BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

【水どう】いいぞ~藤やんの勘の鈍り具合

2006年08月19日 | テレビ

 毎週土曜日は、サンテレビとABCで「水曜どうでしょう」を見る日でございます。

 さてサンテレビのclassic、いいですねぇ。
 ヨーロッパ完全走破から2ヶ月。すっかり番組制作の意欲と作り方を忘れてしまったどうでしょう班は、海外の旅ばかりやって北海道内のロケが面白くなくなり、旅よりも車内トークや車内ハプニングに重きを置くようになった、カントリーサインの旅2が始まりましたねぇ。

 いやぁなんなんでしょう。こんなに手抜きなのに、とても面白い。なぜか笑い転げてしまう面白さがここにはあります。毎度のことではありますが。
 この壊れ具合、やる気の無さ、罵り合い、藤やんDの出演の当たり前化。
 これはローカル番組の常識どころか、テレビ界の常識をも打ち破りすぎて、どえらいことになっております。そういう番組なのです。
 それがね、2005年新作になってもまた新たな打ち破りをしようとはね。まぁそれはまだ第7,8夜ですけれども。

 そういっているうちに、もうすぐ2005年新作が…っておい、今日はないんかい。
 しかも、内PSPも、ABCは放送してくれないんかい!そりゃ無いぜよ。


【ふしぎ】長寿の秘訣は、「楽しむ」!

2006年08月19日 | テレビ

 毎週土曜日は、「世界・ふしぎ発見!」(TBS)ですよ、皆様。
 「探検ロマン世界遺産」(NHK)も同じ土曜日ですが、「ふしぎ」でもつい2週前に取り上げられた兵馬俑を取り上げて、その演出がなんだかますます「ふしぎ」化しているように感じられました。
 そういう意味でも、土曜日は「ふしぎ発見!」の日なのでございます。

 そして今回は、グルジアです。「Georgia」と綴って、グルジアと読むのですよぉ。
 ここは、カスピ海ヨーグルトで有名な、健康食と自然豊かな国です。そのためでしょうか、ご長寿がたくさんいらっしゃる国なのです。
 健康の秘訣は?それは、人生を楽しむこと!もう、これに尽きるのです。

 今が楽しくて仕方が無い。だから80歳のご長寿は、あと80年生きるのが目標なのだそうです。
 走るは、重いものはもつは、酒(ワイン)を一気に干すわ…、その活発さは、若い我々も見習うところがあまたあります。

 人生を如何に充実させ、如何に楽しく生きるか。
 これから生きていくうえで、心掛けていこうと思いましたね。楽しい人生を送って、何が悪い。


 そして今週も、私は携帯電話で、クイズに参戦するのでした。外れてばっか…。


出発の前に、やらねばならない幾つかの課題

2006年08月19日 | 凡日記

 今日もぼんやりと過ごしていたら、ありゃりゃ、後10日後にはワタクシ、日本から離れていますわよ。
 早く、卒論の調査票を片付けねばなぁと思って、今日はずっと、パソコンに向かって作成をするも…、なんか、あんまし気合を入れすぎて調査票を作ってしまうと、後々大変なことになるし、かといって手を抜くわけには…ぬおぅ!
 そういったわけで、段々と現実逃避傾向が強くなっていったのでございます。参った参った。

 そして、旅に向けての準備といいますか、下調べをやらなくちゃいけないのですよね。
 これから向かう国は、世界遺産が5つあるのです。それを全て制覇し、世界遺産の光と影の真実を見出そうという崇高な(アホ丸出しの)旅を計画しているのでございます。それにその国、さらに暫定遺産として4つの遺産候補を挙げているのでございますから、それも出来るだけ見なくちゃ。
 それで今回の旅の日程、10日間なのでありますが、途中経由する台北で2泊せねばなりませんので、実質8日間で5つ以上の遺産を回らねばならないということになるのです。

 ですから、前回の中国、タイのように、下調べもせず体当たりで旅をしようなどと考えていると、明らかにまずいわけです。今回は、計画性というものが重要となってくるのです。
 それで、卒論に飽きたら、その国の情報をネットで集め回っているという状況なのですよ。特に、個人の旅行記のHPやブログを読みまくって、旅のヒントにしております。

 その個人旅行記を読んで、世の中には本当に凄い人がいるものですね。そして、その掲載されている写真が美しかったり、文章も読みやすく、絵が上手いというサイトを見つけたら、おおすごいという感動と同時に、俺もこういうサイトを作りたいぞぉというやる気が心底から湧いてくるのであります。

 そんな楽しみも心の中に秘めつつ…、卒論に、環境ゼミの仕事、頑張んないとね。
 というわけで、また、卒論の調査票作りに没頭…できねぇ。


動物はしゃべれない

2006年08月19日 | 雑感散文

 昨日、『図書』8月号にて、岡ノ谷さんの論文(というかエッセイでしょうか)「動物はしゃべらない」が掲載されていたことに触れました。
 それで、その内容がとても面白かったので、後日詳しくといっておりましたが、今日早速書いちゃいますね。

 岡ノ谷先生は理化学研究所・生物言語研究チームに所属されており、動物の音声コミュニケーションから人間の「ことば」がどう形成され、発展してきたのかを研究されている方です。
 その方いわく、「動物はコミュニケーションをすれども、しゃべることが出来ない」。

 つまりどういうことか。
 例えばハダカデバネズミの場合、17種類もの鳴き声、いわば17個の「単語」をもって、他のネズミとコミュニケーションをとっているのだそうです。
 しかしそれは「ことば」ではない。「ことば」というのは、「組み合わせにより新たな意味を創出できる機能」を持つものであるから、駄目なのだそうです。
 もっと分かりやすくいうと、17種類の鳴き声は17個の「仮名」に過ぎず、仮名を複雑に組み合わせた言語とは程遠い、ということなのでしょう。

 だから、「動物のことば」なんてのは無いし、動物はしゃべらない。ゆえに、動物との会話は不可能だというわけです。
 ネアンデルタールですら、「ことば」を獲得できぬまま、それを獲得したホモサピエンスに追い詰められ、絶滅した。不思議なものです。何故ホモサピエンスだけ、唯一「ことば」を獲得できたのでしょうか。それこそ、これからの岡ノ谷先生の研究に期待がかかるわけです。

 しかし思うのですよ。果たして本当に、動物としゃべることが出来ないのか。
 まず、言語つまり音声のみに頼る会話は、間違いなく出来ないということは分かりました。相手は「ことば」を持たないのですから。
 しかしまだ手はあるのではないでしょうか。ボディーランゲージや、アイコンタクトなどです。
 どうも人間でも、しゃべるというのは音声だけに頼ったものではないそうですね。しぐさや状況判断で持って、言葉の解釈をしているのだそうです。『人は見た目が9割』という新書が最近話題になりましたよね。まさに人間の会話は、音声以外のものに9割も頼っているらしいのです。

 ということは、です。
 様々なコミュニケーションツールを駆使すれば、それらのツールが複雑に組み合わさることによって、多次元の「ことば」が形成されるのではないかと思うのです。
 それはもはや本来の意味での「ことば」ではなくなっているでしょうが、理屈としては「ことば」と同じ意味合いを持つのではないでしょうか。
 ですからきっと、動物たちと「ことば」を交し合うことは、夢ではないと思うのですがね。まぁ、ネズミは無理だろうな。


 ところで、昔「キテレツ大百科」(フジテレビ)で、動物たちの会話を翻訳する機械が出てきましたよね。調べると「聞き耳頭巾(ずきん)」というものらしいですね。
 音声ではなく、動物の微弱な脳波を読み取って、考えていることを直接聞くことが出来る発明品だそうすよ。
 うーむ、脳波で会話しようってのがすごいですねぇ。どうなんでしょうか。


また夢を見たので、己の深層心理を探る

2006年08月19日 | 凡日記

また、夢見たのよ。
常日頃から夢は見るけど、
今日もまた
リアリティーあふれる夢なの。
設定はリアルとは
かけ離れているけどね。

実家がなぜか静岡に
引っ越すことになったので、
その手伝いしてたの。
それで、色々と思い出の品々の
要る・要らないを
分別していくうちに、
その思い出の品々に
浸っていくわけ。
で、夢だから当然、
話は変わって思い出の中へ。

なぜかね、
収穫が終わった田んぼの真ん中で
コタツの中に入っていたの。
そんな経験無いんだけれども、
それはそれで風情があるというか、
なんか素敵だったの。
田んぼとはいっても、
住宅地に囲まれた、
小さな田んぼよ。

そしたら地主の人に怒られて、
すみませんと謝ったら、
いや、後ろで植林・造園している
人たちを怒っているんだって。
どうもその造園業者、
田んぼを勝手に
公園化しようとしていたらしい。

そして今度は神社参りに行ったの。
その田んぼが突如として
境内になったわけ。
ふと気がつくと、
収穫後の秋の気配漂う
切り開かれたような土地が、
鎮守の森に
覆われていたわけ。

夢って凄いのね。
むちゃくちゃなストーリー展開も、
なんの疑問も感じないわけだから。
全て、「ああそうだった」と
納得してしまう怖さ。
単純に、馬鹿ね。


この夢から、
己の深層心理をどう読むか。
これは、はっきりした夢を
見た後に必ず行う、
ワタクシの習慣でもあり、
楽しみでもあります。

実家の引越しですが、
現実のワタクシは、
半年後には本当に
引っ越さねばなりませんので、
もうすでに引越しのための
片付けを行っているのです。
引越しという寂しさと、
段々片付け慣れしてきた
楽しさが入り混じって
いるのでしょう。

田んぼの中でコタツは、
おそらく寝ているとき
暖かかったのでしょうね。
実際は暑苦しかったのだけれども。
でも分からん。
何で田んぼのど真ん中で
コタツに包っていたんだろう。

それに、秋の田んぼで遊ぶなぞ、
小学校低学年以来無い。
相当な昔の記憶が蘇って
きたということであろうか。
確かに懐かしさがあった。

でも何より、田んぼのど真ん中で
コタツの電源が入っていたという
SFの要素も混じっているのが
不可解である。

さらにSFなのは、
前を向いて後ろを見た瞬間、
田んぼが境内に変わったことだ。
そして、おぉここはいい境内だ、
いいクスノキだ樹齢云百年だ
などとほざき、
思考回路も Super Folly と
なっていた。

いや別にね、
こういうオチをつけたくて
駄文を連ねたんじゃないよ。