田中本家は須坂にある豪商の舘である。
庭は江戸時代に遡るが、建物は明治初期の米騒動で焼き払われてしまい、明治以降のものしか残されていない。
清琴閣は明治28年の建築で、田中本家では最も古い建物のようである。非常に格の高い場所であり、特別な機会にしか田中家の人間でも立ち入ることができなかった。
近年、連休やお盆などのごく限られた時期に公開される。今年も5月の連休の3日間だけ見る事ができた。
「春の庭」のわきに建つ建物の二階になる。
見学の時間が来るまで、春の庭を眺める。
田中本家にはもうひとつ、紅葉が素晴らしい庭があり、それは「秋の庭」と呼ばれている。
清琴閣の内部は、前回訪れた時は写真撮影は許されていなかったが、今回はまったく制限無しであった。
建具には木村武山、山内多門により襖絵が書かれ、伊藤博文の直筆もある。
一茶もこの舘に泊ったそうだ。直筆が残されている。これは、滅多に公開しないそうだ。
「涼しさや 縁から直ぐに 川手水」
銘木や豪華な調度品に飾られた室内も素晴らしかったが、清琴閣から見た「秋の庭」の姿がとても興味深かった。
清琴閣に通される特別なお客は、画面中央に見える石橋を渡り山道のような小道を通って、縁側からこの座敷に上がったという。
山道のような小道の最後には、見事な靴脱ぎ石と、銘木が用意され豪奢な世界へと導きいれる。
清琴閣から直角に折れた場所に位置する座敷から「春の庭」を望む。
庭の向こうの山々が借景として未だに有効である。これは、この時代に置いて非常に贅沢で貴重な事だと思われる。
庭は江戸時代に遡るが、建物は明治初期の米騒動で焼き払われてしまい、明治以降のものしか残されていない。
清琴閣は明治28年の建築で、田中本家では最も古い建物のようである。非常に格の高い場所であり、特別な機会にしか田中家の人間でも立ち入ることができなかった。
近年、連休やお盆などのごく限られた時期に公開される。今年も5月の連休の3日間だけ見る事ができた。
「春の庭」のわきに建つ建物の二階になる。
見学の時間が来るまで、春の庭を眺める。
田中本家にはもうひとつ、紅葉が素晴らしい庭があり、それは「秋の庭」と呼ばれている。
清琴閣の内部は、前回訪れた時は写真撮影は許されていなかったが、今回はまったく制限無しであった。
建具には木村武山、山内多門により襖絵が書かれ、伊藤博文の直筆もある。
一茶もこの舘に泊ったそうだ。直筆が残されている。これは、滅多に公開しないそうだ。
「涼しさや 縁から直ぐに 川手水」
銘木や豪華な調度品に飾られた室内も素晴らしかったが、清琴閣から見た「秋の庭」の姿がとても興味深かった。
清琴閣に通される特別なお客は、画面中央に見える石橋を渡り山道のような小道を通って、縁側からこの座敷に上がったという。
山道のような小道の最後には、見事な靴脱ぎ石と、銘木が用意され豪奢な世界へと導きいれる。
清琴閣から直角に折れた場所に位置する座敷から「春の庭」を望む。
庭の向こうの山々が借景として未だに有効である。これは、この時代に置いて非常に贅沢で貴重な事だと思われる。