亡くなった父は囲碁が好きでした。
父の好きなことは野球観戦もありました。キノコや山菜採りなど、アウトドアではありましたが、インドアではダントツ囲碁でした。いつから囲碁好きになったのかは定かではありませんが、記憶の中ではわたしが子供の頃から碁盤を前にして一人指している父の姿が目に浮かびます。
碁盤は作ってもらったものだとか。今は誰も使わないのでずっと奥にしまわれていますが、父としては誰かに使ってもらいたいと思っているのかもしれません。
父は子供に囲碁好きになってほしかったのでしょうけど、わたしも弟も全然その世界とは無縁のまま過ぎてしまいました。一度、父に教えてもらったことがありましたが、少しも頭に入ってこなくて一体これのどこが面白いのだろうと思ったものです。
母は父が食道がんの手術後、療養していた頃に父の気持ちを紛らわせように囲碁を教えてもらったようです。母の方が父の相手としてはわたしよりずっと頼もしかったようです。
そんな父がもっぱら囲碁の活動場所として選んだのは市内の囲碁クラブや老人憩いの家での碁会など。県内開催のブロックごとのチーム対戦などもありました。
家には父がもらったトロフィーや賞状が沢山飾られていて、心の中で「へぇ~、父さんなかなかやるじゃないの」と思っていたものです。
父が亡くなって、母とふたり色々片付けました。しばらく飾っていた賞状の類いは母のベッドがその下にあるということで震災後天井から落ちてきたら大変だと、母自身が取り外すことを決めました。
今では父が活躍したという証は棚に飾っているトロフィーと画像の盾です。
協会から頂いた4段だという証の盾。
地域の大会で勝つと7段とかの賞状をもらっていたりしたのですが、父はこの盾が一番自分を評価したものだと思っていたようです。
父に囲碁の醍醐味ってどこ? と聞いたことがあります。
「何十手も先を読み解く面白さだよ」と答えました。ふ~ん、そうなのか・・・ それが父の人生や人間を見る目に関係しているのかな、なんても思っていました。
掃除をしていて目についた盾。
父が誇らしげに見ていた盾。
いつも物静かで荒げた声を出したことのない父の柔和な顔が盾の上に重なって見えました。
古くなった碁盤は埃をかぶっているだろうね。
出してきて母とやってみようかなとふと思ったわたしです。
父の好きなことは野球観戦もありました。キノコや山菜採りなど、アウトドアではありましたが、インドアではダントツ囲碁でした。いつから囲碁好きになったのかは定かではありませんが、記憶の中ではわたしが子供の頃から碁盤を前にして一人指している父の姿が目に浮かびます。
碁盤は作ってもらったものだとか。今は誰も使わないのでずっと奥にしまわれていますが、父としては誰かに使ってもらいたいと思っているのかもしれません。
父は子供に囲碁好きになってほしかったのでしょうけど、わたしも弟も全然その世界とは無縁のまま過ぎてしまいました。一度、父に教えてもらったことがありましたが、少しも頭に入ってこなくて一体これのどこが面白いのだろうと思ったものです。
母は父が食道がんの手術後、療養していた頃に父の気持ちを紛らわせように囲碁を教えてもらったようです。母の方が父の相手としてはわたしよりずっと頼もしかったようです。
そんな父がもっぱら囲碁の活動場所として選んだのは市内の囲碁クラブや老人憩いの家での碁会など。県内開催のブロックごとのチーム対戦などもありました。
家には父がもらったトロフィーや賞状が沢山飾られていて、心の中で「へぇ~、父さんなかなかやるじゃないの」と思っていたものです。
父が亡くなって、母とふたり色々片付けました。しばらく飾っていた賞状の類いは母のベッドがその下にあるということで震災後天井から落ちてきたら大変だと、母自身が取り外すことを決めました。
今では父が活躍したという証は棚に飾っているトロフィーと画像の盾です。
協会から頂いた4段だという証の盾。
地域の大会で勝つと7段とかの賞状をもらっていたりしたのですが、父はこの盾が一番自分を評価したものだと思っていたようです。
父に囲碁の醍醐味ってどこ? と聞いたことがあります。
「何十手も先を読み解く面白さだよ」と答えました。ふ~ん、そうなのか・・・ それが父の人生や人間を見る目に関係しているのかな、なんても思っていました。
掃除をしていて目についた盾。
父が誇らしげに見ていた盾。
いつも物静かで荒げた声を出したことのない父の柔和な顔が盾の上に重なって見えました。
古くなった碁盤は埃をかぶっているだろうね。
出してきて母とやってみようかなとふと思ったわたしです。
の実力の持主だったのでしようね。うらやましい限りです。
私は習い始めてそろそろ1年ですが、まだ囲碁の面白さがわかりません。まだ夢に見ないのです。
父はアマチュアトップレベルではなかったでしょうね。地区大会で優勝するのはなかなか出来なかったようで、いつも残念がっていましたから。
年々年と共に思考も衰えていったのか母の弟と囲碁をしていると亡くなる最後辺りにはハンディをあげても前は勝っていたのが負けることもあるようでした。
囲碁は白と黒の石だけなのに、なんで難しいのかなとわたしはちっとも分かりません。今日は母と囲碁・・・じゃなくて服のリメイクのお手伝いをしてきました。しばらく碁盤を出すことは無いみたいです(笑)。
手賀沼日記さんはこれからですね。楽しんでください。きっと面白いなと思えるときが来ると思いますよ♪
私の父も囲碁が好きでした、
近所の退職された方と毎日のように縁側で指していました、
その途中その方が急に気分が悪くなり数日後帰らぬ人となり何時も寂しいそうにしていた、
父の姿が忘れられません、
多分近くに住んでいる方で囲碁をされる方はいなかったので唯一の囲碁仲間だったと思います。
私は全く分かりませんが主人は出来るようですがその頃は仕事が忙しく父の相手は出来ませんでした、父がどれ位のレベルかもさっぱり分かりません。
若い頃はよく剣道もしていましたし野球も好きで地元中日ファンでした、
負けると機嫌が悪くなり負けた日は近づかないようにしていました。
けいさんのブログを読ませて頂き父を思い出しました。
私の亡父は40代前半で病気になり、会社勤めもできなくなりました。私は独立してましたが、たまに実家に帰ると父が詰碁をしている姿をよく見ました。一人ぼっちで碁盤に向かっている姿はどこか寂しそうで、切なくなりました。でも楽しんでいたのだろうと勝手に思っています。
野球が好きなところも。お父様は文武両道の方だったのですね。剣道と囲碁はどこか雰囲気が似ている気がします。
父は巨人ファンでしたよ。巨人が勝つとお酒もいつもより多めだったかな。いつもはテレビは母専用ですが、野球シーズンは父が中心。少年野球も大好きでした。
お父様の思い出、記憶の中から出してこられたのですね♪
お父様もきっと楽しんでいたと思いますよ♪
囲碁は、けい様のお父様と同じ、日本棋院の四段。
この賞状を手にした時、大喜びの父は、自費でお祝いの会を開いたものでした。
私も、父の相手にと、曲励起先生の囲碁入門書をこっそり買い勉強。
しかし、頭が理解してくれず、将棋のほうへ関心が向いて行き、親孝行には至りませんでした。
先にコメントをされた方々のお話を読ませて頂くと、文武両道、しかも囲碁と野球が御趣味の方が多いのだなぁと、ちょっと驚きました。
お父様が大喜びされた様子が目に浮かぶようです。父もきっとすごく嬉しかっただろうなと。そのときに一緒に居なかったのが悔やまれます。
わたしが父のそばで世話ができたのは亡くなる二年ほどだったのです。その数年前は会いに行くこともこっそりと。そんな事情がありました。でも亡くなる前に色々と手助けできて今は良かったと思っています。
そういえば、囲碁と野球が好きだったという方が多いですね♪ 昔は選択肢が少なかったからかしら。
コメントありがとうございました♪