ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

お盆のころ

2005-07-14 | 昔語り
昨日書いたように
私の故郷では 月遅れで お盆を迎える。

その頃には 早くも 新米が取れ始める。

昨日の提灯で いろんなことを 思い出した。


zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz

マリーゴールドは 土壌線虫を駆除するとか。

除虫菊の仲間だから 蚊を寄せ付けないとか。

我が家のやぶ蚊には 効かないが
土にはどんな影響があるのか。

薄いオレンジのジニアと組み合わせて植えたら
どうも ジニアの機嫌が悪い。

相性が悪いのか?
それとも 水遣りが足りなかったから?

zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz


小さい頃は 本当に苦労がなくて、
お盆もウキウキする行事だった。

だって、
可愛い 赤い柄の 
長いたもとの 浴衣を着せてもらえる。

お墓参りに行くときに
持たせてもらう 赤い提灯も 大好きだった。

忙しい中、母は 姉と私を お風呂に入れ、
シッカロールをはたき、
ゆかたを着せたり
(暑いと暴れれば)脱がせたりしていたのだろう。



母が忙しくて 家の中がバタバタしているのも
B型気質としては 嫌いではなかったはず。

それから お盆の頃になると
いろんな 美味しいものが 採れだす。

新米は別としても、
枝豆に とうもろこし。

こんな 栄養豊富で 添加物のまったくないものが
あの頃のおやつだったんだなあ。

忙しい中、大汗をかきながら
母が茹でたり 蒸したり してくれた。



大掃除をする。

盆棚を作る。

盆棚に飾り付けをする。

お供えをする。

ご先祖様がいれば 
どこの家でも お盆にはしていることばかり。



それでも 実家の場合は
お寺だから 規模が少しずつ大きい。

面倒な事もいっぱい。

父は大忙し。

普通の家では作らないものを
たくさん作る。

お塔婆の依頼もある。

それらは 僧侶である父の仕事で、
妻や子供たちは <一切>!
手伝わなかった。

(可愛そうなおとっつあん。)



8月13日、
月遅れの迎え盆の日、
夕方が近づいてくると
ぽつりぽつりと 人が来る。

薄暗くなってくると
急に人が増えだして
どっと! 押し寄せてくる。

外に出た‘わげぇし’(若者)も帰ってくる。

嫁に出た娘も帰ってくる。

そして その子供たちは 
小さな子を連れて帰ってくるようになる。

小さな子は よちよち歩きを始め、
走り回るようになる。

浴衣を着て
子供用の可愛い提灯を持って
夕刻のお寺に集まってくる。

「ひさしぶりだねー。」

茨城弁の挨拶が飛び交う。

ウロチョロしている私が
ウキウキしないわけにはいかない。



人々は 手に手に 重箱に入れたお米を持って来る。

それを受け取ると
竹製の大きなかご
(? 背中に背負う籠より もっと大きいが
 背負い紐はついていない)
に入れる。

「ご苦労様でした」の言葉と
経文が書かれた一組(二本)の経木などとともに
重箱をお返しする。

ここらへんが 小さい子供でも手伝える仕事。

経木に お経文を書いておくのは
当然、父の仕事。

時には 
お野菜を 供物として持ってきてくれる方もいて、
それは 本尊様の前に 飾る。

新盆の家では 
それらを通常の2倍持ってくる。

寺から渡すものも 2倍になる。



それらを持って
村人たちは 墓地へ向かう。

寺から 墓地へ(寺の隣にある人が多い)、
墓地から それぞれの家へ。

提灯の行列ができる。

その行列は 幻想的で 美しくて
ちょっと物悲しくて
御伽噺の世界に引き込まれそうな
魅惑的な怖ろしさをもっていた。



そんな日が 三日続く。

我が家の墓参は 人の足が途絶えてから。

かなり遅くなる。

棚行で 檀家さんの家々をまわってきて
ヘトヘトになって
お経の読みすぎで 声まで変わった父と
夜遅くに お墓へ行き、
可愛そうな父は
そこでまた 般若心経一巻を読む。



会った事のない私の祖父が眠るお墓。

ほとんど会っていない祖母も 
後に加わった。

今は 父もそこに眠っている。

今年も月遅れのお盆が過ぎたら
お墓参りに 行けるかな。