昨日の朝刊に
キトラ古墳の午の絵の写真が載っていた。
色鮮やかな
赤い衣服を着けた午の絵だ。
これを見た私は 直感で
「ああ、もうすぐ祇園祭だから、
牛頭天王がでてきたんだな。」
と思ってしまった。
よく読むと‘牛’でなくて‘午:うま’だし、
よく絵を見ると 確かに 馬の絵だった。
牛頭天王じゃなくて、相方の 馬頭天王だ!
と思った。
もっと よくよく記事を読むと
‘獣頭人身の十二支「午」像’と書かれていて
祇園祭や牛頭天王とは 関係がないのだ。
この素晴らしい馬の絵は
「中国風のゆったりした袖のある赤い衣服を
身につけ、・・・。」
とあるように
異国情緒を感じさせる衣服をまとっている。
私が 閻魔大王の使いを描いたものと勘違いしたのも
この衣服のせいかと思う。
どうでもいいことだし
文献に当たって 調べるつもりもないが
忘れたくなくて 記事にした。
実家の周りや 近隣のムラでは
阿波(あんば)囃子の練習が始まっているだろう。
キトラ古墳の午の絵の写真が載っていた。
色鮮やかな
赤い衣服を着けた午の絵だ。
これを見た私は 直感で
「ああ、もうすぐ祇園祭だから、
牛頭天王がでてきたんだな。」
と思ってしまった。
よく読むと‘牛’でなくて‘午:うま’だし、
よく絵を見ると 確かに 馬の絵だった。
牛頭天王じゃなくて、相方の 馬頭天王だ!
と思った。
もっと よくよく記事を読むと
‘獣頭人身の十二支「午」像’と書かれていて
祇園祭や牛頭天王とは 関係がないのだ。
この素晴らしい馬の絵は
「中国風のゆったりした袖のある赤い衣服を
身につけ、・・・。」
とあるように
異国情緒を感じさせる衣服をまとっている。
私が 閻魔大王の使いを描いたものと勘違いしたのも
この衣服のせいかと思う。
どうでもいいことだし
文献に当たって 調べるつもりもないが
忘れたくなくて 記事にした。
実家の周りや 近隣のムラでは
阿波(あんば)囃子の練習が始まっているだろう。