2004年11月、
私は術後二年目の 検査を受けた。
一年ごとの、フルコースの検査がセットされている。
最初の日は
視診・触診、採血、レントゲン、エコー。
まずはゾラデックスの注射を終えて
外来に行くとすぐ!
この日、初めて!!!!!!!!
予約時間よりやや早く 診察室に呼ばれた。
何の異変があったのか?????
いつもは2時間から 2時間半くらい
待たされるのが普通なのに!
主治医は、上機嫌!
診察室に入ると、
当然、上半身 脱いでハダカになる。
上機嫌な主治医は
私の胸を見て 「いいじゃな~い。」
私の胸に触って 「いいじゃな~い。」
「いいじゃな~い。」を連発。
形も綺麗にできて、柔らかさも戻って、
ということらしい。
ムクムク頭をもたげてくる、反抗心。
今更 おっぱいの形をどうのこうのと
文句をいうつもりは なかったのだが
主治医の様子に、つい。
「でも、私、不満です。」
「どこが~?」
「トップバストの高さが
左右で 2センチも違うんです。」
中村ブレイスで 測って、そういわれたもん。
主治医は トップバストの高さではなく、
乳輪のまわりの 三日月形の溝の方を
気にしている様子だった。
「ここが、こうなっているから、
こちら側が、上がっちゃう。」
「はい。こちら側は このごろ 垂れてますし・・・。」
「まあ、不満が出るということは、
不満が出るほど元気だ、ということだ。」
「はい・・・。」
「不満が出るほどね~~~♪
元気なんだよ~~~♪」
「???」
主治医は、あくまで、上機嫌。
主治医は 私の胸は ‘グッド’だと言う。
一番いいのは ‘エクセレント’で、
私の場合は その次の‘グッド’なんだそうだ。
三日月形の溝ができたので
私の胸は ‘エクセレント’でなく
‘グッド’なのだとか。
術後の胸の変形の度合いを
何段階かにわけるのだろうか。
私のこの胸で ‘グッド’なのだったら、
‘グッド’でない人は もっと酷い変形なのか?
確かに、中村ブレイスの人に
もっと酷い変形の人も多い、とは聞いたけど。
こんなんで、‘グッド’なんて言われたくはない。
主治医は 私に
整形で形を整える事ができる、というような事を言う。
少しは気にしてくれているのか?
でも お腹や 背中の筋肉を切り取って
胸に持ってくる、というのは、
全身麻酔だし、
筋肉を切るわけだし、
お金はかかるし、
イヤだ、痛くて。
それにしても あんまり機嫌がいいし
あまりに 時間にも余裕があるので
思い切って いくつか 質問してみた。
私は この頃にはもう
自分の癌について 忘れてしまった事が多かったので。
が~~ん!
私の癌は あんまし 良くない!
病期がⅡAというのは 記憶どおりだったけど、
癌の種類は硬癌、
転移が多いというヤツ。
グレードは Ⅲ。
悪い!
乳腺の和の中のQ&Aで、
ここのドクターが よく
「温存手術の適応ではない。」
とか言ってるではないか。
リンパ節に転移もあったし、
本当に 温存でよかったのか?
どっきり、びっくり、不安になる。
リフレインして頭の中に響いてくる、あの日の言葉。
「あなたの癌は、大きかった。」
「思っていたよりも、広く飛び散っていた。」
まあ、いいか。
私の主治医は、このヒト。
がんセンターの 乳腺外科の主任医師。
センチネルリンパ節生検を導入したのも
あっちのドクターより早かったし、
そうそうヘタな失敗はしないだろう。
別の言葉もリフレインする。
「癌は取りきれたと思う。」
それにしても、私って、本当に忘れっぽい。
こんな大事な事を 忘れていたなんて。
忘れたいと思っていたのか?
忘れようとしていたのか?
別の日に 笑いそうなのをぐっと抑えて、
腹部超音波。
12月にはいってから、
骨シンチ。
結果はクリスマスの前に。
腫瘍マーカーの値は、低め安定。
子宮筋腫は やや大きくなって50mm。
筋腫ができるような、筋腫があったら大きくなるような
副作用のあるお薬を毎日飲んでいるんだものなあ。
あと、脂肪肝!
トリグリセライド(中性脂肪)、208!
骨シンチの結果の写真をみると
黒くなっている部分があるので
見るのが怖い。
「頚椎右側の点状集積は 減少してきています。
また淡いが 仙骨の集積像が
前回より目立ちます。」
怖い、怖い。
でも
「これも degenerative change を示唆する
所見と考えられます。」
「その他の部位に 明らかな骨転移を示唆する
局所的な異常集積は 認められません。」
とあるのは、それほど悪くないのではないかな?
とにかく 主治医が 「オーケー♪」「オーケー♪」
と言うのだから、オーケー♪なのだろう。
気にしないことにする!
「一周年記念日」の所にも書いたけど
お祝いは ナシですまされてしまった。
(理由は、亭主が時間がとれないから;怒!)
今年の6月には 誕生日が来たけれど
自分としては さほどの感激も感慨もなかった。
(まだ 50歳の大台にのったわけでもないし。)
手術をしてから 何年がたったか。
そちらの方が より 比重が重い。
第二の誕生日、というわけだ。
そして これから 一年一年
いろんなことを考えて
いろんなことをかみ締めながら
これから 生きていくんだろうなあ。
私は術後二年目の 検査を受けた。
一年ごとの、フルコースの検査がセットされている。
最初の日は
視診・触診、採血、レントゲン、エコー。
まずはゾラデックスの注射を終えて
外来に行くとすぐ!
この日、初めて!!!!!!!!
予約時間よりやや早く 診察室に呼ばれた。
何の異変があったのか?????
いつもは2時間から 2時間半くらい
待たされるのが普通なのに!
主治医は、上機嫌!
診察室に入ると、
当然、上半身 脱いでハダカになる。
上機嫌な主治医は
私の胸を見て 「いいじゃな~い。」
私の胸に触って 「いいじゃな~い。」
「いいじゃな~い。」を連発。
形も綺麗にできて、柔らかさも戻って、
ということらしい。
ムクムク頭をもたげてくる、反抗心。
今更 おっぱいの形をどうのこうのと
文句をいうつもりは なかったのだが
主治医の様子に、つい。
「でも、私、不満です。」
「どこが~?」
「トップバストの高さが
左右で 2センチも違うんです。」
中村ブレイスで 測って、そういわれたもん。
主治医は トップバストの高さではなく、
乳輪のまわりの 三日月形の溝の方を
気にしている様子だった。
「ここが、こうなっているから、
こちら側が、上がっちゃう。」
「はい。こちら側は このごろ 垂れてますし・・・。」
「まあ、不満が出るということは、
不満が出るほど元気だ、ということだ。」
「はい・・・。」
「不満が出るほどね~~~♪
元気なんだよ~~~♪」
「???」
主治医は、あくまで、上機嫌。
主治医は 私の胸は ‘グッド’だと言う。
一番いいのは ‘エクセレント’で、
私の場合は その次の‘グッド’なんだそうだ。
三日月形の溝ができたので
私の胸は ‘エクセレント’でなく
‘グッド’なのだとか。
術後の胸の変形の度合いを
何段階かにわけるのだろうか。
私のこの胸で ‘グッド’なのだったら、
‘グッド’でない人は もっと酷い変形なのか?
確かに、中村ブレイスの人に
もっと酷い変形の人も多い、とは聞いたけど。
こんなんで、‘グッド’なんて言われたくはない。
主治医は 私に
整形で形を整える事ができる、というような事を言う。
少しは気にしてくれているのか?
でも お腹や 背中の筋肉を切り取って
胸に持ってくる、というのは、
全身麻酔だし、
筋肉を切るわけだし、
お金はかかるし、
イヤだ、痛くて。
それにしても あんまり機嫌がいいし
あまりに 時間にも余裕があるので
思い切って いくつか 質問してみた。
私は この頃にはもう
自分の癌について 忘れてしまった事が多かったので。
が~~ん!
私の癌は あんまし 良くない!
病期がⅡAというのは 記憶どおりだったけど、
癌の種類は硬癌、
転移が多いというヤツ。
グレードは Ⅲ。
悪い!
乳腺の和の中のQ&Aで、
ここのドクターが よく
「温存手術の適応ではない。」
とか言ってるではないか。
リンパ節に転移もあったし、
本当に 温存でよかったのか?
どっきり、びっくり、不安になる。
リフレインして頭の中に響いてくる、あの日の言葉。
「あなたの癌は、大きかった。」
「思っていたよりも、広く飛び散っていた。」
まあ、いいか。
私の主治医は、このヒト。
がんセンターの 乳腺外科の主任医師。
センチネルリンパ節生検を導入したのも
あっちのドクターより早かったし、
そうそうヘタな失敗はしないだろう。
別の言葉もリフレインする。
「癌は取りきれたと思う。」
それにしても、私って、本当に忘れっぽい。
こんな大事な事を 忘れていたなんて。
忘れたいと思っていたのか?
忘れようとしていたのか?
別の日に 笑いそうなのをぐっと抑えて、
腹部超音波。
12月にはいってから、
骨シンチ。
結果はクリスマスの前に。
腫瘍マーカーの値は、低め安定。
子宮筋腫は やや大きくなって50mm。
筋腫ができるような、筋腫があったら大きくなるような
副作用のあるお薬を毎日飲んでいるんだものなあ。
あと、脂肪肝!
トリグリセライド(中性脂肪)、208!
骨シンチの結果の写真をみると
黒くなっている部分があるので
見るのが怖い。
「頚椎右側の点状集積は 減少してきています。
また淡いが 仙骨の集積像が
前回より目立ちます。」
怖い、怖い。
でも
「これも degenerative change を示唆する
所見と考えられます。」
「その他の部位に 明らかな骨転移を示唆する
局所的な異常集積は 認められません。」
とあるのは、それほど悪くないのではないかな?
とにかく 主治医が 「オーケー♪」「オーケー♪」
と言うのだから、オーケー♪なのだろう。
気にしないことにする!
「一周年記念日」の所にも書いたけど
お祝いは ナシですまされてしまった。
(理由は、亭主が時間がとれないから;怒!)
今年の6月には 誕生日が来たけれど
自分としては さほどの感激も感慨もなかった。
(まだ 50歳の大台にのったわけでもないし。)
手術をしてから 何年がたったか。
そちらの方が より 比重が重い。
第二の誕生日、というわけだ。
そして これから 一年一年
いろんなことを考えて
いろんなことをかみ締めながら
これから 生きていくんだろうなあ。