ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

ヒッパレ

2005-07-31 | なんでもないこと
今はもう 放送していないが
『ザ・夜もヒッパレ』という歌番組があった。

私はこれが大好きで 
ビデオにとって 毎日見ながら(聞きながら)
洗濯物をたたんでいた。

大嫌いな洗濯物たたみも、
これを見る(聞く)ことができるなら
楽しい時間になった。

‘今’流行っている ヒットチャート上位の曲を
本人ではなく いろいろな人が歌ってくれる番組だった。


歌手は 今から売れる歌手、かつて売れていた歌手、
今そこそこ売れている歌手、海外からの大物歌手と
いろいろな人が出てきて、
‘今’の歌を歌う。

それが なかなか 味があって、よかった。

いい歌手は 他人の持ち歌でも
巧みに歌いこなして 
しかも 自身の ひとつの世界を創り上げてしまう。

聞いている間に この番組を見ていたんだ、
ということを 忘れてしまうこともあった。



‘今’の曲が好きな娘も 
徐々にわかってきてくれて、
「この人、すごいね。」とか
「うまいね。」とか 言うようになった。

浜崎あゆみの曲は かならず上位にいたから
いろいろな歌手が歌っていた。

娘にとっての 浜崎あゆみは 中学生のころから
‘カリスマ’的存在だったそうだから、
娘もちゃんと聞いていたのだろう。



マックスの“Give me a shake" を 
サーカスが歌ったときは 鳥肌ものだった。

「このオジサンたち、チョーかっこいい!」
と娘にも評価してもらった。

尾崎喜代彦、もんたよりのり、橋幸雄、
歌のうまい人は どんな曲も 自分のものにして
聞かせてくれて、
逆に 若い人たちにも 人気が出てくる、という
おまけがついてきたそうだ。

島倉千代子も 浜崎あゆみの曲をうたったっけ。



私が見に行った ゴスペルのグループも
この番組で知った。

彼らが 華原朋美の曲を歌ってくれたときに
私はじ~~~んと きてしまったのだった。



この番組に夢中になるまで、
そう、息子が 中学生になるくらいまで
私はテレビをほとんど見ていない。

洋画を録画して 見るくらいだった。

テレビの空白期だ。

尾崎豊も 『北の国から』の‘初恋’で使われて
初めて知った。

チェッカーズも 米米クラブも 
よく知らないうちに 解散してしまった。



私のテレビ空白期は
大学に入って上京した時に始まる。

しかしそれでも ラジオと言うものがあった。

小さい頃 テレビを見すぎたせいか、
私は その後 テレビが嫌いになって、
高校生の頃には ほとんど見なくなった。

その代わり 専用のラジカセを買ってもらって
机の上から聞こえる国内外の‘今’の歌を
いつも聞いてきた。



それが 子供が生まれてからは
むちゃくちゃになった。

引っ越して 当地に来たし(FM東京がはいらないし)
仕事も 睡眠も 何も 全部むちゃくちゃ。

そして 息子が生まれて 息子が十分大きくなるまで
その状態が続いていたのだ。



せっかく見つけたお気に入りの番組だったのに
なくなってしまった。

もう一度始まらないかなあ。