折れた場所に位置する座敷から「春の庭」を望む。
庭の向こうの山々が借景として未だに有効である。これは、この時代に置いて非常に贅沢で貴重な事だと思われる。

泰眞3  須坂市

2013-05-11 21:59:24 | 蕎麦
須坂の泰眞さんは、北信の蕎麦屋さんの中でも人気店の位置にあるようだ。
12時少し前に訪れたのだが、店内はほとんど満席だった。



 
天ざるを注文すれば、相変わらず海苔は別皿で出してくれる。
蕎麦の香りに海苔は強過ぎると思う人には本当にありがたい出し方である。
海苔は、蕎麦湯を呑みながらつまんでみるのが良さそうだ。
エビは2匹付けて下さり、ありがたかった。


太打ちの蕎麦が、ちょっと姿を変えて平打ちなったような感じがする。
この辺りから、富倉地区にかけての、野性的な系譜が根付いている蕎麦である。
やはりこういう蕎麦は、濃過ぎない田舎流の出汁の効いた汁にドップリと付けて味わいたい。
蕎麦の力は十分に強く、汁との協力で、本当に真似のできない味を出してくる。



関寓房  南魚沼市坂戸(旧六日町)

2013-05-10 21:06:58 | 古民家、庭園
豪雪地帯の魚沼平野も六日町辺りには、古くからの文化を伝えるものを数多く見る事ができる。
まずは、六日町周辺の味である。大崎集落を頂点として、驚くほど名店が集中している地区である。
さらに、この地域では個人宅の日本庭園のレベルが高いようだ。それをあえて公開されている所も、何軒もあるようだ。ただし、訪問するには事前連絡が必要である。


庭の入口付近にある佐渡の赤石を含む石組。これは大変な庭へ来たのだと、背筋を伸ばす。


枝垂れ桜は三分咲きではあったが、それに松、そして滝のある岩。
それぞれに見ごたえのあるものが、当たり前のように並ぶ素晴らしい庭である。


規模の大きい庭にふさわしく、回遊式である。


見事に造り込まれた庭は、一歩進むごとに景色が変わる。


あと数日待てば、満開の桜をめでる事ができたかもしれない。


素晴らしいお庭を、ゆっくりと味わう事ができた。
ありがとうございました。



そば処 げんたん  魚沼市三渕沢

2013-05-08 22:35:06 | 蕎麦
住所だけからは、場所の見当がつきにくい。国道17号線から只見線沿いに北上した国道252号線沿いにあるお店である。
最寄りの駅は魚沼田中だが、ほとんどの方は車で訪れると思われる。252号線に面した魚沼園芸ものずき村の中にあるお店である。
お店と言っても、ビニールハウスに椅子とテーブルを設置し、蕎麦茹で用の強力なバーナーを設けたもの。お店のネーミングからしてかなりベタである。


蕎麦のサイドメニューの野菜天麩羅は3品で100円。申し訳ないような鮮度に値段である。


ざるそばは1人前600円。
広神地区(昔、出稼ぎの拠点と習ったおぼろげな記憶がある)の蕎麦を惜しげもなく使う。


蕎麦は太めの田舎風で、汁にどっぷりと付けるタイプ。見るからに食欲をそそるのだが、それにもまして、盛りの量がすごい。
しかし、隣に座った70歳くらいの夫婦は、かけ蕎麦の量の凄さを笑いつつも、驚くほどのスピードで平らげていった。
確かに、最後まで旨さを楽しめる蕎麦だった。


旧前田侯爵邸洋館2 春の連休  駒場

2013-05-07 22:37:00 | 古民家、庭園
前田侯爵はイギリスでの暮らしが長く馴染みがあったためか、イギリス風の三角屋根のある館を建てた。




テューダースタイルの建築といわれているが、中庭に面したホールの外観は三角屋根の塔の他はテューダー様式の特徴はあまり見られない。しいていえば、縦長の窓と、戸外の照明器具にその片鱗が見られる程度だろう。


2枚目の写真の右端の張り出し窓を内部から見た所である。
両側に見られるゴシック風の木製の柱が、それらしい味を出している。




庭に面したホールが1階の南側部分をしめるが、1階の東側を占めるのがベイウィンドウのある大食堂。
壁の木製パネルがテューダー様式を再現している。
壁面の暖炉も、石炭ではなく薪を炊いていた17世紀の大きさである。ただし、本当に薪を炊く訳ではないので、奥行きがない。




バロック的な躍動感のある曲線的な階段と、その下に設けられたアルコーブ(ただしソファーは今回の写真では見られない)こそが、この舘の一番の見どころだろう。

旧前田侯爵邸和舘2 春の連休  駒場

2013-05-06 22:24:51 | 古民家、庭園
旧前田侯爵と言えば、加賀百万石の前田家の系譜を受け継ぐ家である。
広々とした駒場公園の中に、和舘と西洋館が並ぶ姿は、とても魅力的である。


和舘の一階は、規模の大きい座敷が占めており、そう大きな建物には見えなかったのだが、中二階、二階と広がる複雑な屋根の造りが、見た目以上の複雑さが内部に存在するように感じさせる。


この日は玄関から、奥の座敷まで見通すことができた。
気持ちの良い風が吹き抜ける日であった。




欅の一木造りの書院棚が、庭を写しだす。
庭の景色を楽しむための装置は万全のようだ。




この庭は東京都の管理であり、旧前田邸にも入場料を徴収しないのは立派なのだが、庭園にもう少し手をかけてもよいように思う。
その昔の状態を維持するという意味合いだけでなく、この舘の存在感を大きく引き上げるように思うのだが。

 

季節の花

2013-05-05 21:00:24 | 自然
今年は桜が、大変な駆け足で通り過ぎ、GWに去年は見ごろだった場所でも今年は葉桜しか見られないところが多い。


しかしミズバショウは、例年通りのペース。やはり、水温が開花に大きく影響するからだろうか。


雪解け水の中で、鮮やかな姿をみせる。


コブシだと思われるのだが、青空を背景に満開であった。


すみのや   魚沼市本町 旧小出

2013-05-04 22:54:32 | 蕎麦
一部ではあるが、このお店では大和町の八色原ので栽培された蕎麦を使っている。


蕎麦は江戸式のもりと、田舎式のぶっかけがある。
蕎麦汁の塩味自体は濃すぎず、蕎麦をどっぷりと汁につけるのがふさわしい蕎麦なので、ぶっかけスタイルは蕎麦として全くマイナスにならない。

その上に山菜天麩羅が盛られれば、ほのかな香りや食感を求めて食欲はどんどんと増すだろう。


蕎麦は行儀のよい姿だった。打ち手が端整な姿を志向するのであろう。
そこにあえて書いてみるのだが、古いスタイル(と思われるのだが)のぶっかけには、もっと田舎らしい太くて不ぞろいの蕎麦をあわせてはいかがだろう。
食感としてはぴったりだと思うのだが。


ご馳走様でした。


千手院の枝垂れ桜  浦佐

2013-05-02 23:22:17 | 自然
浦佐の毘沙門堂は、9世紀の創建と伝えられる歴史のあるお堂である。鈴木牧之の北越雪譜でも詳しく語られている「裸押しあい祭」で有名である。
千手院は毘沙門堂の塔頭寺院である。


千手院に向かって川沿いの道をたどれば、毘沙門堂の「毘」の字が雪解けの勢いの良い川の中州に描かれている。
左手には千手院の桜、右手を振り返れば毘沙門堂である。


この辺りは非常に雪深い地域だからなのか、「ほおづえ」とも呼ばれる降雪期にのみ使われる柱が未だに撤去されていなかった。
雪を深く知る人々は、5月初頭の思わぬ降雪にまで備えているのだろう。


この日は朝方は大分冷え込んだが、10時も過ぎるとうららかな日和となり、一気に七分咲きとなった。


魚沼平野を囲む山々には、たっぷりとした積雪が残っている。


毘沙門堂の桜は、ほぼ満開であった。