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何も変わっていない存在としての「靖国」・・・ 

2008年06月02日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 映画『靖国』を十三は第七芸術劇場に観に行った。土日は立ち見になるぐらいと聞いていたので事前に電話をし、1時間後に上映される2回目の上映分について尋ねた。すでに7割方の整理券を配ったという返事だったが、今日を逃すと今後観れそうな日がありそうもないようだったし、おまけに今日は〈映画の日〉なので1000円で観られるということもあり、立ち見覚悟で携帯用ベンチを持って出かけた。劇場に着くとつくとラッキーなことにパイプ椅子を増設してあり、その席に座れることになった。もちろん立ち見の人も何人もいてこの映画に対する関心の高さが表れていた。

 さて映画は、靖国神社の御神体である〈靖国刀〉を作る刀匠の姿を軸にしてその合間に、戦後60年目の日を迎えた靖国神社の様々な姿を織り込んでいる。靖国神社の御神体が〈刀〉であったことはこの映画で初めて知った。8月15日の境内。さまざまな人たちが参拝に来るなか、特に集団で参拝する人たちの姿は異様であり、いったい今はいつの時代かと思ってしまうように強烈である。「靖国神社参拝20万人運動」という看板を掲げた集会が開かれているところに、突然中国人青年が靖国神社批判を叫んで現れ、集会参加者らしき男性に「中国へ帰れ! 中国へ帰れ!」と何度も何度も叫ばれながら会場外へ追い出され、最後は数人から血を流すような暴行をされて、結局警察に連行されてしまうというハプニングや、米国旗と「小泉靖国参拝支持」と書き込んだボール紙を掲げ、参拝者たちから握手を求められていた米国人男性が、突然一転して他の参拝者たちから「アメリカの国旗を降ろせ、アメリカ人はここから出て行け」など言われて騒ぎとなり、警察官に説得されてこれもまた追い出されてしまうシーンなど、まさに靖国神社故の出来事がドキュメントされる。

 ちなみに今回の一連の映画『靖国』騒動のきっかけとなった人物である自民党の稲田朋美議員が、議員になる前ではあるらしいが、先ほどの「靖国神社参拝20万人運動」集会に登場し宣誓文を読み上げている場面が映っていた。本人がそのことを認識していたのかどうかは知らないが、意味深いシーンである。また、台湾原住民たちが「植民地下、無理やりに日本兵にされ殺された私の父がここに合祀しされているのは許されない。父を返せ!」と迫ると「合祀は国が行ったものなので神社に責任はない」といってまったく相手にしない神社側の対応や、「戦争に駆り出されて殺された者の遺族の悲しみ、怒りに対して、国は一方的に叙勲を与えたり、こんな立派な働きをしてくれましたと言って賛辞を与えるばかりで、これでは私たちの気持ちは行き場がない」と遺族の了解もなく勝手に合祀された兄の合祀削除を求める浄土宗の住職が語る姿をみると、靖国神社という存在に対する問いかけは重い。

 映画はこうした激しい動きを映しながら、あくまでも刀匠の物静かな、しかし確とした姿から離れない。まるで時間が止まっているような感覚である。外部から何を言われようとも靖国神社は昔から今に至るまでずっと何も変わらない。それは何代も引き継がれてきた刀匠にとっても同じなのだろう。

 そして終盤になって次々と移り変わる戦前・戦中のシーンに共通するもの、それが刀である。あらゆる場面、国内・国外問わず象徴のように出てくるのだ。靖国の御神体としての刀の力によって国内をまとめ上げ、アジア侵略へ進んでいった、それこそまさに靖国というものがあらゆる価値観の中心に置かれていたということを意味するのではないかと受け止めたのだが、どうだろうか。そういう存在がずっと昔から何も変わらないままにこの現在の日本に存在し続けていること、そのことの意味を考えたいと思うのであった。
 
 

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