カンボジア人の音楽感覚  

カンボジア人の音楽感覚              2008.8.13. 金森正臣

 カンボジア人の音の感覚は、かなり悪いように思われる。私は、ある時期から西洋音楽よりも、音が複雑に混じっているインドのタブラ(手で打つ二つ一組の太鼓)やサロード(ヒョウタンを胴にした弦の多いギター?)、津軽三味線などに魅かれるようになった。ピアノの澄んだ音が好きだった時期もあるが、複雑に混じりあった音や割れた音の混じる感じになじみ深い感覚がある。この傾向は、アフリカの生活で、たまたま集落の近くでキャンプすると遠くから聞こえてくる太鼓などを聞くことによって一層強まった。

 カンボジアでは、いろいろのところで音楽が流れる。つい最近も家の近所で、結婚式があり、早朝5時ころから音楽やお経が流れた。結婚式には坊さんを呼んで、儀式があるが、多くは雑音の多いテープで間に合わせている。大音響であり、スピーカーが上等ではないから、音が異常に割れる。ピアノの音が好きだったころに、スピーカーを買おうとしてしばしば秋葉原でいろいろ聞いて回ったことがある。低音のスピーカーと高音の組み合わせが難しく、なかなか気に入ったものがなかった。カンボジアのスピーカーは、高音と低音の組み合わせが悪く、音がまとまらない。それでもお構いなしに、大音響で流す。近所迷惑だが、だれも文句を言わないのが、カンボジア流。

 生バンドを売り物にしたビヤホールなどでも、音の割れた大音響が流れている。カンボジア人は、結構好きらしく、彼らのパーティーに呼ばれるとしばしばこのようなホールに行く。できるだけスピーカーから外れた場所に座るようにしているが、話も十分にできない。スピーカーに近かった時には、振動で気持ちが悪くなり逃げ出したことがあった。複雑な音が良いからと言って、スピーカーの音の割れている状態は好きではない。

 カンボジアにも、津軽三味線よりも竿の長い三味線のような楽器があり、老人が奏でていることがある。シェムリアップでは、バンティアスレイやタブロームの入り口で聞いたことがある。我々の感覚からは、テンポもバラバラでやや調子が外れていて悠長であるが、趣があって結構な音楽だ。老人たちの調子の外れた節回しも、それなりに人生が感じられて好きだ。
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