昨日、
『図書』8月号にて、岡ノ谷さんの論文(というかエッセイでしょうか)「動物はしゃべらない」が掲載されていたことに触れました。
それで、その内容がとても面白かったので、後日詳しくといっておりましたが、今日早速書いちゃいますね。
岡ノ谷先生は
理化学研究所・生物言語研究チームに所属されており、動物の音声コミュニケーションから人間の「ことば」がどう形成され、発展してきたのかを研究されている方です。
その方いわく、「動物はコミュニケーションをすれども、しゃべることが出来ない」。
つまりどういうことか。
例えばハダカデバネズミの場合、17種類もの鳴き声、いわば17個の「単語」をもって、他のネズミとコミュニケーションをとっているのだそうです。
しかしそれは「ことば」ではない。「ことば」というのは、「組み合わせにより新たな意味を創出できる機能」を持つものであるから、駄目なのだそうです。
もっと分かりやすくいうと、17種類の鳴き声は17個の「仮名」に過ぎず、仮名を複雑に組み合わせた言語とは程遠い、ということなのでしょう。
だから、「動物のことば」なんてのは無いし、動物はしゃべらない。ゆえに、動物との会話は不可能だというわけです。
ネアンデルタールですら、「ことば」を獲得できぬまま、それを獲得したホモサピエンスに追い詰められ、絶滅した。不思議なものです。何故ホモサピエンスだけ、唯一「ことば」を獲得できたのでしょうか。それこそ、これからの岡ノ谷先生の研究に期待がかかるわけです。
しかし思うのですよ。果たして本当に、動物としゃべることが出来ないのか。
まず、言語つまり音声のみに頼る会話は、間違いなく出来ないということは分かりました。相手は「ことば」を持たないのですから。
しかしまだ手はあるのではないでしょうか。ボディーランゲージや、アイコンタクトなどです。
どうも人間でも、しゃべるというのは音声だけに頼ったものではないそうですね。しぐさや状況判断で持って、言葉の解釈をしているのだそうです。『人は見た目が9割』という新書が最近話題になりましたよね。まさに人間の会話は、音声以外のものに9割も頼っているらしいのです。
ということは、です。
様々なコミュニケーションツールを駆使すれば、それらのツールが複雑に組み合わさることによって、多次元の「ことば」が形成されるのではないかと思うのです。
それはもはや本来の意味での「ことば」ではなくなっているでしょうが、理屈としては「ことば」と同じ意味合いを持つのではないでしょうか。
ですからきっと、動物たちと「ことば」を交し合うことは、夢ではないと思うのですがね。まぁ、ネズミは無理だろうな。
ところで、昔「キテレツ大百科」(フジテレビ)で、動物たちの会話を翻訳する機械が出てきましたよね。調べると「聞き耳頭巾(ずきん)」というものらしいですね。
音声ではなく、動物の微弱な脳波を読み取って、考えていることを直接聞くことが出来る発明品だそうすよ。
うーむ、脳波で会話しようってのがすごいですねぇ。どうなんでしょうか。